学校周辺の史跡 その1 ~御内用方跡(藩の製紙場)

公開日 2021年08月09日(Mon)

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 本校から実方方面に歩き、実方橋を渡ってしばらく進んでから左に入ると、御内用方跡がある。それは薩摩藩主御用として、最上質の紙を製造していた紙屋の跡である。古代の薩摩国は、税として紙を納めていた。江戸初期に薩摩藩は楮(紙の原料)の品種改良を試み、美濃国から技術者を招いたりした。また3代島津光久は、領内に楮を植えさせ、女子に紙漉きの技法を習わせ、各所に紙屋を設けさせた。そのため古くからこの地では下級武士が携わり、武家の妻女が従事していた。幕末の志士桐野利秋も少年の頃より農業を行いながら、紙漉きも従事して、家計を助け母を養っていたという。実方橋のすぐ上流の岩で、楮をたたいて柔らかくしたり、実方神社の真下の疎水溝の水を用水として利用していたらしい。楮をたたく音が、ちょうど太鼓を打つ音に聞こえ、鼓川、たんたどの地名の由来とされる。明治後も製紙は続けられ、実方紙として市内でも販売されていたとの話である。