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2021年12月

  • 2021年12月28日(火)

    県いじめ問題子供サミットにオンラインで参加しました!!

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     12月27日(月)に本校で,令和3年度鹿児島県いじめ問題子供サミットに,本校生徒会で,オンラインで参加しました。詳しくは以下のPDFファイルを見てください。

    鹿児島県いじめ問題子供サミット実施要項[PDF:298KB]

    県いじめ問題子供サミットパンフ[PDF:444KB]

     県内60校ほど参加する中,3~4校で1グループを作り,オンラインで交流します。高校は参加数が少なく,本校は垂水高校と交流しました。

     はじめに事例紹介(清水中,伊集院中,枕崎中,錦江湾高校等計9校)がありました。そのあと「いじめ防止について議論しよう」というテーマで,話し合いました。1.いじめ問題の難しさについて(5分)。2.学校ごとに話し合ってまとめる(5分)。3.学校ごとにまとめたことを,代表者が発表する(7分)。という流れです。最後に感想をそれぞれまとめました。

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     生徒の感想から。

     今回いじめ問題子供サミットに参加して,いじめについて考える機会ができて良かったです。参加した9校の取り組みを聞いて,本校でも出来そうな活動があったり,取り入れたいなと思う活動がありました。生徒会として,学校でのいじめをなくすため,起こらないように,さまざまな活動をしていきたいと思いました。今回いじめ問題子供サミットに参加することができて良かったです。

     いじめは,いじめている人の背景も考えていかないといけないと思いました。みんないじめられている子だけがかわいそうと思っていると思います。しかし,性格は,遺伝が半分,環境が半分つくります。なので,いじめをなくすには,環境を大きく変える必要があると思います。

     他校の意見や取り組みを取り入れることができ,とても参考になった。当校でも,先生方と話し合いを取り入れることができるものを実施していきたいと思います。いろんな取り組みを聞いて,自分たちが,より良くできる方法がたくさんでてきたので,取り入れるだけではなく,今の当校の状況によってすこし変えていきたいと思います。あらためて,いじめを防止するためには,生徒会の力がいるなとおもいました。

  • 2021年12月28日(火)

    校歌の研究 その26 ~鹿大附属中学校

    附中1

    附中2

    1.るり色の 風に明けゆく南国の 希望の空よ 見よ見よ集えるは 清新の生命燃え立つ若き花 意気あり鹿大付属中 2.緑樹の 蔭にさゆらぎ薫りたつ 歴史の槌よ 見よ見よあふるるは 友愛の宴楽しむ若き夢 自治あり鹿大付属中  3.火の山の 姿そびゆる青空に えがくは何ぞ 見よ見よはばたくは 蛍雪の理想追いゆく若き鷹 栄あり鹿大付属中 

     鹿児島大学附属中学校は、昭和22(1947)年に、鹿児島師範学校男子部附属中、同女子部附属中、鹿児島青年師範学校附属中の3校が創設された。23年に男女が統合され、24年に新制鹿児島大学の発足により改称され、26年に同大学教育学部附属中学校となりました。30年に校歌が制定されました。作詞は脇太一、作曲は柳沢浩です。
     作詞担当の脇氏は、ウィキペディアによると、明治33(1900)年香川県に生まれ、昭和44(1969)年死去された、日本の教育者および作詞家です。大正13(1924)年に東京高等師範学校を卒業され、28歳の時に恩師に誘われて大連(中国遼東半島南部)に渡りました。教鞭のかたわら俳句、短歌、詩、小説、脚本などの作品を創作されました。敗戦後日本に引き揚げ、昭和22(1947)年坂出市立林田中学校校長に就任されました。26年NHK「ラジオ体操の歌」に応募、1万点余りの作品から最優秀に選ばれ(本曲は2代目の「ラジオ体操の歌」となる。現行版とは異なる)、作詞家として一躍有名になり、全国の小学校、中学校、高等学校から作詞を依頼されたとのことです。
     さて歌詞について。令和2年10月7日付南日本新聞「校歌の風景」25に、当校校歌の紹介があり、「校歌の詞と曲は1955年、県内では珍しく、全国から公募された。歌詞は2代目ラジオ体操の歌を作った香川県の脇太一氏が担当、多くの合唱曲を残した神奈川の柳沢浩氏が作曲した。県外の2人が手掛けた校歌には、学校周辺の情景などがほとんど登場しない代わりに、「花」「夢」「鷹」など時が流れても色あせない言葉が並ぶ。教員OBの一人は、地理的、歴史的な束縛を解かれた斬新な歌詞と語る」とあります。また当校の運動会の種目に「若き花」(女子ムカデ競争)、「若き鷹」(男子棒倒し)という校歌の1番と3番に使われた歌詞を冠する種目があるそうです。しかし今年(2020年)は新型コロナで中止となりましたが、新たに玉入れを考案し、2番にちなみ「若き夢」としたそうです。校歌の伝統を大事にする校風がうかがえます。

     氏の作詞された校歌のうち、出身の香川県以外の中学校の校歌と併せて考えてみると、共通するのは、歌詞の最後に校名を繰り返す、「見よ見よ」「若き」「栄え」「希望」「理想」などです。

     また脇氏が校歌作詞を担当された、県内の霧島市立向花小学校について、同校HPを見ると、公募から制定、発表にいたる経緯が分かります。昭和31年9~12月に全国に校歌の募集をし、12月15日に選定、翌年2月12日に学芸会で校歌の発表会を行ったそうです。その際作曲担当の鹿大教育学部武田恵喜秀氏も来校されたようです。応募された歌詞原稿が校長室に展示されており、それを見ると、選定委員による歌詞の修正の跡が分かり、「一等」という鉛筆の走り書きが、校歌が誕生した瞬間のようで、生々しささえ感じるということです。

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    向花小の校長室に展示されている,歌詞原稿です。

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     歌詞は、全体的にはとても詩的で味わい深く、半面深淵で意味が取りづらい所もあるかと思います。各歌詞の構造は、「~よ」(と呼びかけ)、「見よ見よ」(さあ、見なさい!)(これは)~「若き花、~夢、~翼」(それぞれ生徒を示し、1年・2年・3年生だそうです)だと歌い、最後に「鹿大附属中」と結ぶ。1番では「るり色の~空よ」「見よ見よ」「集えるは」「若き花」だ。気概ある、鹿大附属中だ。2番では「緑樹の~歴史の槌よ(ここの解釈は難しいが、今作られる当校の歴史や伝統を指すか)」「見よ見よ」「あふるるは」「若き夢」だ。自治の気風ある、鹿大附属中だ。3番では「火の山(桜島)の~何ぞ」「見よ見よ」「はばたくは」「若き鷹」だ。栄えあれ、鹿大附属中だ。唯一鹿児島のシンボル桜島(あえて火の山と歌う)を歌う所がとてもいい効果をもたらしていると思います。

    附中地図

  • 2021年12月25日(土)

    校歌の研究 その25 ~喜入中学校

    喜入中1

    喜入中2

     旧校歌 作詞:久保田彦穂(椋鳩十)  作曲:迫田武資

    1.秋はうるわし校庭の 南京はぜの夢の色 心にそめて学ぶ子は 理想大きく育ち行く 2.清き流れの八幡川 夕日淡く影うつす 知徳の泉汲む子らは 未来の花と育ち行く 3.愛の林の待人山 額の汗を払う風 勤労めでて学ぶ子は 郷土の力と育ち行く

     

     新校歌 作詞:大保純義  作曲:新徳美知二

    1.潮の香薫る錦江湾 学びの庭に 友愛の 誓いも新たに 集うとき 自律の鐘は 鳴り渡る 自律の鐘は 鳴り渡る ああ われら 喜入中 2.流れ豊けき 八幡川  清き川面に 真実の 道を尋ねて 励むとき 研学の炎は 燃えさかる 研学の炎は 燃えさかる  ああ われら 喜入中 3.紫雲たなびく 桜島 映ゆる雄姿に 高遠な 理想をかかげ 歩むとき 文化の園は 輝きぬ 文化の園は 輝きぬ ああ われら 喜入中

     『喜入町郷土誌』によると、喜入中学校は、喜入村立喜入中学校として、旧喜入青年学校跡地に、昭和22(1947)年創設されました。喜入小・喜入青年学校を利用して校舎としました。31年には町制施行により喜入町立喜入中学校となり、47年に町内3中(喜入・瀬々串・生見)が統合し、平成16(2004)年に鹿児島市立となりました。ここまで、「昭和22年組」~学校教育法施行に伴い昭和22年(甲南・天保山は23年)に誕生した、新制中学校24校を紹介してきました。市内40中の6割がこの年に誕生しました。
     当校は町立化した後、33年に旧校歌(作詞久保田彦穂(椋鳩十)、作曲迫田武資)が制定され、3中統合後の新喜入中学校成立後、49年に現校歌が制定されました。作詞は大保純義、作曲は新徳美知二です。作詞・作曲担当の大保氏・新徳氏についてはよく分かりません。当校の国語・音楽教諭だったかもしれません。旧校歌の椋鳩十は、東高校校歌の作詞も担当されている、児童文学者として著名な方です。また作曲担当の迫田氏は黒髪中のところで触れましたが、県内の多数の校歌を作曲されています。旧喜入中、根占中、宮小、伊敷小、徳光小、住吉小、三島小、羽月小、南永小、伊作小、漆小、荒川小、中名小ほか鹿屋市民歌や十島のうた等です。
     さて歌詞について。まず旧校歌は1番に「校庭の南京はぜ」とあり、椋鳩十はその景色を見たのだろうと思います。2番では「愛の林の待人山」とあり、『喜入町郷土誌』にある「待集(まっと)山」のことであれば、当校より南西に位置する、喜入CCの東側にある山のことと思われます。しかしなぜ「愛の林」なのか不明です。何か言い伝えがあるのでしょうか。3番では八幡川が出てきます。新校歌では、1番に錦江湾、2番に八幡川、3番に桜島が出てきます。このうち八幡川は喜入第一の河川で、中心部を流れます。ただ、日本遺産に指定された、給黎(きいれ)城跡を含む「喜入旧麓(もとふもと)地区」等歴史的景観を読み込まないのは少しもったいない感じがします。ちなみに喜入は初め旧麓地区が中心でしたが,江戸初期に現喜入小(地頭仮屋跡)辺りに、麓(郷の中心地)を移しています。喜入小の裏山が城山(戦時に籠もる所)で、地元では琵琶山(地図中緑で囲んでいる所)と呼ばれており、現在喜入総合体育館があります。南北を八幡川と愛宕川の2河川でカバーされており、防衛上適地とされたためでしょうか。あるいは海に近く、交通上・交易上有利とされたためでしょうか。旧麓地区は武家屋敷跡が残り、旧観を残しており、風情があります。2番の「自律の鐘は鳴り渡る」は校歌によく見られるワードで、3番の「文化の園」は独特な表現と思います。

     なお、当校出身の人の話では、朝の登校時間に、校歌の1番が流れ、「自律の鐘は鳴り渡る」を聞くと、ああもう遅刻だと観念したそうです。

    喜入地図

     

     

  • 2021年12月24日(金)

    2学期終業式です!!

     本日2学期終業式がありました。今回もリモートで実施されました。

     終業式に先立って,校内放送で表彰がありました。

     (1) サービス接遇検定 2級 2年

     (2) ハングル能力検定 4級 2年

     (3) 美術部 第72回鹿児島県高校美術展 奨励賞 1人  入選4人

     (4) K1グランプリ(漢字) クラス優勝(1年2組)

       個人優勝(3位まで)

     (5) 2学期クラスマッチ 総合優勝 2年2組 

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     はじめに,校長先生の話。第九「歓喜の歌」の話から,ベートーベンについて。1770年生まれ,56歳でなくなった。第九が完成するまでの道のりはやさしいものではありませんでした。様々な苦悩の中で完成された曲です。そういった苦悩があったからこそ,素晴らしい曲ができた。皆さんもここまでいろんな苦労があったと思いますが,だからこそこれからの試練に立ち向かえると思います。苦労は次のステップアップのためのエネルギーを貯める時だと考えて欲しいと思います。

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     ついで,生徒指導部から。NTTドコモの情報モラルの講演の感想から。SNSを巡るさまざまなトラブルの話。知らない人を信用しずきてはいけない。SNSで知り合って,県外に行って補導されるケースあり。冬休み中の心得について。スマホの利用,交通安全事故防止について。不審者遭遇事案多発している。明るい道を通りましょう。音楽聴きながら歩いていると,周りに注意がいかないので気を付ける,などでした。最後に,THE BLUE HEARTSの甲本ヒロトさんの言葉の紹介。学校に居場所がない子にどう答えますかの質問に,居場所はあるよ,席がある。それでいいじゃない。学校に友達がいなくて気にすることはないよ。学校は,けんかしないで平穏無事に生活する,そういう訓練の場所だから。(居場所がないことを気にしすぎる子に対しての言葉だそうです)

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     ついで進路指導部から。今年頑張ったこと,一番思い出に残っていること,失敗したことは何ですか。冬休み中にこの1年を振り返ってみてください。長期の目標と短期の目標を考えてみてください。短期の目標は実行しやすいと思います。1・2年生は,冬休み明けに進路希望調査があります。冬休みの間に進路についてよく考えて,進路希望を書いてください。

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     最後に,保健部から。2つのことについて。一つは,新型コロナについて。オミクロン株が,関東関西で市中感染が見られ,年末年始警戒が必要とのこと。休み中の行動について気を付け,年明けのLHRで,確認する場合があるかも知れないとのこと。夕方のニュースを毎日見て,新型コロナの状況について,関心をもってください。

     二つ目は,保健室利用について。保健室は本当に具合が悪い人が利用するところなので,利用する人は,授業の前に,教科の先生に断ってから保健室に行くこと。友達に代理で言ってもらうではなく,本人が申し出ること。保健室利用のルールを守ること。

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     生徒は、各教室で,リモートで視聴しました。終業式で聞いた話を,参考にいかしてください。それでは体調管理に気を付けて,来年元気に登校してきてください。

     

     

     

  • 2021年12月23日(木)

    クラスマッチです!!

     本日終日,2学期クラスマッチが行われました。今回は男子はバスケ,女子はドッヂボール,バドミントンでした。

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     激しい男子バスケです。優勝したのは3年1組でした。

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     女子ドッヂボールは,2年2組Aチームの優勝でした。

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     女子バドミントンは,2年1組の優勝でした。明日終業式で,クラスマッチの表彰があります。総合優勝もその時に発表です。

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     今日は天気も良く,それほど寒くもなく,絶好のクラスマッチ日和でした。

     

     

     

  • 2021年12月23日(木)

    校歌の研究 その24 ~松元中学校

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    1.緑の風に朝明けて 明るく匂う学び舎に向学の意気はつらつと 自主の鐘の音高くなる ああ松元中学校  2.松元川のせせらぎに 高原清き茶の園に 進取の気性受け継いで 友愛花と咲き薫る ああ松3. 3.青雲あるか湧くかなた 朝夕あおぐ桜島 希望の翼はばたいて 平和の郷土打ち立てん ああ松元中学校

     『松元町郷土誌』によると、松元中学校は、上伊集院村立上伊集院中学校として昭和22(1947)年創設されました。苦しい経済状況の中での発足で、財源捻出には苦労し、村議会で敷地購入費、校舎建設費は村民の寄付によることとし、住民税の10倍ということでした。チョークも不足し、小学校の使い残りの短いのをもらってきたり、用紙類も、すぐ破れる再生の悪質のザラ紙だったそうです。

    新旧位置

     35年には町制施行により松元町立松元中学校となり、40年には生徒増に伴い校舎を現住所に移転し、平成16(2004)年に鹿児島市立となりました。町立化した35年に校歌が制定されました。作詞は蓑手素秋、作曲は捗秀豊です。蓑手氏については城西中のところで触れました。
     作曲担当の捗氏は松元町内の小中学校の校歌を作曲しています。ウィキペディアによると、校訓が1番「向学」、2番「進取」、3番「希望」の順に歌われ、3番では桜島も歌われているが、桜島は実際は見ることはできないそうです。
     さて歌詞について。作詞担当の蓑手氏は今まで述べてきたように、市内最多8中の校歌を担当しています。1番に「自主の鐘鳴る」、2番に「友愛花と咲き薫る」、3番に「希望の翼はばたいて」と共通のワードを歌い込んでいます。ローカル色としては、松元川(松元流域を流れる下谷口川の異称でしょうか)、茶の園を詠んでいます。下の地図のように,松元町はお茶所として有名です。茶畑に囲まれた原風景です。

    松元地図

     

     

  • 2021年12月22日(水)

    芸術鑑賞会です!!

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     本日午後に,体育館で,本校と高等特別支援学校と合同で,芸術鑑賞会が実施されました。公演演目は「ネズミの涙」(オペラシアターこんにゃく座)です。主人公一行は,おんぼろバスで,あっちこっちの戦線を旅して回るテンジクネズミの天竺一座で,「西遊記」を演じながら,愛と笑いと涙の舞台が繰り広げられます。

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     はじめのあいさつ,紹介が,本校の校長先生からありました。

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     観劇上の注意。携帯等電源はお切りください。

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     舞台向かって左側は,ピアノでの劇中歌や様々な効果音などの伴奏を担当している方です。正面は,天竺一座のバスです。

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     西遊記の中で,孫悟空が龍と戦っているシーンです。

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     天竺一座の娘リン(右側)と野ねずみの兵士ニッケル(左側)が,2人で話をするシーン。2人は恋人同士で,仲が良いシーンです。

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     孫悟空が,妖怪と戦うシーン。得意の如意棒で,相手を攻撃します。

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     どぶねずみの一団に襲われ,リンは命を落とします。そのあと恋人のニッケル登場。リンが亡くなったことを知って,嘆き悲しみ,激しく慟哭します。このシーンはとても迫力がありました。

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     休憩10分はさみ,後半の部です。鑑賞態度はとてもよいとありました。

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     最後,本校生徒会長の椿山さんから生徒代表お礼の言葉,花束の贈呈がありました。

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     高等特別支援学校から,作業学習で制作した,木工班からコースター,食品加工班からパンの,お礼の品のプレゼントがありました。

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     オペラシアターこんにゃく座のみなさん,素晴らしい舞台をありがとうございました。朝早くから搬入,設営をしていただき,ご苦労様でした。またぜひお越しいただけたらと思います。本当に今日はありがとうございました。

     

     

     

  • 2021年12月19日(日)

    校歌の研究 その23 ~桜島中学校

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     設立当初 S22(1947)年の写真です。(当校HPより)

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     校舎新築当時 S47(1971)年の写真です。側壁及び廊下がタイルで貼りつめられ,美術室,学習機械室を備えた現代的な建物,施設であったため,日本一の豪華中学校と呼ばれ,県内外からの視察団がひきもきらない状態が数年も続いたといいます。(当校HPより)

    桜島中

    1.見よ秀麗の火の島に 緑ゆたけき地を占めて えいちの光はつらつと 真理の窓にあふれたる ああ我が桜島中学校 2.錦江湾の朝な夕 心を玉と身を鉄と 友愛清く手をとりて 団結花と咲きかおる ああ我が桜島中学校 3.山河明るきこの里に 高き理想を受け継ぎて 正しく強くゆくところ 世紀は今ぞ明けそむる ああ我が桜島中学校

     桜島中学校は、当校HPによると、西桜島村立西桜島中学校として昭和22(1947)年創設されました。それまであった青年学校跡地にその校舎を一部利用して作られたそうです。48年には桜島町立桜島中学校となり、平成16(2004)年に鹿児島市立となりました。設立6年後の28年に校歌が制定されました。作詞は高城渓水、作曲は宗鳳悦です(HPに宋とあるのは誤りです)。高城氏については長田中のところで触れました。
     作曲担当の宗鳳悦氏は、「はがき随筆 鹿児島(毎日新聞西部本社地方版)」(2007.11.2)等によれば、沖永良部出身で、鹿児島師範学校卒、昭和24(1949)年上京し、都内の音楽教諭として40年勤務され、都立中学校校長、東京都音楽研究会会長、NHK文部省諮問委員を歴任されました。東京で43年まで10回の作曲演奏会を開かれました。平成3(1991)年78歳で死去。都の文化功労者として表彰され、昭和天皇の前で、自作の曲を演奏するなど音楽家、作曲家として活躍するかたわら、短歌にも親しむスケールの大きい教師であったとのことです。同氏『ひとりで伸びる「読譜の友」初等篇』はじめにの言葉には、「私は日本を美しい国にしたいのです。それには芸術ことに音楽をさかんにすることだと信じてゐます。そして私は日本ぢゅうの皆さんが一人残らず音楽を愛していらっしゃるといふ事も知ってゐます。それだのに音楽が上手になりさかんにならないといふ事はどうしたことでせう。それは私たちに楽譜を讀む力がないからです。(中略)みなさん、うんと勉強して、一日も早く私たちの日本を美しい文化のかおり高い国にしようではありませんか 昭和22年2月22日」とあり、衣食住全てが満たされなかった時代、印刷する紙さえ充分になかったなかで、音楽をこの子等に!と音符も読めない子供たち一人一人に副読本を与え、熱心に指導する、当時としては異色の教師だったということです。
     さて歌詞について。高城氏は、市内40中の内、当校・長田・河頭・和田・緑丘中の計5中の作詞をされています。一番に桜島、二番に錦江湾を歌い、最後に学校名で締めくくるのは共通しています。1番では当校が桜島所在のため「火の島」という表現です。「緑ゆたけき地」は古語「豊けし」(豊かである)で、緑豊かな土地を意味しています。古語を使うのは高城氏らしいです。2番では錦江湾を歌い、3番では「世紀は今ぞ」と新時代の幕開けを歌い、これから高い理想を受け継いで、邁進していく決意を歌っています。

    桜島地図

     

  • 2021年12月18日(土)

    校歌の研究 その22 ~郡山中学校

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    1.綾雲匂う八重の嶺 映ゆる平和の朝日影希望新たに仰ぎつつ 自主に燃え立つ学園に 高き理想の鐘は鳴る 2.流れ清らな甲突の 水は貫く道一つ 真理の光求めよと たゆまず磨く身と心 伸びゆく明日へ星が呼ぶ 3.祖国の栄え村の幸 拓く使命をになひつつ 文化を築く勤労の 力溢れて日に進む ああわが郡山中学校

     当校HPの沿革によると、郡山中学校は、郡山村立郡山中学校として昭和22(1947)年創設されました。当初は独自の校舎は無く、郡山小、郡山青年学校、旧たばこ収納所を借用したとのことです。32年には大谷中(もと下伊集院中の分校)が編入、平成16(2004)年に鹿児島市立となりました。設立4年後の昭和26(1951)に校歌が制定されました。作詞は池上喜一、作曲は田中義人です。両氏については伊敷中でもペアで作詞作曲にあたっており、そちらで触れました。
     さて歌詞について。作詞担当の池上氏は、伊敷中、上甑中、大馬越小、紫尾小、柊野小等の校歌を作詞しています。それらに共通するワードを拾い出すと、「平和、自主、希望、理想、幸、真理、祖国、歴史、文化」等があります。終戦直後に制定された校歌に共通する、戦後復興の希望や理想に燃え、祖国日本の歴史を踏まえ、新しい文化を築いていこうとする精神を表現していると思われます。
     また1番では北側に位置する「八重の嶺」、2番では学校の側を貫流する甲突川を読み込み、3番で祖国建設を歌います。

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  • 2021年12月17日(金)

    出前授業がありました!!

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     本日5・6限に,本校で出前授業がありました。今回は1・2年生全員を対象に,進学4分野(英語系,経済系,幼児教育,看護),就職4分野(事務,美容,販売,ホテル)の計8分野で実施しました。

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     英語系です。講師の方は,鹿児島純心女子大学の川上典子先生です。テーマは「第二言語習得論をふまえた,ことばの習得のメカニズム」です。

     はじめにQ1英語は好きですか,なぜ英語を勉強するのかなど質問されました。英語学習を長く続けるためには,なぜ学習するのかという強い思いが大事です。日本語について。日本の英語教育について。文法能力とコミュニケーション能力はイコールではない。コミュニケーション能力は,文法能力。社会言語能力(適切な言葉づかい)。談話能力(1文以上をつなげる能力)。方略能力(問題が起こった時にに処理する能力)からなるとのことです。外国語学習に成功する学習者の特徴(1.若い,2.母語が似ている,3.適性が高い,4.動機付けが高い,5.学習法が効果的)について。目からうろこの話でした。  

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     経済系です。講師の方は,鹿児島県立短大の山口祐司先生です。テーマは「経済学を学ぶ意味です」。

     はじめに経済学のイメージは何ですかという質問がありました。本校生徒は世の中の仕組みが分かる。難しいという答えでした。県短の学生の答えは,お金のことを考える。株などでもうける。景気を予測する。社会のことが分かる。つぶしがきく,だそうです。経済とは何か。経済と市場。経済学とは。市場の仕組みと基礎理論の話。需要曲線と供給曲線。人気に火が付くと価格が同じでも需要量は増加する。コロナ禍の飲食店で価格が変わらなくても量が減る。コロナとマスクの価格減少についてなど,身近な例を出されてとても分かりやすかったです。50分の時間が短く感じられました。

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     幼児教育です。講師の方は,鹿児島キャリアデザイン専門学校の早瀬勇介さんです。テーマは「保育の仕事について」です。

     生徒の感想から。「保育士はずっと遊ぶだけとか思ってたから,やりとり帳とか,5分おきに子どもが息をしているかの確認があるとか知らなかった。」「元々保育士になりたくてずっと保育士のことを調べていたけれど今日の話を聞いて,やっぱり保育士っていいなと改めて思った。」「子どもの成長を見守るために,保育士には精神力やがまん強さも必要だと思った。働くのも楽しそうだからやってみたい。」

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     看護です。講師の方は赤塚学園看専門学校の玉利太一郎さんです。テーマは「看護師の仕事について」です。

     生徒の感想から。「看護の仕事は人を勇気づけ元気づける。人の心にふれる仕事。人々の痛みや苦しみを和らげるお手伝い。」「身だしなみをしつかり。精神をいやす(心のケア)が大事」

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     事務系です。鹿児島情報ビジネス公務員専門学校の谷川浩さんです。テーマは「事務系の仕事,知識」です。

     事務では,簿記,パソコン必要(最低限)。電話対応は,声を少し高く,声の印象が大事。コミュニケーション能力が大事。一番関わる仕事。ビジネスマナー,常識を身に付ける。 

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     美容系です。鹿児島県理容美容専門学校の上玉利親護さんです。テーマは「これからの美容業界について」です。

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     販売系です。株式会社ハンズマンの佐伯卓也さんです。テーマは「販売業について」です。

     生徒のメモから。ホームセンターの種類。DIY型のホームセンター。ハンズマン。食料品をあつかわない。バラエティ型ホームセンター。別名ワンストップ型。従業員は1人1台トランシーバーを持っている。新人は先輩の話を聞いて学んでいく。いろんなところに従業員がいるから分からなくてもきける。

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     ホテルは,指宿シーサイドホテル株式会社の有村純頼さんです。テーマは「ホテル業について」です。

     生徒のメモから。ホテルに泊まる=非日常を味わう。友達・恋人・家族・会社の同僚・先輩・後輩等疲れを癒やす。明日から頑張れるようサポートする。多岐にわたって支えてもらっている。掃除する人,調理する人,設備や機械をメンテナンスする人など。気遣い,気配り=初めてプロになれる。「友たちは一生もの」。自分を大切に,友達を大切に。などホテル業について,大事なことを時間いっぱい教えて頂きました。

     今回の出前授業で教わったことをもとに,進路希望について考えていきたいと思います。今日は本当にありがとうございました。

     

     

     

  • 2021年12月15日(水)

    郷土芸能専門部発表会 せばる隼人舞について

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     12月14日(火)に、令和3年度第16回鹿児島県高等学校文化連盟郷土芸能専門部発表大会が,奄美文化センターで行われました。

     東高校は、坂元台小校区に受け継がれている『せばる隼人舞~序の舞~』を披露しました。保存会の丸山さんのご指導のもと、悠々とそして凛とした演技をすることができました。

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      午後の、ワークショップでは、演出家の松永太郎さんに直接ご指導していただきました。登場の仕方や照明の効果など、目からウロコなアドバイスばかりでした。

     他校の、迫力いっぱいの伝統芸能・和太鼓に心打たれ、最後には奄美の六調を参加生徒全員で行い、一体感を味わうことができました。

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     残念ながら、入賞には至りませんでしたが、最後に、従来にない鹿児島地域の郷土芸能が参加することで、新しい風が吹いたとの講評をいただきました。次回も機会があれば参加していきたいと思います。 

     発表大会参加に関して、ご協力していただいた全ての方へ感謝いたします。

  • 2021年12月12日(日)

    韓国語スキット大会に参加しました!!

    話してみよう韓国語

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     本日鹿児島女子短期大学で、行われました。

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     今回は中高生スキット部門に参加したのは、本校以外に、大口明光学園、屋久島高校が2組ずつ参加したようです。

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     本校からは2年生2名が参加しました。

     参加部門は、中高生スキット部門 <2 人 1 組で挑戦します>です。

     ルールは、制限時間 3 分。指定の台本を暗記し、2 人 1 組で韓国語の発音や表現力を競います。1 人での参加はできません。本文 自体を変えることはできませんが、文末を変えたり、文章を一部追加することができます(本文全体の 3 分の1程度まで)。ま た、台本を読み上げることはできません。小道具は身の回り品程度とします。事前に、小道具の内容をお知らせください。 BGM を流すこともできます(機材等はご自分で準備して下さい)。ということです。

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     今回は、「キムチに合う食べ物」というテーマです。はじめに用意されたテーマがあり、最後に創作部分があります。最後については参加者が内容を考えて発表します。できるだけ気持ちを込めてするのが大事です。結果やいかに。

     なお、詳しくは本校HPトップ画面左側の関連団体リンクの「駐大阪韓国文化院」HPをみてください。

     

     

  • 2021年12月12日(日)

    校歌の研究 その21 ~吉田南中学校

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    1.大原(おおばる)の空しずかなり 白雲(しらくも)は低く流れておか広く 光り豊かに 命いのち燃えたつところ ああ吉田南中学校 2.寺山のふかき緑よ この国の歴史のとびら音たかく 開きし人の言(こと)の花今もかおりて 真実(まこと)なり 敬天愛人 3.大いなる天地の間 桜島青くそびえて若人よ 大志いだけとふき上げる煙の高き ああ吉田南中学校

     吉田南中学校は、吉田町立吉田南中学校として昭和22(1947)年創設され、平成16(2004)年に鹿児島市立となりました。設立16年後の昭和38(1963)に校歌が制定されました。その間旧校歌があったかどうか不明です。作詞は副田凱馬(そえだよしま)、作曲は井上了(さとる)です。

    副田 ←副田凱馬著『児童詩をこう育てる』

     作詞担当の副田氏について。鹿大教育学部新名主健一氏の研究や副田『児童詩をこう育てる』によると、明治39(1906)年鹿児島市生まれ、昭和63(1988)年死去。大正15(1926)年鹿児島第一師範学校本科一部卒業、同年鹿児島市尋常高等小学校(略称「市尋高」)に勤務し、昭和17(1942)年まで務めました。その後末吉小、財部南小、大龍小、鹿児島市社会教育主事、同指導係長、城南小等に勤務しました。昭和55年に博報賞を受賞した際の、功績概要には「戦前戦後を通じ、作文教育において独自の方法を開拓して著しい効果をあげてきたほか、児童詩・児童劇の創作と指導、童話の口演なども行い、県内の国語教育、文学教育に大きい影響を与えている」とあります。「学習の綴方」「番号作文」の発案、提唱者で、南方綴方推進のリーダーとして、鹿児島県の国語教育史上大きな足跡を残したとされます。番号作文とは、書くことがない、何を書いていいのか、書き方が分からないといった子どもたちに対して、題材・文材の見つけ方や文の書き表し方等を指導して、作文嫌いから作文好きにさせる作文学習の仕方だそうです。具体的には、まず文頭に番号をつけて、たくさんの文材を書かせます。その番号は書き並べる順番にもなっています。教師側は番号数が多いものに点数を付け、子どもたちは文材集めや書き並べに張り切るようになるとのことです。KJ法のような発想法に近い方法です。氏は子どもたちの「踊る心(感動)」をかき立て作文させることが大事ということです。

    井上了  ←井上了氏です。

     『広報さつま』平成31年4月号「人物探訪」25によると、作曲担当の井上了氏は大正8(1919)年鶴田村(現さつま町)に生まれました。昭和14(1939)年鹿児島師範学校本科一部を卒業。日置郡串木野尋常高等小学校、盈進国民学校訓導を歴任し、戦後昭和22(1947)年宮之城中学校に赴任。音楽教師を務め、吹奏楽部の指導にもあたりました。25年に教育事務所薩摩出張所管内の教育指導員に従事。31年に宮之城中学校吹奏楽部は第1回西部吹奏楽コンクールで優勝し、同年全国吹奏楽コンクールで第2位に輝き、その名を全国に広めました。37年鶴田小学校校歌の作曲を手掛けました。校歌は、軽やかで児童生徒の希望の朝日を呼び込むような楽曲だと好評でした。氏は昭和41年鶴田町立鶴田小学校長と鶴田幼稚園長を兼務し、その後喜入町立喜入小学校長、徳之島町立亀津小学校長、姶良町立建昌小学校長を歴任しました。定年後も教育関係に携わり、多大な功績を残した井上氏でしたが、平成9(1997)年78歳で死去されました。
     さて歌詞について。1番の大原(おおばる)は県教育センター所在地でもある大原台地です。鹿児島で「~原(はる)」地名は開墾地を指していて台地の場合が多いです。2番は全編西郷隆盛のことを歌っています。寺山は西郷さんが作った吉野開墾社のある場所で、幕末維新で活躍した郷土鹿児島の偉人である西郷さんの言葉は、今も根付いてると歌い、敬天愛人で締めくくります。3番は桜島を歌います。

    吉田南地図

     

  • 2021年12月12日(日)

    校歌の研究 その20 ~吉田北中学校

    吉田北中

    吉田北中2

    1.山紫に水清き 吉田の里を庭として 空を学びの窓とする 理想の吉田北中の 校歌を高くひびかせよ 松尾の山の松風に 2.兵どもの夢のあと 絵にも似かよう朝霧の 吉田に注ぐ女山川 仰ぐ連峰峯高や 世は私利私欲に沈むとも われ向上の道を行く 3.アネモネの花さしまねく 高牧山に朝夕の 勇む心の胸をかり 世界平和の想を練る 伸ばせ里人わが想い 新日本を建てるまで 4.早月苗田の水の色 秋田圃の月を浴び 清き心の思川 誓う岸辺に我立てば 文化の花を夢に見る 若きこの日に幸あれよ  

     吉田北中学校は、吉田町立吉田北中学校として昭和22(1947)年創設され、平成16(2004)年に鹿児島市立となりました。設立と同じ年に校歌が制定されました。作詞は新屋敷幸繁、作曲は河野吉直です。

    新屋敷1 ← 新屋敷幸繁氏

     作詞担当の新屋敷氏は、『新屋敷幸繁全詩集』によると、  明治32(1899)年沖縄県与那城村生まれ。大正12(1923)年中等文検に合格し、鹿児島県立第二中学校(現甲南高)教諭となりました。同15年高等文検合格、昭和4(1929)年第七高等学校造士館(現鹿大)講師、翌年教授となりましたが、同9年辞職し、東京大学国語研究室へ。同10年鹿児島県立大島中学校(現大島高)教諭となり2年後辞職、東京で文筆活動を始めました。同19年文部省教学錬成所・同日本出版会書籍部に勤務し、翌年終戦で退職しました。戦後は鹿児島文化協会理事・鹿児島文学会会長・西南文化研究会委員等を歴任し、昭和32年に郷里の沖縄県に戻り、中央高校校長・国際大学副学長・沖縄大学教授・同学長を務め、昭和60(1985)年沖縄市で死去。85歳でした。
     新屋敷氏の高弟であり俳人の野ざらし延男によると、氏は一人七役で、詩人・国文学者・史家・民話作家・教育者・思想家・行動する文化人であったとされ、中でも詩の活動が著名で、鹿児島の詩壇を開拓した人物でした。鹿児島初とされる詩誌「非詩人」に、妻の新屋敷つる子とともに参加し、詩集『生活の挽歌』を出版し、詩誌「南方楽園」を創刊して、鹿児島の若い詩人を集めて盛り上げました。また鹿児島で「日本文学」という研究誌を主宰し、第二詩集『野心ある花』を出版し、戦後は鹿児島で沖縄貿易をおこなうかたわら詩作を続けました。
     氏の魅力は「口語による柔軟な発想」「初々しい言葉の輝き」「言葉の硬直化を排除」「表現は平明で風刺やユーモアがあり、清涼感がある」「現実の生活に依拠し、健康的前進的で、ひまわりのような向日性」「他者に勇気を与える」詩であるとされます。またその表現は「見えないものを視て、聞こえないものを聴いている」といいます。一方本人は博学、豪快な気性、無類の話好きで、強靱な肉体と精神の持ち主とされてます。氏は鹿児島県や沖縄県の学校の校歌を数多く作詞しています。
     作曲担当の河野吉直氏についてはよく分かりません。
     さて歌詞について。県内40中のうち、歌詞が4番まであるのは当校と伊敷中のみです。新屋敷氏は前述した通り、博学・豪快な気性で、表現は平明だがユーモアがあり健康的で勇気を与える詩風とのことなので、当歌詞についても、そういう観点から、解釈した方が良いかと思います。全体的に見ると、スケールの大きさや表現の独特さを感じます。自然景観について、1番「松尾の山」、2番「女山川」、3番「高牧山」、4番「思川」と山・川・山・川と交互に読み込んでいます。1番では「吉田の里=庭」、「空=学びの窓」として、周りを山で囲まれた盆地のような吉田地域を一つの大きな校舎と見立てています。2番では「兵どもの夢のあと」(松尾芭蕉の句)とあり、吉田松尾城を巡る吉田氏と島津氏との古戦場について読み込んでいます。女山川はどの川を指すか不明ですが、女山滝が本名川添いにあるので、当地域を流れる本名川を指すのかと思います。また「世は私利私欲に沈むとも」「われ向上の道をゆく」との表現は、氏自身が沖縄復帰闘争や沖縄大学存続闘争など、長いものに巻かれるのを潔しとしない反骨の士で行動する文化人だったことと通じる部分があります。3番の「アネモネ」は地中海原産の観賞用のキンポウゲ科の赤い花ですが、特に当地域の特産ということもなさそうですが、なぜかここで出てきます。依頼を受けて訪問した際に校舎脇に植栽されていたのでしょうか。高牧山は北西側の現鹿児島高牧CCの辺りか、南側の高牧を指すか不明ですが、校歌の構成から恐らく北西の方を指すかと思います。後半は世界平和、新日本建設を歌いスケールの大きな歌詞となっています。4番は吉田地域を貫流する思川周辺の田園地帯を叙情豊かに歌い込みます。最後、岸辺で誓い、「文化の花」を夢に見るこの日に幸あれと歌い上げます。

    吉田北中地図

     

  • 2021年12月11日(土)

    本校でチャイナサロンをしました!!

    チャイナサロン

      チャイナサロンとは、中国語に関心を持つ高校生などに中国人留学生との交流を通して、ネイティブな中国語を直接聞き中国語に親しみを持ってもらい、ひいては日中友好を志す人材に育って欲しいとの思いからスタートするもので、鹿児島大学及び同大学中国人留学生学友会の協力を得て、県内高校生等の中国語学習に貢献する為、中分談話室(チャイナサロン)として、月1回程度開催するものです。(日中友好協会HPより)

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     日中友好協会主催で,令和3年度第1回チャイナサロンが,鹿児島東高校で行われました。

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     很好吃(ヘンハオチー)!! とても美味しい!! みんなでおいしくいただきました。

     チャイナサロンについては,東高校は毎年参加してきましたが、昨年度から新型コロナの影響で十分に出来ませんでした。詳しくは本校HP左側にある関連リンクから、日中友好協会HPから入ってみてください。

     

  • 2021年12月10日(金)

    インターンシップのアポ取りをしました!!

     本校では,2年生全員を対象に,来年2月1日(火)~2月3日(木)の3日間インターンシップを予定しています。1学期から実習先の希望を取り,新型コロナの影響で,実施できるかどうかはっきり分かりませんでしたが,夏休みに2学年職員で分担して,実習先訪問をして,実習先を調整してきました。病院や保育園・幼稚園での実施は難しいだろうと言うことで,看護系や幼児教育系の専門学校等に,受け入れ可能かどうか打診して,いくつか応諾の返事をいただきました。

     本日ようやく,生徒の電話によるアポイントを実施することができました。

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     各担当職員毎に各教室に分かれて実施しました。今回限り,スマホの使用許可をとり,各自のスマホで電話しました。全員電話でのアポが取れました。事前訪問の日程も決めることが出来ました。年明けに事前学習を重ね,インターンシップ前のマナー指導をして,本番に臨みたいと思います。将来の進路希望先決定に,活かしてもらいたいと思います。 

  • 2021年12月10日(金)

    県ダンス発表会に参加してきました!!

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     12月8日~9日,2日間にわたり,第72回鹿児島県学校ダンス発表会が,かごしま県民交流センターで行われました。

     鹿児島東高校は,1年生のダンス授業選択者12人で舞台に立ちました。

     YOASOBIさんが歌う「もう少しだけ」の曲に,自分たちで振付を考えて,踊りました。

     誰かの「もう少しだけ踏み出したい」「もう少しだけ優しくなりたい」を一押しできる存在になれるよう,思いを込めて元気いっぱい踊りました!

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  • 2021年12月08日(水)

    統一LHR 性教育講演会がありました

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     本日体育館で,全校生徒を対象とした,統一LHR「いのちの大切さを考える講演会(性教育講演会)」がありました。テーマは「性について~わたしたちの未来~」です。

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     講師の方は,いまきいれ総合病院NICU助産師の 島田めぐみ氏です。

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     まず自己紹介の後,体のしくみ。今妊娠したら。避妊について。相談窓口「かごぷれホットライン」「にんしんSOSかごしま」の紹介。中絶について。

     性は,3つの要素がある。生殖の性,快楽の性,連帯の性。快楽の性だけでなく,生殖の性,連帯の性について考えていかないといけない。性という漢字は,心+生から成り立っている。将来について,ライフプランの話。途中途中で,ビデオを見たり,軽めの話を挟んだりして,とても分かりやすく,聞くことができました。なによりも講師の先生の話しぶりがとても,真摯な言葉で,一言一言が心に染み入るような感じでした。最後にご自身が体験された,未受診妊婦の話。これは涙なくしては聞けない話でした。その時は何もできなかったが,いまできることは,できるだけ多くの人々に,性についての話をして,いのちの大切さを伝えていくことだけだとの言葉はとてもよく分かりました。 

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     みんな,一生懸命聞いていました。この後,教室に戻って,アンケートを書いて,感想をまとめます。

     

     

     

  • 2021年12月08日(水)

    韓国語の授業で,ユンノリで遊びました!!

     本校では第二外国語の授業があり,2・3年次に韓国語や中国語を選択します。今日はテスト明けの授業で,日本で言うすごろくのような,韓国の伝統的な遊びである「ユンノリ」をしていました。

     ウィキペディアによると,ユンノリは、朝鮮半島に伝わるすごろくのような遊戯で,語義はユッ(윷、遊戯に用いる「棒」+ノリ(놀이、「遊び」)ということです。さいころのかわりに4本のユッ(윷)と呼ばれる木の棒を投げ、落ちたときのユッの状態に応じてコマを進めていきます。コマを合体させたりする戦略的要素がある,そうです。

     

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    本校のチェ先生に教えてもらって,早速2チームに分かれてゲーム開始です。

    ユンノリ

     左下がスタートで,ゴールでもあります。4本の木の棒を投げ,出た目でコマを進ませ,ゴールを目指します。

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     生徒たちはすぐにやり方を覚え,出た目によって,一喜一憂していました。

     

  • 2021年12月07日(火)

    大同高級中学HPに本校との交流の記事がありました!!

     11月25日(木)に、修学旅行の一環で行った,オンライン交流の様子が、交流相手校である「台北市私立大同高級中学」のホームページに、記事が載っていましたので、次に紹介します。

    大同高級中との交流記事

    記事の日本語訳(グーグル翻訳による)

    台北私立大同高校のプレスリリース

    テーマ:日本の台北私立大同高校と鹿児島東高校の間のノンストップオンライン国際交流

    日付:民国暦110年(2021年)11月25日

    場所:台北市中山区中山北路第40節第3節;台北からの報告

    発行日:民国暦110年(2021年)11月25日

    活動室:大同高校、国際教育グループ、学務室 戴晨修DaiChenxiu(2585-8785#105)

    報道関係者:鄧志全Deng Zhiquan、チーフセクレタリー(2585-8785#102)

     国際交流は中断されません!日本の鹿児島東高校は当初、私立大同高校を訪問するために台湾への教育旅行を計画していましたが、新たな冠肺炎(新型コロナウイルス)の流行の影響により、それはできませんでした。それにもかかわらず、COVID-19の流行の下で学生の国際的な視野を広げるために、2つの学校の校長は110年(2021年)の夏休み以来、オンラインビデオの国際交換を計画し始めました。今回は慎重に計画する黃政詩HuangZhengshiと戴晨修DaiChenxiuディレクター。オンライン国際交流活動。 7月の夏休みの初めに、私立大同高校の生徒たちは、日本の鹿児島東高校の学習パートナーに台湾の最高のものを紹介したいと熱心に話し合い、準備を始めました。学生たちは一連のトピックを準備しました:台湾の最も有名な景勝地の紹介、特別な料理、特別な果物、台湾茶と日本茶の類似点と相違点、台湾の都市の伝説、有名な台湾のオペラ、そして中山北の最も重要な文化的習慣道。学生たちは実際のオンラインコミュニケーションが来る日を待つことができません。

     11月25日の実際のオンラインコミュニケーションの日に、私立大同高校の学生が日本の学習パートナーに台湾関連のトピックを紹介することに加えて、鹿児島東高校の学生は鹿児島の多くの、地元の文化的および歴史的アトラクションやその特色を紹介しました(霧島、指宿、鹿児島の世界遺産、食べ物、自然、西郷さんと鶴丸城御楼門など)。 2つの学校の生徒はオンラインプラットフォームで学習成果を共有し、お互いの文化を体験しました。それは非常に興味深く、生徒も目を見張るものがありました。鹿児島東高校の生徒たちは、クラスメートによる台湾で最も有名な歌仔戯の演奏に非常に感銘を受け、中山北路の文化、歴史、文化的慣習にも非常に興味を持っていました。彼らは私立大同高校に来ることを望んでいました。流行が鈍化した後。このオンライン交換と共有では、当校の人文科学クラスの学生が流暢な英語を使って台湾をブリーフィングの形で紹介し、お互いが居住地の歴史的および文化的特徴をよりよく理解し、国際理解を深めることができるようにしました、そしてまたお互いの親密な友情につながります。

     最後に、私たちはオンラインでお互いに別れを告げ、台北私立大同高校と鹿児島東高校の間の国際交流活動を惜しみつつ終わらせました。

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     あちらでは、ミラーではなくバッチシ写っていました。

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  • 2021年12月05日(日)

    校歌の研究 その19 ~錫山小中学校

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    1.山なみ清く ほのぼのと みどりの風は 朝をよぶ 自主の心を ひとすじに 正しく学ぼう 鐘が鳴るああ 鐘が鳴る 錫山校 2.立神山よ うぶすなの 心を結び 手をとって優愛共に うるわしく 明るく進もう 歌が湧くああ 歌が湧く 錫山校 3.理想も高く 美濃岳の 輝く雲に こだまして英知を磨き たくましく 大きく生きよう 夢がよぶああ 夢がよぶ 錫山校

     錫山小中学校は、谷山町立第二中学校(現和田中)錫山分校として昭和22年創設され、31年中学校が独立して小学校に併設し、谷山町立錫山小中学校となり、42年に鹿児島市立となりました。鹿児島市で唯一の小中併設校です。設立5年後の27年に校歌が制定されました。作詞は蓑手重則、作曲は西勇恕です。両者については、城西中のところで紹介しました。
     『谷山市誌』によると、錫山地区は、その名の通り、江戸前期の明暦元(1655)年に錫鉱が発見され、藩主島津氏代々の直轄地として栄えました。鉱山奉行が置かれ、子弟の教育も早くから発達し、安永3(1774)年稽古所が設立されました。明治になって啓蒙学舎、錫山尋常小学校となり、現在の小中学校につながっていきます。
     さて歌詞について。蓑手氏は市内8中の歌詞を作詞しています。氏の歌詞の特徴として、桜島、甲突川、錦江湾を読み込み、自主(自治)の鐘は鳴る、友愛の花かおる、希望の翼はばたくなど共通のワードが見られますが、当校の歌詞でも、1番で「自主の心~鐘が鳴るああ鐘が鳴る」、2番に「友愛」が出てきます。ただ山中のためか、景観については、2番に西側の「立神山」、3番に東側の「美濃岳」が出てきます。また2番に「うぶすな」とあり、錫山の産土神である立神神社(立神山中腹にあり)も読み込んでいます。その他併設校ならではですが、小学校歌詞と中学校歌詞があります。たとえば1番では、小学校歌詞は「なかよしこよし きょうもまた 正しく学ぼう鐘が鳴る」で、中学校歌詞が「自主の心をひとすじに正しく学ぼう鐘が鳴る」となっています。

    錫山地図

     谷山4中と錫山小中の位置関係です。

  • 2021年12月05日(日)

    校歌の研究 その18 ~福平中学校

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    1.萌える若くさ あけぼのの光照り添う 丘の上たぎる生命の若人がかざす理想の旗じるし文化日本の 建設を誓う至純の情と熱 2.遠くそびえて さくら島示す久遠の あこがれに みがく究理の 智と心そろう足音 ほがらかに高く希望の 目をあげてすすむ福平中学校 

     福平中学校は、谷山町立第四中学校として昭和22年創設され、24年現校名に改称され、42年に鹿児島市立となりました。旧谷山町内には第一中から第四中まで番号がついた学校が出来ました。それぞれ現谷山中・和田中・谷山北中・福平中です。設立2年後の24年に校歌が制定されました。作詞は郡山繁、作曲は田中義人です。田中氏については伊敷中のところで紹介しました。郡山氏は未詳です。
     さて歌詞について。市内40中のうち、歌詞が2番までしかないのは、当校と黒髪中のみです。歌詞を見ると、1番は生徒の事を歌い、2番では桜島を歌っています。近くに大きな川は無いですが、錦江湾について歌う3番があっても良さそうです。はじめから作られなかったか、それとも実は存在するのか、謎の3番です。
     当校HPによると、沿革史の中で、校名は幸福の福と平和の平から、福平としたとの話が出てきます(校域の、下福元と平川からとった説もあり)。終戦直後の復興の気運が象徴され、1番の歌詞にも「文化日本の建設を誓う」とあり、その思いが強く込められています。同じく1番に「あけぼのの光照り添う丘の上」とあり、この丘は、当校西側に、南北に連なる薩南山地(現指宿スカイラインがその尾根沿いを走る)のことを指しているのでしょうか。2番では「遠くそびえてさくら島」とあり、当校からはるかに望む桜島に対して、久遠、あこがれ、究理、希望と表現しています。

    福平地図

  • 2021年12月04日(土)

    校歌の研究 その17 ~谷山北中学校

    谷山北

    1.若木ことごと 日に映えて山田ヶ丘の 朝の風精気を集め 若駒は希望に燃えて 駆けていくああ光栄の 谷山北中 2.若き力は 溌剌とつとめいそしむ 文の園自主の旗風 空に鳴り文化の香り 咲き匂うああうるわしの谷山北中 3.流れも清き 永田川友愛溢れ よどみなき明るい平和 たたえつつ正しく強く 進みゆくああ栄え行く 谷山北中

     谷山北中学校は、谷山町立第三中学校として昭和22年創設され、24年現校名に改称され、42年に鹿児島市立となりました。旧谷山町内には第一中から第四中まで番号がついた学校が出来ました。それぞれ現谷山中・和田中・谷山北中・福平中です。設立3年後の25年に校歌が制定されました。作詞は職員一同、作曲は林幸光です。林氏については鴨池中のところで紹介しました。
     さて歌詞について。1番に「山田ヶ丘」(現山田IC辺りを指すか)、3番に「永田川」と山と川の景観を読み込みます。問題は2番の歌詞で、「文の園」「文化の香り」が具体的に何を指すかはっきり分かりません。
     調べてみると、当校HPには、当校域は谷山北部の地域で、地元の人から「溪北郷」と呼ばれ、「谷山郡の北辰斜めにさすところ」と愛されている地域とのことです。この例えは旧制七高(現鹿児島大学)を指しているので、学問の盛んな地域であると言っているのだと思います。『谷山市誌』を見ると、実際当校域は江戸期から学問の盛んな地域で、現在の中山小学校の辺りにあった辺田学館(後の辺城学舎)と、現在の宮川小学校の辺りにあった川口稽古所の両方の伝統を併せて、学域となったようです。ちなみに、現在宮川小学校のそばには、平成2(1990)年に皇徳寺中学校が、谷山北中学校から分離開校しています。
     地域の景観や歴史を踏まえて、校歌の中に盛り込んでいく。創設当初の教職員の、当校に込める強い思いを感じられるとても良い校歌だと思います。

    谷山北地図

     当地域は、武岡地域同様、団地造成が盛んな地域で、中学校が密集しています。1979年以降設立ラッシュであることが分かります。

  • 2021年12月04日(土)

    校歌の研究 その16 ~和田中学校

    和田中

    和田中2

    1.秀麗匂う桜島 理想と仰ぐこの窓辺見よ向学の眉あげて若き希望に結び起つ意気あり われら われら和田中学   2.錦江湾の新潮に  たゆまず磨く身と心 見よ友愛の手をとりて真理の道を進むもの夢あり われら われら和田中学 3.久津輪ヶ崎の春秋に高く掲げし自主の旗見よ蛍雪の試練越え郷土のあすを拓くもの 栄えあり われら われら和田中学

     和田中学校は、谷山町立第二中学校として昭和22年創設され、24年現校名に改称され、42年に鹿児島市立となりました。旧谷山町内には第一中から第四中まで番号がついた学校が出来ました。それぞれ現谷山中・和田中・谷山北中・福平中です。校歌は設立10年後の32年に成立しました。創立10周年記念で制定されたようです。作詞は高城俊男、作曲は武田恵喜秀です。両者についてはそれぞれ永田中、清水中のところで紹介しました。
     さて歌詞について。作詞者の高城氏は、市内40中のう5中を作詞しています。その特徴は以前も触れましたが、1番に桜島、2番に錦江湾を歌うことが多く、また各歌詞の最後に、学校名を入れて締めくくるパターンが多いです。さらに当校の場合、3番で「久津輪が崎」というローカルな地名を歌っています。

    いさちさ神社

     これは、近くの谷山総鎮守である伊佐智佐神社の例大祭で行われていた神事「浜下り」で、御神輿を御神幸されていた場所で、神楽や神舞が行われていたそうです。しかし現在は工業団地が造成されたために出来なくなったとのことです。また最後に「郷土のあすを拓くもの」とあり、地域の干拓の歴史(和田干拓)を踏まえて、開拓精神を歌っています。

    和田中地図

     

     

  • 2021年12月04日(土)

    南日本新聞若い目に載っていました!!

     12月4日付南日本新聞の「若い目」に2年生上篭璃桜さんの投稿が掲載されていましたので、紹介します。

    21.12.4南日 若い目 上篭

  • 2021年12月04日(土)

    校歌の研究 その15 ~谷山中学校

    谷山中1

    谷山中2

    1.谷山脈(たにやまなみ)の深みどり永田の川に映ゆるとき夢美しき若人の希望はぐくむ自治の鐘 2.清見が橋に火の島のつきぬ煙を仰ぎてはさんたる真理きわめつつ築く平和の新文化 3.黒潮虹としぶきつつ錦江湾によるところ知徳を磨く若き子の心にともす正義の火

     谷山中学校は、谷山町立第一中学校として昭和22年創設され、24年現校名に改称され、42年に鹿児島市立となりました。旧谷山町内には第一中から第四中まで番号がついた学校が出来ました。それぞれ現谷山中・和田中・谷山北中・福平中です。校歌は設立直後の5年後の27年に成立しました。作詞は浜田盛秀、作曲は出口信雄です。

    浜田盛秀 ←浜田盛秀氏
     作詞担当の浜田氏は、『浜田盛秀作詞集』によれば、明治43(1910)年伊集院町生まれ。大正12(1923)年鹿児島県立第一中学校(現鶴丸高校)入学(在学中病を得て退学、その闘病中に短歌への開眼と信仰による人生観を深めたとされる)、昭和2(1927)年伊集院中に編入。同4年卒業後、川辺町田代尋常高等小学校を初め、伊集院町飯牟礼尋高、東市来町鶴丸尋高勤務を経て、昭和17年鹿児島県師範学校専攻科入学、翌年卒業。その後串良町・伊集院・日吉町・国分市の小中学校に勤務し、昭和42(1967)年退職。旧制中学時代の昭和2年短歌結社「水甕」に入集し、同18(1943)年同人となります。歌集『風紋林』『雪の弥撒(ミサ)』等発刊。昭和49、56年には、宮中歌会始詠進歌に佳作(「プレス工みなあどけなし車椅子輪になり朝の作業待ちをり」)、入選(「しんしんと花枇杷に降る火山灰(よなの)音わびしかれども島を護らな」)を果たしました。平成4(1992)年死去、享年82歳でした。
     浜田氏は、昭和20後半~30年代後半の約10年間に、数多くの小中高の校歌や「ラジオ南日本の歌」(現MBCの社歌)等の団体歌を作詞されました。

     薩摩川内市立西方小学校校歌については、その作詞過程が分かっています(同校HP参照)。昭和36年単独校舎改築の際にPTAから校歌制定の要望があり、当時国分市立郡山小学校校長だった浜田氏に作詞の依頼がなされました。氏は昭和37年1月に校歌案を3編も作詞されたそうです。同校には直筆原稿が残されています。それによると「その二」の歌詞が採用されたようです。

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         校歌 その一             校歌 その三

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    校歌 その二(現校歌は1番「まなびの窓」が「まなびの庭」に1字変更)

    (薩摩川内市立西方小学校ホームページより転載しました。)

     作曲担当の出口信雄氏については未詳です。

     さて歌詞について。1番には「谷山脈(たにやまなみ)」「永田の川」、2番には「清見が橋」「火の島」、3番には「錦江湾」と地域の景観を歌います。永田川は鹿児島市域を流れる川としては甲突川に次いで大きな河川で、周辺一帯が古代薩摩国谷山郡を構成します。清見橋は永田川にかかる橋で、そこから火の島(桜島)を仰ぎ見るという構図です。歌人として著名な氏ならではの、詩情あふれる歌詞となっています。

    谷山地図