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2021年8月

  • 2021年08月31日(火)

    県高校音楽コンクールで,銀賞を受賞しました!!

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     8月17日(火)第45回鹿児島県高等学校音楽コンクール金管・木管楽器部門が,霧島国際音楽ホール(みやまコンセール)にて開催されました。本校2年生,新田彩乃(にったあやの)さんが,Tubaという大きな楽器で出場しました。

     伴奏者を新田さんの中学校時代の顧問である遠矢圭祐先生(写真中央)が,指導を本校の卒業生で同じTubaを吹いていらっしゃった橋口順一先生(写真右側)が引き受けてくださいました。「人の縁」というものは,本人のChallengeしようという強い気持ちが引き寄せます。お二人とも,新田さんの真面目さに呼応するように,熱心に指導してくださいました。1ヶ月という短い期間の中で,新田さん自身が実感できるほど技術は伸び,本番を迎えることができました。

     コンクールの結果は銀賞でしたが,この夏,新田さんが得たものは金賞以上だったことでしょう。今後の活躍が楽しみです。そして,生徒の可能性を伸ばしてくださったお二人の先生方に心より感謝いたします。

     東高校生のみなさん,そして,東高校に興味を持っている中学生の皆さん。この東高校でChallengeして,気づかなかった新しい自分にchangeしてみませんか。

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     会場となった,霧島国際音楽ホール(みやまコンセール)です。

  • 2021年08月29日(日)

    学校周辺の史跡 その8 ~関吉の疎水溝

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    疎水溝地図

     本校の最も一番近くにある「世界遺産」は、「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産の中の「関吉の疎水溝」 です。疎水溝は関吉の取水口から実方を通り、大明丘、雀ヶ宮、落し、磯の仙厳園のところまで続きます。  

     稲荷川の上流、関吉から磯までの約7kmおよぶ用水路である。元は島津家21代吉貴が隠居した頃に造られたとされる。28代斉彬は集成館事業のためにこの用水の流路を一部変更し、動力源として利用した。今でも実方橋の手前まで農業用水として利用されている。平成27(2015)年に世界遺産「明治日本の産業革命遺産」として登録された。稲荷川上流で水をせき止め、取水した水を約7kmにわたって運ぶ疎水溝を、高低差の少ない吉野台地上につくるには、水路を一定の傾斜で築く必要があり、きわめて高い技術が要求された。こうした困難を克服して疎水を引き、疎水の端部にあたる磯の裏山に貯水池を設けて水路・懸樋(かけひ)で落とされて、運ばれてきたた水が工場群の動力や用水に利用された。疎水溝は、昭和46(1971)年頃の大明丘団地造成によって埋められ、現在は実方橋の手前で途絶え、約3kmが現存するのみである。

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     平成30(2018)年10月18日(日) 大明丘地域コミュニティ協議会の方から依頼を受け,ウォーキング大会で,本校生徒が,関吉の疎水溝のガイドを行いました。スタート地点の大明丘小学校で、はじめに開会式と疎水溝のガイドを行いました。

     疎水溝の取水口から、磯までの水路を、地図を貼り合わせて作成し、たたみ3枚ほどにまとめました。大明丘小学校の子どもたちもたくさん参加していましたので、クイズ形式で行いました。

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     上の写真は、協議会便りに載せられたものです。

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     総勢70人程で、疎水溝をたどって、取水口の方まで歩きました。

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     現地で、ガイドの方の説明を聞きました。そのあと記念写真をとって、稲荷川添いを通って帰りました。

     なおガイドで使用した疎水溝のパネルは、その年の本校の文化祭でも掲示しました。

     

  • 2021年08月28日(土)

    日本史おすすめ本 その12

      長い夏休みです。この期間を利用して読書してみませんか。日本史にまつわる本を紹介したいと思います。

    日本史おすすめ本 (12)

  • 2021年08月27日(金)

    学校周辺の史跡 その7 ~東目筋

    薩摩街道

     水色の線が,西目筋。ピンクの線が,東目筋です。

     江戸時代,薩摩藩の陸上交通における領外への幹線街道は,西目筋と東目筋に分けられていた。西目筋は鹿児島城下→(西田橋)→伊集院→市来→串木野→川内→阿久根→出水と続き,豊前・小倉に向かい,東目筋は鹿児島城下→実方→吉野→吉田→(白銀坂/2006国指定史跡)→重富→加治木と続き,そこから大口筋,加久藤筋,日向筋(高岡筋)と3方に分かれていく。日向筋は,その後海路で大坂・江戸へ向かっていくことになる。

      東目筋は,明治6年(1873)海岸線が重富まで開通するまで,この吉野-白銀坂が重要な道路だった。鶴丸城→上町→たんたど→実方(太鼓橋,御内用方,別府晋介・桐野利秋誕生地,実方神社)→帯迫(現吉野小,第12郷校,吉野私学校,吉野薬園)→御召覧の岡→菖蒲谷→関屋谷→牟礼ヶ岡→吉田→白銀坂へ

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     東目筋は本校生徒がいつも利用しているバス路線と重なっています。鶴丸城から10号線を北東へ,柳町→大龍小学校前→玉龍高校前→鼓川→お茶の水→たんたど→東高校下→東坂元四丁目→葛山入口バス停を過ぎて左に曲がり(写真の所です),実方方面に向かいます。この道は西南戦争の時に,西郷さんが行きも帰りも通っています。

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    東目2

     平成29(2017)年9月30日 観光ガイドで、本校生徒が東目筋についてガイドしています。

     後半は西南戦争で敗走する西郷軍がこの道を通り,城山まで突入する時の話をしています。

     明治10(1877)年2月15日西郷隆盛ら挙兵し、西南戦争が始まった。西郷軍は熊本城を包囲したが落とせず、3月田原坂(熊本)で政府軍と激突し敗走、6月人吉(熊本)、7月宮崎方面と退却し、政府軍の包囲網を突破して鹿児島に帰り、城山にこもり、9月24日城山も陥落、西郷以下、桐野利秋、別府晋介ら討ち死にし、7ヶ月に及ぶ戦闘は終結した。
     城山に帰る途中、江戸期の東目筋のルートを通り、帯迫・実方で、西郷軍と政府軍が戦っている。西郷軍は蒲生→吉田→吉野へ南下。9月1日帯迫→実方→稲荷町→城山へと進んだ。対する政府軍は、南下する西郷軍を迎え撃つため、第2旅団(坂元→下田→川上)と新撰旅団(たんたど→実方→帯迫)の二手に分かれて進み、この内新撰旅団と西郷軍が衝突した。
     9月1日午前10時05分 帯迫の戦い。西郷軍が吉野私学校(現吉野小)で休憩している時、政府軍から攻撃あり。西郷軍の前軍は辺見十郎太が率いて鹿児島に突入。中軍の貴島清は帯迫で戦い、後軍の河野主一郎が実方橋を守った。辺見が負傷したので、河野が代わって指揮をとり、私学校から米倉(現鹿児島市役所)を砲撃。
     9月1日午後1時頃 実方の戦い。河野は鹿児島での応援を求められ、水間蓮に40余名を残して実方橋を守らせた。翌2日に実方は政府軍に占領された。前軍の西郷は、護衛されながら、城山に入ったと思われる。

  • 2021年08月27日(金)

    第2回 就職模擬面接です。

     8月26日(木と)27(金)の2日間,就職模擬面接を行いました。今回は特にコロナ対策として,通常のマスク・アルコール消毒の徹底のほか,面接官の前と横にアクリル板を設置し,面接官と生徒の間を2m以上開けるなど,感染対策に十分配慮した形で実施しました。

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     本校では,就職希望者に対して,3回模擬面接を実施しています。今回はその第2回目と言うことで,夏季課外で十分対策をとった上で臨みました。今回はハローワークの澤田さんと有本さんのお二人に,面接官をお願いいたしました。

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     面接控え室の教室には,今後の日程と必要なもの,注意すべき事なとが書いてありました。いよいよ就職選考が近づいてきました。最大限の努力をして第一希望の会社に内定をもらえるように頑張りましょう。

     

  • 2021年08月26日(木)

    突然、緑の塔が‼

     大竜小近くから前方の山の上を見ると,本校体育館の赤い屋根が見えます(この写真では見えにくいですが)。ところが昨日から左手に緑の塔が見えます。何だこれは?!

    緑の塔と体育館

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    その正体は………。

    本校グラウンド角にある高圧電線の鉄塔が,塗装作業のためか,緑のカバーがしてありました。

  • 2021年08月26日(木)

    日本史おすすめ本 その11

      長い夏休みです。この期間を利用して読書してみませんか。日本史にまつわる本を紹介したいと思います。

    日本史おすすめ本 (11)

  • 2021年08月23日(月)

    日本史おすすめ本 その10

      長い夏休みです。この期間を利用して読書してみませんか。日本史にまつわる本を紹介したいと思います。

    日本史おすすめ本 (10)

  • 2021年08月22日(日)

    学校周辺の史跡 その6 ~実方橋

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    (上)現在の実方橋の写真です。平成5(1993)年のいわゆる「8・6水害」以後掛け替えられました。

    (下)流される前の実方橋の写真です。

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    実方周辺地図

     地図の出典:西元肇『吉野台地の史跡 石碑・石塔を読む』(1999.8)

     本校から、実方方面に向かって進むと、実方橋が見えてきます。今まで紹介してきた史跡を、西元さん作成の地図で確認してみてください。

     実方太鼓橋は、江戸時代「東目筋」と呼ばれる、鹿児島と重富方面を結ぶ重要な道路にかかる橋として大切な役割を持っていた。しかしいつごろだれが作ったかについては橋に銘もなく分からない。昭和61(1986)年鹿児島市が学術調査をしたが、年代・作者は不明で、江戸初期と言われている。当初は木橋だったが、のち石橋に改められたのではないか。平成5年(1993)のいわゆる「8・6水害」で流出し、同7年3月新しく鉄筋コンクリートの橋が架けられた。
     また以前触れたが、平安中期の歌人藤原実方の歌「いかにせむ久米路の橋の中空に渡しも果てぬ身とやなりなむ」に因んで、この橋を実方橋といい、周辺の地名になったのではないかとの説がある。
    「久米路の橋」は「役の行者が神に命じて、大和の葛城山から吉野の金峰山まで架け渡そうとしたという伝説上の橋。葛城の神が夜間しか働かなかったために完成しなかったという」との故事から、多く和歌で自分の恋が成就しないことの例えとされる。

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    平成29(2017)年9月30日 観光ガイドで、本校生徒が実方橋についてガイドしています。このミニツアーに参加された方は、とても熱心に聞いて頂きました。

  • 2021年08月21日(土)

    学校周辺の史跡 その5 ~平田可竹庵跡

     本校から、実方方面に向かって進み、実方橋を渡る手前で左に曲がり、20mほど進むと、左手が平田可竹庵跡になります。

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    (上)道路を挟んで両側一帯が可竹庵跡です。特に説明板はありません。(下)右手の高台を、坂の上から見た写真です。

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     城山の近くに薩摩義士碑がある。江戸中期の木曽川治水工事を担当した、有名な家老平田靭負ら薩摩藩士の顕彰碑である。実は本校の近くに、その同族でないかと思われる人物の、平田可竹(宗弘)が、晩年過ごした跡があるのだ。
     戦前の吉野の郷土史家平田猛著『吉野の史蹟』に、江戸初期の弓術の達人平田宗弘の話が出てくる。宗弘の祖父は射術を日置流東郷重尚・吉田印西に学び、代々射術の達人で門弟も多数あった。宗弘はその他兵法・書画・和歌等多芸多能で、藩の吟味役も勤め、四十歳で出家し四国遍歴もしたそうだ。十八歳の頃二張の弓を同時に引いたり、百射百中を披露したりとの逸話が残る。実方橋の近くに可竹庵を作り晩年そこに住んだらしい。

     

  • 2021年08月19日(木)

    日本史おすすめ本 その9

      長い夏休みです。この期間を利用して読書してみませんか。日本史にまつわる本を紹介したいと思います。

    日本史おすすめ本 (9)

  • 2021年08月19日(木)

    学校周辺の史跡 その4 ~実方神社

    実方神社写真

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     本校から実方方面に歩き、実方橋を渡り、坂道を上ると、信号があります。そこから左ななめに進むと、実方神社があります。 

     神社の創建など由緒については、資料が何も残っていないのではっきりしたことは分かりません。天照大神、大山祇神(山の神)を祭っていて、古くから地域の産土神(鎮守の神)として崇敬されています。神殿には石造の御神体と菅原道真の木像が安置されています。明治12(1879)年に、天神山にあった天満宮の菅原道真の木像が 実方神社に一緒に祭られました。その木像の胎内に由来が次のように記されています。
     鹿児島の天神山(実方の少し北の所)に、宮之城島津家5代目久竹公の別邸がありました。久竹公は以前から学問好きで、天神山にお堂を作り、学問の神様菅原道真公の像を祭り、別邸の守り神にしようとしました。そこで江戸前期の貞享3(1686)年に、家臣の鳥居忠有が、菅原道真の像を作りお堂に納めました。実方神社の案内板には「祭神は平安時代の歌の神様である藤原実方ではないか」と書かれています。藤原実方は、源氏物語の作者紫式部とも関係があり、百人一首にも採用され、当時有名な歌人でした。

     本校の一番近くにある、学問の神様をまつってある神社です。3年生はこれから進路実現に向けて頑張りましょう。

  • 2021年08月17日(火)

    学校周辺の史跡 その3 ~別府晋介誕生地碑

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     本校から実方方面に歩き、実方橋を通り、しばらく進むと道路脇左手に四角い石を4つ重ねたものがあります。これが目印です。ここを左に曲がっていくと,途中左側に入ると第1回で案内した「御内用方跡」があり,曲がらずに過ぎると,右手に「別府晋介誕生地」があります。 

     別府晋介は弘化4年(1847)実方に生まれ、桐野利秋はいとこに当たり、この2人は実の兄弟以上に仲が良かったと言われています。
    別府は戊辰戦争で活躍し、常備隊の小隊長に任命されました。西郷隆盛を厚く尊敬していて、西郷の上京に同行したり、朝鮮半島への視察等、腹心として仕事をしました。しかし明治6年西郷が征韓論争で敗北して下野すると、別府は桐野と共に帰郷します。その後私学校の創設に尽力して若者の育成に努め、加治木郷の区長になりました。明治10年の西南戦争でも独立大隊の隊長として奮戦します。9月24日、銃弾を足に受け動けなくなった西郷が切腹を覚悟すると、別府晋介は駕籠から降りて「御免なったもんし(お許しください)」と叫びながら西郷の介錯をしました。その後、自身も岩崎谷で自決しました。31歳という若さでした。この日、死を覚悟した別府は自分の側を離れようとしない部下に「早く逃げろ」と叱った話が伝えられています。また、自身の俸給を部下に分け与えたという逸話からも、別府の人柄は公平無私であった事がうかがえます。

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     ミニツアー参加者を案内しているところです。左端のオレンジの方は本校平成11年度卒業生で、ミニツアーの企画をされました本田静さんです。

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     平成29(2017)年9月30日 本校生徒が観光ガイドをしたときの様子です。生徒会長をしていた田中君のガイドです。しっかり石碑を手で示して説明しています。

  • 2021年08月16日(月)

    平成26年度 第8回 話してみよう韓国語 全国大会第3位の記事

     南日本新聞 平成27(2015)年3月25日(水)の記事に,「話してみよう韓国語」全国大会第3位の記事が載っていました。

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     今年は,12月12日(日)に,鹿児島大会が鹿児島女子短期大学で開催される予定です。今年も本校からの参加があるそうなので,がんばってください。

     詳しくは本校HPトップ画面左下の,関連団体リンク「駐大阪韓国文化院」から,「話してみよう韓国語」「各大会のホームページ及び問い合わせ先」「第17回「話してみよう韓国語」鹿児島大会」ホームページを見てください。

  • 2021年08月15日(日)

    学校周辺の史跡 その2 ~桐野利秋誕生地碑

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     本校から実方方面に歩き、実方橋を通り、坂道を上って,信号を右に曲がると,桐野利秋誕生地碑があります。今は実方公園になっています。 

     桐野利秋は、天保9年(1838)吉野村実方で生まれた。幼少から示現流の立ち木打ちに徹し、文久2(1862)年島津久光に従って上洛し、勤王の志士として名を馳せた。西郷隆盛からも認められ、戊辰戦争では東北にまで転戦して活躍し、維新後陸軍少将となった。その後熊本鎮台司令長官、陸軍裁判所長となったが、明治6年征韓論争により帰郷し、私学校を設立し、吉田で開墾に励んだ。
     明治10年の西南戦争では、薩軍の総参謀となり大活躍したが、同年9月24日城山の岩崎谷口で生涯を閉じた。
     無学文盲と言われたがそんなこともなく、同時代の勝海舟や大隈重信にも評価されていた。また、洒落者として有名で、陸軍少将時代には金無垢の懐中時計を愛用し、軍服はフランス製のオーダーメイド・軍刀の拵えも純金張の特注品を愛用し、フランス香水を付けていた。城山で戦死した際にも遺体からは香水の香りがしていたといわれている。

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     平成29(2017)年9月30日 本校生徒が観光ガイドをしたときの様子です。写真左端がガイドの生徒です。

     

  • 2021年08月14日(土)

    南日本新聞に,8月4日の選挙を語る会の記事が載ってました!!

    8月13日(金)付南日本新聞の記事から

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  • 2021年08月10日(火)

    日本史おすすめ本 その8

      長い夏休みです。この期間を利用して読書してみませんか。日本史にまつわる本を紹介したいと思います。

    日本史おすすめ本 (8)

  • 2021年08月09日(月)

    学校周辺の史跡 その1 ~御内用方跡(藩の製紙場)

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     本校から実方方面に歩き、実方橋を渡ってしばらく進んでから左に入ると、御内用方跡がある。それは薩摩藩主御用として、最上質の紙を製造していた紙屋の跡である。古代の薩摩国は、税として紙を納めていた。江戸初期に薩摩藩は楮(紙の原料)の品種改良を試み、美濃国から技術者を招いたりした。また3代島津光久は、領内に楮を植えさせ、女子に紙漉きの技法を習わせ、各所に紙屋を設けさせた。そのため古くからこの地では下級武士が携わり、武家の妻女が従事していた。幕末の志士桐野利秋も少年の頃より農業を行いながら、紙漉きも従事して、家計を助け母を養っていたという。実方橋のすぐ上流の岩で、楮をたたいて柔らかくしたり、実方神社の真下の疎水溝の水を用水として利用していたらしい。楮をたたく音が、ちょうど太鼓を打つ音に聞こえ、鼓川、たんたどの地名の由来とされる。明治後も製紙は続けられ、実方紙として市内でも販売されていたとの話である。

  • 2021年08月08日(日)

    日本史おすすめ本 その7

      長い夏休みです。この期間を利用して読書してみませんか。これから,日本史にまつわる本を紹介したいと思います。

    日本史おすすめ本 (7)

  • 2021年08月07日(土)

    本校所在地「葛山(かつらやま)」の由来について。

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     本校2号棟4階(化学室前)から,北側を見た風景です。

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     写真中央に鳥居が見え,その上に実方神社が見えます。

     本校所在地の葛山の由来について、葛(かづら)が群生していたためと説かれることが多いが、ここでは葛城山説を考えてみたい。
     本校校舎4階から北側を見ると稲荷川を挟み実方神社が正面に見える。神社の説明板には、実方という地名は平安中期の歌人藤原実方に由来するとある。『新古今和歌集』にある実方の歌「いかにせん久米路の橋の中空に渡しも果てぬ身とやなりなん」から採って実方橋となり、周辺の地名となったとされる。
     歌中の久米路の橋は、役行者が(奈良の)吉野山から葛城山に架けようとした伝説上の橋のことだが、鹿児島の吉野から実方を挟み、本校の葛山に至る位置関係が類似している。葛山が奈良の葛城山に因むと考える所以である。こじつけと言われそうだが、周辺地域には古歌や伝説に関わる地名が多く見られ、近世初期の和歌を好む島津の殿様が、地名の名付けをしたのではないかと思われる。

     

     

     

     

  • 2021年08月06日(金)

    8・6水害ゆかりの絵「実方太鼓橋」

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     本校事務室前の廊下に,平成5(1993)年8月6日のいわゆる「8・6水害」に関する油絵が飾られている。

     その下に,絵の由来を示す銘板がある。

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     それによると,「1994(1993の誤りか).8.6」に,大雨洪水で流失した日本最古の太鼓橋(伝)を,その前年(1993とあるが,1992の誤りか)の,ちょうど1年前の同日に,栫 七子(平成6(1994)年度卒)さんが描いたものという。元PTA会長の栫 誠耕さんが1996.4に寄贈したものとのことである。

     幕末の岩永三五郎(肥後の石工)造の五石橋以前の,鹿児島の石造技術を示す,旧実方橋の姿を伝えるものとして貴重である。

     

  • 2021年08月04日(水)

    令和3年度 若者と政治や選挙を語る会に参加しました。

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     本日午後~鹿児島市役所で,若者と政治や選挙を語る会に参加しました。本校から生徒2・3年生の計4人が参加しました。

     今年度選挙コンシェルジュに選ばれた,鹿児島市内の大学生・短大生・高校生ら27人が参加し,市選挙管理委員会から,「若者の政治への関心を高めるには」のテーマのもと,最近の投票率の動向などについて説明があった後,4班に分かれてグループ討議が行われました。その中で,1.現在関心を持っていること。2.若者の政治への関心の低さの理由として,どのようなことが考えられるか。3.政治に関心を持つにはどうすればよいか。の3点について話し合われました。

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     各班年齢・校種ばらばらの座席で,付箋を用いたKJ法で意見交換・集約を行い,最後に発表するという流れでした。

     

  • 2021年08月04日(水)

    日本史おすすめ本 その4~6

      夏休みに入って1週間。長い夏休みです。この期間を利用して読書してみませんか。これから,日本史にまつわる本を紹介していきたいと思います。

    日本史おすすめ本 (4)

    日本史おすすめ本 (5)

    日本史おすすめ本 (6)

     

  • 2021年08月03日(火)

    夏季休暇中の部活の様子です。

    連日暑い日が続いていますが,生徒は体育館等で部活をしています。

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    バスケ部です。

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    バドミントン部です。

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    ダンス部です。

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    吹奏楽部です。

  • 2021年08月03日(火)

    日本史おすすめ本 その2,3

      夏休みに入って1週間。長い夏休みです。この期間を利用して読書してみませんか。これから,日本史にまつわる本を紹介していきたいと思います。

    日本史おすすめ本 (2)

    日本史おすすめ本 (3)

  • 2021年08月01日(日)

    南日本新聞「若い目」に掲載されました!!

    8月1日(日)付南日本新聞「若い目」に椿山さんの投稿が載っていました。

    21.8.1南日 若い目 椿山