学校周辺の史跡 その3 ~別府晋介誕生地碑

公開日 2021年08月17日(Tue)

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 本校から実方方面に歩き、実方橋を通り、しばらく進むと道路脇左手に四角い石を4つ重ねたものがあります。これが目印です。ここを左に曲がっていくと,途中左側に入ると第1回で案内した「御内用方跡」があり,曲がらずに過ぎると,右手に「別府晋介誕生地」があります。 

 別府晋介は弘化4年(1847)実方に生まれ、桐野利秋はいとこに当たり、この2人は実の兄弟以上に仲が良かったと言われています。
別府は戊辰戦争で活躍し、常備隊の小隊長に任命されました。西郷隆盛を厚く尊敬していて、西郷の上京に同行したり、朝鮮半島への視察等、腹心として仕事をしました。しかし明治6年西郷が征韓論争で敗北して下野すると、別府は桐野と共に帰郷します。その後私学校の創設に尽力して若者の育成に努め、加治木郷の区長になりました。明治10年の西南戦争でも独立大隊の隊長として奮戦します。9月24日、銃弾を足に受け動けなくなった西郷が切腹を覚悟すると、別府晋介は駕籠から降りて「御免なったもんし(お許しください)」と叫びながら西郷の介錯をしました。その後、自身も岩崎谷で自決しました。31歳という若さでした。この日、死を覚悟した別府は自分の側を離れようとしない部下に「早く逃げろ」と叱った話が伝えられています。また、自身の俸給を部下に分け与えたという逸話からも、別府の人柄は公平無私であった事がうかがえます。

 20170930別府晋介入口

 ミニツアー参加者を案内しているところです。左端のオレンジの方は本校平成11年度卒業生で、ミニツアーの企画をされました本田静さんです。

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 平成29(2017)年9月30日 本校生徒が観光ガイドをしたときの様子です。生徒会長をしていた田中君のガイドです。しっかり石碑を手で示して説明しています。