鹿児島東高校校歌の歌詞について ①

公開日 2021年05月28日(Fri)

校歌

 作詞者は著名な児童文学者の椋鳩十であり、気になっていたので、椋鳩十文学記念館を訪れたことがあった。椋は県下五七校の校歌を作詞し、そのために何度も学校を訪問し、明確な意図の下に作詞したらしい。
 問題は歌詞中の「大明ヶ原集うもの」である。東高生を示すが、「大明ヶ原」がどこを指すのか分からない。学校の住所は東坂元で、バス停名は葛山である。「鹿児島市史」では小字「城ノ前」とあり、室町期島津氏の支城とされる橋之口城の存在を推定させる。実は稲荷川を挟んで吉野町側に大明丘があるため悩ましい。ここは先の市史では「大明山」とあり、近くに「天神山」「薬師山」があるので「大明神 山」の略だろうか。
 本校は昭和四〇年に吉野町から現地へ移転し鹿児島農業高校となり、一年後に校歌が制定されている。旧所在地の風景をも併せて詠み込んだのか、椋の意図は不明だが、学校創立期の開拓の気風を表現したのではと思う。