学校周辺の史跡 その11 ~東坂元3丁目創設30周年!!

公開日 2021年09月18日(Sat)

 本校の住所は、東坂元3丁目である。今回はこの由来を考えてみたい。

坂元地図

 明治初期の地誌『薩隅日地理纂考』によると、坂元の由来は初代島津忠久が薩摩下向の時に近江国(現滋賀県)坂本の日吉(ひえ)神社を分祀(神霊を分け別の場所に祭ること)して創建したことに因むという(現在の鹿児島商業の近くの日枝(ひえ)神社)。しかし忠久は薩摩入りした事実はないので疑問視される。坂元(本)の地名は室町時代から見られるので、恐らく鎌倉~室町時代初期の鹿児島郡司矢上氏が当地を領有する際に作ったのではないかと思うがどうだろうか。江戸期は近在(城下に近い村)の1つで、明治中期には吉野村大字坂元となり、昭和9年に坂元町となった。その後現在に至るまで町域の変遷がある。東坂元3丁目は、平成4(1992)年8月10日に坂元町から分かれ、4丁目と共に新設された。そのため何と来年度は創設30周年!を迎えることになるのだ。

日枝神社