校歌の研究 その38 ~武岡中学校

公開日 2022年01月12日(Wed)

武岡1

武岡2

1.自然の恵み背にうけて 野元が原にそびえ立つ 木の香ただよう学舎に 真理をめざす若人の 自立の歩みたしかなる ああ我が武岡武岡中学校  2.緑の大地踏みしめて 手と手とりあう友垣の 足音高き校庭に よろこび誓う若人の 友愛の華うるわしく ああ我が武岡武岡中学校 3.紫紺の空の陽をあびて かがやく明日の夢を呼ぶ 歌声ひびく塔上に 望みを秘めた若人の 創造の鐘高らかに ああ我が武岡武岡中学校

 武岡中学校は、昭和63(1988)年に明和中学校から分離して、鹿児島市立武岡中学校として創設されました。鹿児島市の中学生数は62年にピークを迎え、 25118人となりました。そういう状況を反映して創設されたようです。校歌制定は同年の63年です。作詞は緒方正文、作曲は有馬俊次です。
 緒方氏についてはよく分かりません。有馬氏は県内中学校の音楽教員で、昭和34(1959)年から46年度まで、宮之城中学校吹奏楽部で指導され、吹奏楽部コンクールに毎年のように参加されたようです。また『コンピュータで楽しい音楽授業をつくる』(2000年)、『音楽教師とIT技術-実力UPの授業ポイント』(2002年)という著作があります。それによると、九州内の教員や音楽関係者が、学校の音楽教育にコンピューターや電子楽器を導入して、もっと楽しく効率的に学習活動ができないものかと試行錯誤していた際に、仲間を集めようと企画され、平成8(1996)年以来「ミュージック・テクノロジー教育セミナーin九州(略称「阿蘇セミナー」)」が開催されることになったそうです。有馬氏は退職後にこのような活動を始めたとのことです。
 さて歌詞について。1番に「野元が原」というローカルな地名がでてきますが、これは南北朝時代の古戦場跡ということです。1354年に、畠山直顕が島津氏の拠点東福寺城(現多賀山)を攻めるために、野元(武岡?武?)と原羅(原良)に布陣しました。島津軍は軍を2つに分け、畠山勢を攻めたとのことです。ここでは畠山軍の多田七郎と島津軍の山田弥九郎の一騎打ちが行われ、原羅合戦の一騎打ちと言われたそうです。歌詞では「野元が原にそびえ立つ木の香ただよう学舎に」とあり、新築したばかりの様子を歌っています。2番で「友愛の華」、3番で「創造の鐘」と校歌によく出てくるフレーズを歌っています。

武岡中地図