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2021年12月08日(水)
韓国語の授業で,ユンノリで遊びました!!
本校では第二外国語の授業があり,2・3年次に韓国語や中国語を選択します。今日はテスト明けの授業で,日本で言うすごろくのような,韓国の伝統的な遊びである「ユンノリ」をしていました。
ウィキペディアによると,ユンノリは、朝鮮半島に伝わるすごろくのような遊戯で,語義はユッ(윷、遊戯に用いる「棒」+ノリ(놀이、「遊び」)ということです。さいころのかわりに4本のユッ(윷)と呼ばれる木の棒を投げ、落ちたときのユッの状態に応じてコマを進めていきます。コマを合体させたりする戦略的要素がある,そうです。
本校のチェ先生に教えてもらって,早速2チームに分かれてゲーム開始です。
左下がスタートで,ゴールでもあります。4本の木の棒を投げ,出た目でコマを進ませ,ゴールを目指します。
生徒たちはすぐにやり方を覚え,出た目によって,一喜一憂していました。
2021年12月07日(火)
大同高級中学HPに本校との交流の記事がありました!!
11月25日(木)に、修学旅行の一環で行った,オンライン交流の様子が、交流相手校である「台北市私立大同高級中学」のホームページに、記事が載っていましたので、次に紹介します。
記事の日本語訳(グーグル翻訳による)
台北私立大同高校のプレスリリース
テーマ:日本の台北私立大同高校と鹿児島東高校の間のノンストップオンライン国際交流
日付:民国暦110年(2021年)11月25日
場所:台北市中山区中山北路第40節第3節;台北からの報告
発行日:民国暦110年(2021年)11月25日
活動室:大同高校、国際教育グループ、学務室 戴晨修DaiChenxiu(2585-8785#105)
報道関係者:鄧志全Deng Zhiquan、チーフセクレタリー(2585-8785#102)
国際交流は中断されません!日本の鹿児島東高校は当初、私立大同高校を訪問するために台湾への教育旅行を計画していましたが、新たな冠肺炎(新型コロナウイルス)の流行の影響により、それはできませんでした。それにもかかわらず、COVID-19の流行の下で学生の国際的な視野を広げるために、2つの学校の校長は110年(2021年)の夏休み以来、オンラインビデオの国際交換を計画し始めました。今回は慎重に計画する黃政詩HuangZhengshiと戴晨修DaiChenxiuディレクター。オンライン国際交流活動。 7月の夏休みの初めに、私立大同高校の生徒たちは、日本の鹿児島東高校の学習パートナーに台湾の最高のものを紹介したいと熱心に話し合い、準備を始めました。学生たちは一連のトピックを準備しました:台湾の最も有名な景勝地の紹介、特別な料理、特別な果物、台湾茶と日本茶の類似点と相違点、台湾の都市の伝説、有名な台湾のオペラ、そして中山北の最も重要な文化的習慣道。学生たちは実際のオンラインコミュニケーションが来る日を待つことができません。
11月25日の実際のオンラインコミュニケーションの日に、私立大同高校の学生が日本の学習パートナーに台湾関連のトピックを紹介することに加えて、鹿児島東高校の学生は鹿児島の多くの、地元の文化的および歴史的アトラクションやその特色を紹介しました(霧島、指宿、鹿児島の世界遺産、食べ物、自然、西郷さんと鶴丸城御楼門など)。 2つの学校の生徒はオンラインプラットフォームで学習成果を共有し、お互いの文化を体験しました。それは非常に興味深く、生徒も目を見張るものがありました。鹿児島東高校の生徒たちは、クラスメートによる台湾で最も有名な歌仔戯の演奏に非常に感銘を受け、中山北路の文化、歴史、文化的慣習にも非常に興味を持っていました。彼らは私立大同高校に来ることを望んでいました。流行が鈍化した後。このオンライン交換と共有では、当校の人文科学クラスの学生が流暢な英語を使って台湾をブリーフィングの形で紹介し、お互いが居住地の歴史的および文化的特徴をよりよく理解し、国際理解を深めることができるようにしました、そしてまたお互いの親密な友情につながります。
最後に、私たちはオンラインでお互いに別れを告げ、台北私立大同高校と鹿児島東高校の間の国際交流活動を惜しみつつ終わらせました。
あちらでは、ミラーではなくバッチシ写っていました。
2021年12月05日(日)
校歌の研究 その19 ~錫山小中学校
1.山なみ清く ほのぼのと みどりの風は 朝をよぶ 自主の心を ひとすじに 正しく学ぼう 鐘が鳴るああ 鐘が鳴る 錫山校 2.立神山よ うぶすなの 心を結び 手をとって優愛共に うるわしく 明るく進もう 歌が湧くああ 歌が湧く 錫山校 3.理想も高く 美濃岳の 輝く雲に こだまして英知を磨き たくましく 大きく生きよう 夢がよぶああ 夢がよぶ 錫山校 錫山小中学校は、谷山町立第二中学校(現和田中)錫山分校として昭和22年創設され、31年中学校が独立して小学校に併設し、谷山町立錫山小中学校となり、42年に鹿児島市立となりました。鹿児島市で唯一の小中併設校です。設立5年後の27年に校歌が制定されました。作詞は蓑手重則、作曲は西勇恕です。両者については、城西中のところで紹介しました。
『谷山市誌』によると、錫山地区は、その名の通り、江戸前期の明暦元(1655)年に錫鉱が発見され、藩主島津氏代々の直轄地として栄えました。鉱山奉行が置かれ、子弟の教育も早くから発達し、安永3(1774)年稽古所が設立されました。明治になって啓蒙学舎、錫山尋常小学校となり、現在の小中学校につながっていきます。
さて歌詞について。蓑手氏は市内8中の歌詞を作詞しています。氏の歌詞の特徴として、桜島、甲突川、錦江湾を読み込み、自主(自治)の鐘は鳴る、友愛の花かおる、希望の翼はばたくなど共通のワードが見られますが、当校の歌詞でも、1番で「自主の心~鐘が鳴るああ鐘が鳴る」、2番に「友愛」が出てきます。ただ山中のためか、景観については、2番に西側の「立神山」、3番に東側の「美濃岳」が出てきます。また2番に「うぶすな」とあり、錫山の産土神である立神神社(立神山中腹にあり)も読み込んでいます。その他併設校ならではですが、小学校歌詞と中学校歌詞があります。たとえば1番では、小学校歌詞は「なかよしこよし きょうもまた 正しく学ぼう鐘が鳴る」で、中学校歌詞が「自主の心をひとすじに正しく学ぼう鐘が鳴る」となっています。谷山4中と錫山小中の位置関係です。
2021年12月05日(日)
校歌の研究 その18 ~福平中学校
1.萌える若くさ あけぼのの光照り添う 丘の上たぎる生命の若人がかざす理想の旗じるし文化日本の 建設を誓う至純の情と熱 2.遠くそびえて さくら島示す久遠の あこがれに みがく究理の 智と心そろう足音 ほがらかに高く希望の 目をあげてすすむ福平中学校 福平中学校は、谷山町立第四中学校として昭和22年創設され、24年現校名に改称され、42年に鹿児島市立となりました。旧谷山町内には第一中から第四中まで番号がついた学校が出来ました。それぞれ現谷山中・和田中・谷山北中・福平中です。設立2年後の24年に校歌が制定されました。作詞は郡山繁、作曲は田中義人です。田中氏については伊敷中のところで紹介しました。郡山氏は未詳です。
さて歌詞について。市内40中のうち、歌詞が2番までしかないのは、当校と黒髪中のみです。歌詞を見ると、1番は生徒の事を歌い、2番では桜島を歌っています。近くに大きな川は無いですが、錦江湾について歌う3番があっても良さそうです。はじめから作られなかったか、それとも実は存在するのか、謎の3番です。
当校HPによると、沿革史の中で、校名は幸福の福と平和の平から、福平としたとの話が出てきます(校域の、下福元と平川からとった説もあり)。終戦直後の復興の気運が象徴され、1番の歌詞にも「文化日本の建設を誓う」とあり、その思いが強く込められています。同じく1番に「あけぼのの光照り添う丘の上」とあり、この丘は、当校西側に、南北に連なる薩南山地(現指宿スカイラインがその尾根沿いを走る)のことを指しているのでしょうか。2番では「遠くそびえてさくら島」とあり、当校からはるかに望む桜島に対して、久遠、あこがれ、究理、希望と表現しています。2021年12月04日(土)
校歌の研究 その17 ~谷山北中学校
1.若木ことごと 日に映えて山田ヶ丘の 朝の風精気を集め 若駒は希望に燃えて 駆けていくああ光栄の 谷山北中 2.若き力は 溌剌とつとめいそしむ 文の園自主の旗風 空に鳴り文化の香り 咲き匂うああうるわしの谷山北中 3.流れも清き 永田川友愛溢れ よどみなき明るい平和 たたえつつ正しく強く 進みゆくああ栄え行く 谷山北中 谷山北中学校は、谷山町立第三中学校として昭和22年創設され、24年現校名に改称され、42年に鹿児島市立となりました。旧谷山町内には第一中から第四中まで番号がついた学校が出来ました。それぞれ現谷山中・和田中・谷山北中・福平中です。設立3年後の25年に校歌が制定されました。作詞は職員一同、作曲は林幸光です。林氏については鴨池中のところで紹介しました。
さて歌詞について。1番に「山田ヶ丘」(現山田IC辺りを指すか)、3番に「永田川」と山と川の景観を読み込みます。問題は2番の歌詞で、「文の園」「文化の香り」が具体的に何を指すかはっきり分かりません。
調べてみると、当校HPには、当校域は谷山北部の地域で、地元の人から「溪北郷」と呼ばれ、「谷山郡の北辰斜めにさすところ」と愛されている地域とのことです。この例えは旧制七高(現鹿児島大学)を指しているので、学問の盛んな地域であると言っているのだと思います。『谷山市誌』を見ると、実際当校域は江戸期から学問の盛んな地域で、現在の中山小学校の辺りにあった辺田学館(後の辺城学舎)と、現在の宮川小学校の辺りにあった川口稽古所の両方の伝統を併せて、学域となったようです。ちなみに、現在宮川小学校のそばには、平成2(1990)年に皇徳寺中学校が、谷山北中学校から分離開校しています。
地域の景観や歴史を踏まえて、校歌の中に盛り込んでいく。創設当初の教職員の、当校に込める強い思いを感じられるとても良い校歌だと思います。当地域は、武岡地域同様、団地造成が盛んな地域で、中学校が密集しています。1979年以降設立ラッシュであることが分かります。
2021年12月04日(土)
校歌の研究 その16 ~和田中学校
1.秀麗匂う桜島 理想と仰ぐこの窓辺見よ向学の眉あげて若き希望に結び起つ意気あり われら われら和田中学 2.錦江湾の新潮に たゆまず磨く身と心 見よ友愛の手をとりて真理の道を進むもの夢あり われら われら和田中学 3.久津輪ヶ崎の春秋に高く掲げし自主の旗見よ蛍雪の試練越え郷土のあすを拓くもの 栄えあり われら われら和田中学 和田中学校は、谷山町立第二中学校として昭和22年創設され、24年現校名に改称され、42年に鹿児島市立となりました。旧谷山町内には第一中から第四中まで番号がついた学校が出来ました。それぞれ現谷山中・和田中・谷山北中・福平中です。校歌は設立10年後の32年に成立しました。創立10周年記念で制定されたようです。作詞は高城俊男、作曲は武田恵喜秀です。両者についてはそれぞれ永田中、清水中のところで紹介しました。
さて歌詞について。作詞者の高城氏は、市内40中のう5中を作詞しています。その特徴は以前も触れましたが、1番に桜島、2番に錦江湾を歌うことが多く、また各歌詞の最後に、学校名を入れて締めくくるパターンが多いです。さらに当校の場合、3番で「久津輪が崎」というローカルな地名を歌っています。これは、近くの谷山総鎮守である伊佐智佐神社の例大祭で行われていた神事「浜下り」で、御神輿を御神幸されていた場所で、神楽や神舞が行われていたそうです。しかし現在は工業団地が造成されたために出来なくなったとのことです。また最後に「郷土のあすを拓くもの」とあり、地域の干拓の歴史(和田干拓)を踏まえて、開拓精神を歌っています。
2021年12月04日(土)
南日本新聞若い目に載っていました!!
12月4日付南日本新聞の「若い目」に2年生上篭璃桜さんの投稿が掲載されていましたので、紹介します。
2021年12月04日(土)
校歌の研究 その15 ~谷山中学校
1.谷山脈(たにやまなみ)の深みどり永田の川に映ゆるとき夢美しき若人の希望はぐくむ自治の鐘 2.清見が橋に火の島のつきぬ煙を仰ぎてはさんたる真理きわめつつ築く平和の新文化 3.黒潮虹としぶきつつ錦江湾によるところ知徳を磨く若き子の心にともす正義の火 谷山中学校は、谷山町立第一中学校として昭和22年創設され、24年現校名に改称され、42年に鹿児島市立となりました。旧谷山町内には第一中から第四中まで番号がついた学校が出来ました。それぞれ現谷山中・和田中・谷山北中・福平中です。校歌は設立直後の5年後の27年に成立しました。作詞は浜田盛秀、作曲は出口信雄です。
←浜田盛秀氏
作詞担当の浜田氏は、『浜田盛秀作詞集』によれば、明治43(1910)年伊集院町生まれ。大正12(1923)年鹿児島県立第一中学校(現鶴丸高校)入学(在学中病を得て退学、その闘病中に短歌への開眼と信仰による人生観を深めたとされる)、昭和2(1927)年伊集院中に編入。同4年卒業後、川辺町田代尋常高等小学校を初め、伊集院町飯牟礼尋高、東市来町鶴丸尋高勤務を経て、昭和17年鹿児島県師範学校専攻科入学、翌年卒業。その後串良町・伊集院・日吉町・国分市の小中学校に勤務し、昭和42(1967)年退職。旧制中学時代の昭和2年短歌結社「水甕」に入集し、同18(1943)年同人となります。歌集『風紋林』『雪の弥撒(ミサ)』等発刊。昭和49、56年には、宮中歌会始詠進歌に佳作(「プレス工みなあどけなし車椅子輪になり朝の作業待ちをり」)、入選(「しんしんと花枇杷に降る火山灰(よなの)音わびしかれども島を護らな」)を果たしました。平成4(1992)年死去、享年82歳でした。
浜田氏は、昭和20後半~30年代後半の約10年間に、数多くの小中高の校歌や「ラジオ南日本の歌」(現MBCの社歌)等の団体歌を作詞されました。薩摩川内市立西方小学校校歌については、その作詞過程が分かっています(同校HP参照)。昭和36年単独校舎改築の際にPTAから校歌制定の要望があり、当時国分市立郡山小学校校長だった浜田氏に作詞の依頼がなされました。氏は昭和37年1月に校歌案を3編も作詞されたそうです。同校には直筆原稿が残されています。それによると「その二」の歌詞が採用されたようです。
校歌 その一 校歌 その三
校歌 その二(現校歌は1番「まなびの窓」が「まなびの庭」に1字変更)
(薩摩川内市立西方小学校ホームページより転載しました。)
作曲担当の出口信雄氏については未詳です。
さて歌詞について。1番には「谷山脈(たにやまなみ)」「永田の川」、2番には「清見が橋」「火の島」、3番には「錦江湾」と地域の景観を歌います。永田川は鹿児島市域を流れる川としては甲突川に次いで大きな河川で、周辺一帯が古代薩摩国谷山郡を構成します。清見橋は永田川にかかる橋で、そこから火の島(桜島)を仰ぎ見るという構図です。歌人として著名な氏ならではの、詩情あふれる歌詞となっています。
2021年11月28日(日)
修学旅行2日目 その2-2 指宿体験(砂蒸し)
本校2年生は,鹿児島・指宿方面に1泊2日の日程で,修学旅行に行ってきました。
2日目 11月26日(金)指宿体験(砂蒸し)
指宿大好き体験は,指宿市の,指宿観光のプログラムです。全部で30以上のミニプログラムがありますが,その中で事前に選択肢を絞って,生徒に希望調査を取り,以下の3つで体験することになりました。1.ピザ作り(なのはな館),2.砂むし体験(指宿砂楽),3.池田湖シーカヤック体験(エプロンハウス池田)です。
砂蒸し体験です。予定されていた山川の砂湯里から変更になり,砂むし会館砂楽で行いました。みなさん気持ちよさそうです。
浴衣を着て,横になります。
そのあと,スコップで砂をかけてもらいます。
みなさん,とても気持ちよさそうです。
女子6人,浴衣姿で,記念撮影。
男子2人,海をバックに,かっこよく笑顔で,決めています。
地ビールならぬ地サイダーの指宿サイダーです。
女子達は,堤防の先まで行ってました。
当日は,とても天気が良くて,風もそれほど無く,気持ちよい1日でした。心地よい風,波の音,潮の香り,リゾート気分を味わえました。
2021年11月28日(日)
修学旅行2日目 その2-1 指宿体験(ピザ作り)
本校2年生は,鹿児島・指宿方面に1泊2日の日程で,修学旅行に行ってきました。
2日目 11月26日(金)指宿体験(ピザ作り)
指宿大好き体験は,指宿市の,指宿観光のプログラムです。全部で30以上のミニプログラムがありますが,その中で事前に選択肢を絞って,生徒に希望調査を取り,以下の3つで体験することになりました。1.ピザ作り(なのはな館),2.砂むし体験(指宿砂楽),3.池田湖シーカヤック体験(エプロンハウス池田)です。ピザ作りは,指宿のなのはな館で実施されました。
ピザ作りは,指宿なのはな館で行いました。
まず全体の説明です。
ピザに載せる具材作りです。
作りながらもカメラを向けられれば,ピースで答えます。楽しそうに作っています。
やった~!! できあがり。おいしそうなピザが完成。
手を合わせてください。いただきま~す!!
ぱくぱく,もぐもぐ。
おいしいなあ。
とってもおいしかったです。指宿産の野菜等の食材を使ったピザ作りでした。