分類
2021年12月24日(金)
2学期終業式です!!
本日2学期終業式がありました。今回もリモートで実施されました。
終業式に先立って,校内放送で表彰がありました。
(1) サービス接遇検定 2級 2年
(2) ハングル能力検定 4級 2年
(3) 美術部 第72回鹿児島県高校美術展 奨励賞 1人 入選4人
(4) K1グランプリ(漢字) クラス優勝(1年2組)
個人優勝(3位まで)
(5) 2学期クラスマッチ 総合優勝 2年2組
はじめに,校長先生の話。第九「歓喜の歌」の話から,ベートーベンについて。1770年生まれ,56歳でなくなった。第九が完成するまでの道のりはやさしいものではありませんでした。様々な苦悩の中で完成された曲です。そういった苦悩があったからこそ,素晴らしい曲ができた。皆さんもここまでいろんな苦労があったと思いますが,だからこそこれからの試練に立ち向かえると思います。苦労は次のステップアップのためのエネルギーを貯める時だと考えて欲しいと思います。
ついで,生徒指導部から。NTTドコモの情報モラルの講演の感想から。SNSを巡るさまざまなトラブルの話。知らない人を信用しずきてはいけない。SNSで知り合って,県外に行って補導されるケースあり。冬休み中の心得について。スマホの利用,交通安全事故防止について。不審者遭遇事案多発している。明るい道を通りましょう。音楽聴きながら歩いていると,周りに注意がいかないので気を付ける,などでした。最後に,THE BLUE HEARTSの甲本ヒロトさんの言葉の紹介。学校に居場所がない子にどう答えますかの質問に,居場所はあるよ,席がある。それでいいじゃない。学校に友達がいなくて気にすることはないよ。学校は,けんかしないで平穏無事に生活する,そういう訓練の場所だから。(居場所がないことを気にしすぎる子に対しての言葉だそうです)
ついで進路指導部から。今年頑張ったこと,一番思い出に残っていること,失敗したことは何ですか。冬休み中にこの1年を振り返ってみてください。長期の目標と短期の目標を考えてみてください。短期の目標は実行しやすいと思います。1・2年生は,冬休み明けに進路希望調査があります。冬休みの間に進路についてよく考えて,進路希望を書いてください。
最後に,保健部から。2つのことについて。一つは,新型コロナについて。オミクロン株が,関東関西で市中感染が見られ,年末年始警戒が必要とのこと。休み中の行動について気を付け,年明けのLHRで,確認する場合があるかも知れないとのこと。夕方のニュースを毎日見て,新型コロナの状況について,関心をもってください。
二つ目は,保健室利用について。保健室は本当に具合が悪い人が利用するところなので,利用する人は,授業の前に,教科の先生に断ってから保健室に行くこと。友達に代理で言ってもらうではなく,本人が申し出ること。保健室利用のルールを守ること。
生徒は、各教室で,リモートで視聴しました。終業式で聞いた話を,参考にいかしてください。それでは体調管理に気を付けて,来年元気に登校してきてください。
2021年12月23日(木)
クラスマッチです!!
本日終日,2学期クラスマッチが行われました。今回は男子はバスケ,女子はドッヂボール,バドミントンでした。
激しい男子バスケです。優勝したのは3年1組でした。
女子ドッヂボールは,2年2組Aチームの優勝でした。
女子バドミントンは,2年1組の優勝でした。明日終業式で,クラスマッチの表彰があります。総合優勝もその時に発表です。
今日は天気も良く,それほど寒くもなく,絶好のクラスマッチ日和でした。
2021年12月23日(木)
校歌の研究 その24 ~松元中学校


1.緑の風に朝明けて 明るく匂う学び舎に向学の意気はつらつと 自主の鐘の音高くなる ああ松元中学校 2.松元川のせせらぎに 高原清き茶の園に 進取の気性受け継いで 友愛花と咲き薫る ああ松3. 3.青雲あるか湧くかなた 朝夕あおぐ桜島 希望の翼はばたいて 平和の郷土打ち立てん ああ松元中学校 『松元町郷土誌』によると、松元中学校は、上伊集院村立上伊集院中学校として昭和22(1947)年創設されました。苦しい経済状況の中での発足で、財源捻出には苦労し、村議会で敷地購入費、校舎建設費は村民の寄付によることとし、住民税の10倍ということでした。チョークも不足し、小学校の使い残りの短いのをもらってきたり、用紙類も、すぐ破れる再生の悪質のザラ紙だったそうです。

35年には町制施行により松元町立松元中学校となり、40年には生徒増に伴い校舎を現住所に移転し、平成16(2004)年に鹿児島市立となりました。町立化した35年に校歌が制定されました。作詞は蓑手素秋、作曲は捗秀豊です。蓑手氏については城西中のところで触れました。
作曲担当の捗氏は松元町内の小中学校の校歌を作曲しています。ウィキペディアによると、校訓が1番「向学」、2番「進取」、3番「希望」の順に歌われ、3番では桜島も歌われているが、桜島は実際は見ることはできないそうです。
さて歌詞について。作詞担当の蓑手氏は今まで述べてきたように、市内最多8中の校歌を担当しています。1番に「自主の鐘鳴る」、2番に「友愛花と咲き薫る」、3番に「希望の翼はばたいて」と共通のワードを歌い込んでいます。ローカル色としては、松元川(松元流域を流れる下谷口川の異称でしょうか)、茶の園を詠んでいます。下の地図のように,松元町はお茶所として有名です。茶畑に囲まれた原風景です。
2021年12月22日(水)
芸術鑑賞会です!!
本日午後に,体育館で,本校と高等特別支援学校と合同で,芸術鑑賞会が実施されました。公演演目は「ネズミの涙」(オペラシアターこんにゃく座)です。主人公一行は,おんぼろバスで,あっちこっちの戦線を旅して回るテンジクネズミの天竺一座で,「西遊記」を演じながら,愛と笑いと涙の舞台が繰り広げられます。
はじめのあいさつ,紹介が,本校の校長先生からありました。
観劇上の注意。携帯等電源はお切りください。
舞台向かって左側は,ピアノでの劇中歌や様々な効果音などの伴奏を担当している方です。正面は,天竺一座のバスです。
西遊記の中で,孫悟空が龍と戦っているシーンです。
天竺一座の娘リン(右側)と野ねずみの兵士ニッケル(左側)が,2人で話をするシーン。2人は恋人同士で,仲が良いシーンです。
孫悟空が,妖怪と戦うシーン。得意の如意棒で,相手を攻撃します。
どぶねずみの一団に襲われ,リンは命を落とします。そのあと恋人のニッケル登場。リンが亡くなったことを知って,嘆き悲しみ,激しく慟哭します。このシーンはとても迫力がありました。
休憩10分はさみ,後半の部です。鑑賞態度はとてもよいとありました。
最後,本校生徒会長の椿山さんから生徒代表お礼の言葉,花束の贈呈がありました。
高等特別支援学校から,作業学習で制作した,木工班からコースター,食品加工班からパンの,お礼の品のプレゼントがありました。
オペラシアターこんにゃく座のみなさん,素晴らしい舞台をありがとうございました。朝早くから搬入,設営をしていただき,ご苦労様でした。またぜひお越しいただけたらと思います。本当に今日はありがとうございました。
2021年12月19日(日)
校歌の研究 その23 ~桜島中学校

設立当初 S22(1947)年の写真です。(当校HPより)

校舎新築当時 S47(1971)年の写真です。側壁及び廊下がタイルで貼りつめられ,美術室,学習機械室を備えた現代的な建物,施設であったため,日本一の豪華中学校と呼ばれ,県内外からの視察団がひきもきらない状態が数年も続いたといいます。(当校HPより)

1.見よ秀麗の火の島に 緑ゆたけき地を占めて えいちの光はつらつと 真理の窓にあふれたる ああ我が桜島中学校 2.錦江湾の朝な夕 心を玉と身を鉄と 友愛清く手をとりて 団結花と咲きかおる ああ我が桜島中学校 3.山河明るきこの里に 高き理想を受け継ぎて 正しく強くゆくところ 世紀は今ぞ明けそむる ああ我が桜島中学校 桜島中学校は、当校HPによると、西桜島村立西桜島中学校として昭和22(1947)年創設されました。それまであった青年学校跡地にその校舎を一部利用して作られたそうです。48年には桜島町立桜島中学校となり、平成16(2004)年に鹿児島市立となりました。設立6年後の28年に校歌が制定されました。作詞は高城渓水、作曲は宗鳳悦です(HPに宋とあるのは誤りです)。高城氏については長田中のところで触れました。
作曲担当の宗鳳悦氏は、「はがき随筆 鹿児島(毎日新聞西部本社地方版)」(2007.11.2)等によれば、沖永良部出身で、鹿児島師範学校卒、昭和24(1949)年上京し、都内の音楽教諭として40年勤務され、都立中学校校長、東京都音楽研究会会長、NHK文部省諮問委員を歴任されました。東京で43年まで10回の作曲演奏会を開かれました。平成3(1991)年78歳で死去。都の文化功労者として表彰され、昭和天皇の前で、自作の曲を演奏するなど音楽家、作曲家として活躍するかたわら、短歌にも親しむスケールの大きい教師であったとのことです。同氏『ひとりで伸びる「読譜の友」初等篇』はじめにの言葉には、「私は日本を美しい国にしたいのです。それには芸術ことに音楽をさかんにすることだと信じてゐます。そして私は日本ぢゅうの皆さんが一人残らず音楽を愛していらっしゃるといふ事も知ってゐます。それだのに音楽が上手になりさかんにならないといふ事はどうしたことでせう。それは私たちに楽譜を讀む力がないからです。(中略)みなさん、うんと勉強して、一日も早く私たちの日本を美しい文化のかおり高い国にしようではありませんか 昭和22年2月22日」とあり、衣食住全てが満たされなかった時代、印刷する紙さえ充分になかったなかで、音楽をこの子等に!と音符も読めない子供たち一人一人に副読本を与え、熱心に指導する、当時としては異色の教師だったということです。
さて歌詞について。高城氏は、市内40中の内、当校・長田・河頭・和田・緑丘中の計5中の作詞をされています。一番に桜島、二番に錦江湾を歌い、最後に学校名で締めくくるのは共通しています。1番では当校が桜島所在のため「火の島」という表現です。「緑ゆたけき地」は古語「豊けし」(豊かである)で、緑豊かな土地を意味しています。古語を使うのは高城氏らしいです。2番では錦江湾を歌い、3番では「世紀は今ぞ」と新時代の幕開けを歌い、これから高い理想を受け継いで、邁進していく決意を歌っています。
2021年12月18日(土)
校歌の研究 その22 ~郡山中学校


1.綾雲匂う八重の嶺 映ゆる平和の朝日影希望新たに仰ぎつつ 自主に燃え立つ学園に 高き理想の鐘は鳴る 2.流れ清らな甲突の 水は貫く道一つ 真理の光求めよと たゆまず磨く身と心 伸びゆく明日へ星が呼ぶ 3.祖国の栄え村の幸 拓く使命をになひつつ 文化を築く勤労の 力溢れて日に進む ああわが郡山中学校 当校HPの沿革によると、郡山中学校は、郡山村立郡山中学校として昭和22(1947)年創設されました。当初は独自の校舎は無く、郡山小、郡山青年学校、旧たばこ収納所を借用したとのことです。32年には大谷中(もと下伊集院中の分校)が編入、平成16(2004)年に鹿児島市立となりました。設立4年後の昭和26(1951)に校歌が制定されました。作詞は池上喜一、作曲は田中義人です。両氏については伊敷中でもペアで作詞作曲にあたっており、そちらで触れました。
さて歌詞について。作詞担当の池上氏は、伊敷中、上甑中、大馬越小、紫尾小、柊野小等の校歌を作詞しています。それらに共通するワードを拾い出すと、「平和、自主、希望、理想、幸、真理、祖国、歴史、文化」等があります。終戦直後に制定された校歌に共通する、戦後復興の希望や理想に燃え、祖国日本の歴史を踏まえ、新しい文化を築いていこうとする精神を表現していると思われます。
また1番では北側に位置する「八重の嶺」、2番では学校の側を貫流する甲突川を読み込み、3番で祖国建設を歌います。
2021年12月17日(金)
出前授業がありました!!
本日5・6限に,本校で出前授業がありました。今回は1・2年生全員を対象に,進学4分野(英語系,経済系,幼児教育,看護),就職4分野(事務,美容,販売,ホテル)の計8分野で実施しました。
英語系です。講師の方は,鹿児島純心女子大学の川上典子先生です。テーマは「第二言語習得論をふまえた,ことばの習得のメカニズム」です。
はじめにQ1英語は好きですか,なぜ英語を勉強するのかなど質問されました。英語学習を長く続けるためには,なぜ学習するのかという強い思いが大事です。日本語について。日本の英語教育について。文法能力とコミュニケーション能力はイコールではない。コミュニケーション能力は,文法能力。社会言語能力(適切な言葉づかい)。談話能力(1文以上をつなげる能力)。方略能力(問題が起こった時にに処理する能力)からなるとのことです。外国語学習に成功する学習者の特徴(1.若い,2.母語が似ている,3.適性が高い,4.動機付けが高い,5.学習法が効果的)について。目からうろこの話でした。
経済系です。講師の方は,鹿児島県立短大の山口祐司先生です。テーマは「経済学を学ぶ意味です」。
はじめに経済学のイメージは何ですかという質問がありました。本校生徒は世の中の仕組みが分かる。難しいという答えでした。県短の学生の答えは,お金のことを考える。株などでもうける。景気を予測する。社会のことが分かる。つぶしがきく,だそうです。経済とは何か。経済と市場。経済学とは。市場の仕組みと基礎理論の話。需要曲線と供給曲線。人気に火が付くと価格が同じでも需要量は増加する。コロナ禍の飲食店で価格が変わらなくても量が減る。コロナとマスクの価格減少についてなど,身近な例を出されてとても分かりやすかったです。50分の時間が短く感じられました。
幼児教育です。講師の方は,鹿児島キャリアデザイン専門学校の早瀬勇介さんです。テーマは「保育の仕事について」です。
生徒の感想から。「保育士はずっと遊ぶだけとか思ってたから,やりとり帳とか,5分おきに子どもが息をしているかの確認があるとか知らなかった。」「元々保育士になりたくてずっと保育士のことを調べていたけれど今日の話を聞いて,やっぱり保育士っていいなと改めて思った。」「子どもの成長を見守るために,保育士には精神力やがまん強さも必要だと思った。働くのも楽しそうだからやってみたい。」
看護です。講師の方は赤塚学園看専門学校の玉利太一郎さんです。テーマは「看護師の仕事について」です。
生徒の感想から。「看護の仕事は人を勇気づけ元気づける。人の心にふれる仕事。人々の痛みや苦しみを和らげるお手伝い。」「身だしなみをしつかり。精神をいやす(心のケア)が大事」
事務系です。鹿児島情報ビジネス公務員専門学校の谷川浩さんです。テーマは「事務系の仕事,知識」です。
事務では,簿記,パソコン必要(最低限)。電話対応は,声を少し高く,声の印象が大事。コミュニケーション能力が大事。一番関わる仕事。ビジネスマナー,常識を身に付ける。
美容系です。鹿児島県理容美容専門学校の上玉利親護さんです。テーマは「これからの美容業界について」です。
販売系です。株式会社ハンズマンの佐伯卓也さんです。テーマは「販売業について」です。
生徒のメモから。ホームセンターの種類。DIY型のホームセンター。ハンズマン。食料品をあつかわない。バラエティ型ホームセンター。別名ワンストップ型。従業員は1人1台トランシーバーを持っている。新人は先輩の話を聞いて学んでいく。いろんなところに従業員がいるから分からなくてもきける。
ホテルは,指宿シーサイドホテル株式会社の有村純頼さんです。テーマは「ホテル業について」です。
生徒のメモから。ホテルに泊まる=非日常を味わう。友達・恋人・家族・会社の同僚・先輩・後輩等疲れを癒やす。明日から頑張れるようサポートする。多岐にわたって支えてもらっている。掃除する人,調理する人,設備や機械をメンテナンスする人など。気遣い,気配り=初めてプロになれる。「友たちは一生もの」。自分を大切に,友達を大切に。などホテル業について,大事なことを時間いっぱい教えて頂きました。
今回の出前授業で教わったことをもとに,進路希望について考えていきたいと思います。今日は本当にありがとうございました。
2021年12月15日(水)
郷土芸能専門部発表会 せばる隼人舞について

12月14日(火)に、令和3年度第16回鹿児島県高等学校文化連盟郷土芸能専門部発表大会が,奄美文化センターで行われました。
東高校は、坂元台小校区に受け継がれている『せばる隼人舞~序の舞~』を披露しました。保存会の丸山さんのご指導のもと、悠々とそして凛とした演技をすることができました。

午後の、ワークショップでは、演出家の松永太郎さんに直接ご指導していただきました。登場の仕方や照明の効果など、目からウロコなアドバイスばかりでした。
他校の、迫力いっぱいの伝統芸能・和太鼓に心打たれ、最後には奄美の六調を参加生徒全員で行い、一体感を味わうことができました。

残念ながら、入賞には至りませんでしたが、最後に、従来にない鹿児島地域の郷土芸能が参加することで、新しい風が吹いたとの講評をいただきました。次回も機会があれば参加していきたいと思います。
発表大会参加に関して、ご協力していただいた全ての方へ感謝いたします。
2021年12月12日(日)
韓国語スキット大会に参加しました!!


本日鹿児島女子短期大学で、行われました。

今回は中高生スキット部門に参加したのは、本校以外に、大口明光学園、屋久島高校が2組ずつ参加したようです。

本校からは2年生2名が参加しました。
参加部門は、中高生スキット部門 <2 人 1 組で挑戦します>です。
ルールは、制限時間 3 分。指定の台本を暗記し、2 人 1 組で韓国語の発音や表現力を競います。1 人での参加はできません。本文 自体を変えることはできませんが、文末を変えたり、文章を一部追加することができます(本文全体の 3 分の1程度まで)。ま た、台本を読み上げることはできません。小道具は身の回り品程度とします。事前に、小道具の内容をお知らせください。 BGM を流すこともできます(機材等はご自分で準備して下さい)。ということです。

今回は、「キムチに合う食べ物」というテーマです。はじめに用意されたテーマがあり、最後に創作部分があります。最後については参加者が内容を考えて発表します。できるだけ気持ちを込めてするのが大事です。結果やいかに。
なお、詳しくは本校HPトップ画面左側の関連団体リンクの「駐大阪韓国文化院」HPをみてください。
2021年12月12日(日)
校歌の研究 その21 ~吉田南中学校


1.大原(おおばる)の空しずかなり 白雲(しらくも)は低く流れておか広く 光り豊かに 命いのち燃えたつところ ああ吉田南中学校 2.寺山のふかき緑よ この国の歴史のとびら音たかく 開きし人の言(こと)の花今もかおりて 真実(まこと)なり 敬天愛人 3.大いなる天地の間 桜島青くそびえて若人よ 大志いだけとふき上げる煙の高き ああ吉田南中学校 吉田南中学校は、吉田町立吉田南中学校として昭和22(1947)年創設され、平成16(2004)年に鹿児島市立となりました。設立16年後の昭和38(1963)に校歌が制定されました。その間旧校歌があったかどうか不明です。作詞は副田凱馬(そえだよしま)、作曲は井上了(さとる)です。
←副田凱馬著『児童詩をこう育てる』作詞担当の副田氏について。鹿大教育学部新名主健一氏の研究や副田『児童詩をこう育てる』によると、明治39(1906)年鹿児島市生まれ、昭和63(1988)年死去。大正15(1926)年鹿児島第一師範学校本科一部卒業、同年鹿児島市尋常高等小学校(略称「市尋高」)に勤務し、昭和17(1942)年まで務めました。その後末吉小、財部南小、大龍小、鹿児島市社会教育主事、同指導係長、城南小等に勤務しました。昭和55年に博報賞を受賞した際の、功績概要には「戦前戦後を通じ、作文教育において独自の方法を開拓して著しい効果をあげてきたほか、児童詩・児童劇の創作と指導、童話の口演なども行い、県内の国語教育、文学教育に大きい影響を与えている」とあります。「学習の綴方」「番号作文」の発案、提唱者で、南方綴方推進のリーダーとして、鹿児島県の国語教育史上大きな足跡を残したとされます。番号作文とは、書くことがない、何を書いていいのか、書き方が分からないといった子どもたちに対して、題材・文材の見つけ方や文の書き表し方等を指導して、作文嫌いから作文好きにさせる作文学習の仕方だそうです。具体的には、まず文頭に番号をつけて、たくさんの文材を書かせます。その番号は書き並べる順番にもなっています。教師側は番号数が多いものに点数を付け、子どもたちは文材集めや書き並べに張り切るようになるとのことです。KJ法のような発想法に近い方法です。氏は子どもたちの「踊る心(感動)」をかき立て作文させることが大事ということです。
←井上了氏です。『広報さつま』平成31年4月号「人物探訪」25によると、作曲担当の井上了氏は大正8(1919)年鶴田村(現さつま町)に生まれました。昭和14(1939)年鹿児島師範学校本科一部を卒業。日置郡串木野尋常高等小学校、盈進国民学校訓導を歴任し、戦後昭和22(1947)年宮之城中学校に赴任。音楽教師を務め、吹奏楽部の指導にもあたりました。25年に教育事務所薩摩出張所管内の教育指導員に従事。31年に宮之城中学校吹奏楽部は第1回西部吹奏楽コンクールで優勝し、同年全国吹奏楽コンクールで第2位に輝き、その名を全国に広めました。37年鶴田小学校校歌の作曲を手掛けました。校歌は、軽やかで児童生徒の希望の朝日を呼び込むような楽曲だと好評でした。氏は昭和41年鶴田町立鶴田小学校長と鶴田幼稚園長を兼務し、その後喜入町立喜入小学校長、徳之島町立亀津小学校長、姶良町立建昌小学校長を歴任しました。定年後も教育関係に携わり、多大な功績を残した井上氏でしたが、平成9(1997)年78歳で死去されました。
さて歌詞について。1番の大原(おおばる)は県教育センター所在地でもある大原台地です。鹿児島で「~原(はる)」地名は開墾地を指していて台地の場合が多いです。2番は全編西郷隆盛のことを歌っています。寺山は西郷さんが作った吉野開墾社のある場所で、幕末維新で活躍した郷土鹿児島の偉人である西郷さんの言葉は、今も根付いてると歌い、敬天愛人で締めくくります。3番は桜島を歌います。
