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2021年10月17日(日)
校歌の研究 その1 ~鹿児島市立中学校について
校歌は学校周辺の風景を読み込み、その独自の教育方針と学校の理想を歌い校風を醸成するために制定されたものとされる。今回は本校生徒の出身中学である市内中学校に限定して、校歌について考えてみたいと思う。
鹿児島市内の市立中学校は現在39校ある。
『鹿児島市史』によれば、S22年第1~6、9中、翌年第7、8中が創設され、S24年にそれぞれ吉野中・清水中・長田中・甲東中・城西中・武中・鴨池中・甲南中・天保山中と改称した。新制中学はゼロからのスタートであり、敷地・校舎等の整備は至難を極めた。市内にあっては、区画整理の一環で敷地の換地を行い、起債による校舎建築が可能だったとされるが、雨漏りやむしろ敷き、ミカン箱の机等開校当初は大変だったようだ。その後市町村合併による市立化、生徒数増加による新設が行われた。S25年伊敷村・東桜島村合併で、伊敷中・河頭中・東桜島中・黒髪分校(後独立化)、34年南中、42年紫原中、42年に谷山市合併で、谷山中・和田中・谷山北中・福平中・鈴山小中の市立化。49年緑丘中が新設された。
生徒数急増に伴い鹿児島市は、51年度「鹿児島市小中学校整備計画」を定め、51年明和中、54年西紫原中・坂元中、55年東谷山中・桜丘中、57年星峯中、58年吉野東中、59年西陵中、63年武岡中が続々新設された。62年中学生数がピークを迎え2.5 万人を超えた。平成に入り、H2年皇徳寺中、6年伊敷台中新設。16年平成の大合併で、吉田北中・吉田南中・桜島中・喜入中・松元中・郡山中が市立化した。18年玉龍中新設で、中高一貫校が誕生した。これで鹿児島市立中学校39校+鹿大付属中と併せると市内公立中40校となる。
数年前から南日本新聞紙上で「校歌の風景」という連載記事があるが、適宜参照してみたいと思う。2021年10月09日(土)
大木先生と歩く寺山散策に参加してきました!!
本日午後から,吉野兵六会主催で,大木先生と歩く寺山散策がありました。鹿児島大学名誉教授の大木公彦先生をフィールドワークの講師としてお呼びし,寺山周辺の散策を行いました。今年度吉野地域の活性化を進めるワークショップの一環です。
今回はふれあい公園に集合し,寺山古道を登り,寺山展望台に昇りました。本校からも生徒が参加しました。他には吉野東中の生徒や校長先生,吉野兵六会の方々,よしのねぎぼうずの永山さんなどが参加して,大木先生の地質学の話や,中野町さんや櫻井さんの興味深い話など,とても面白く伺いました。
寺山展望台で大木先生から,錦江湾奥には今から3万年前に,大きな火山があり,それが噴火して,大きなカルデラとなったことや,そのあと隆起して今の吉野台地が出来たことなど,台地は断層で区切られ,棈木川(稲荷川)が流れていること。左岸は台地だが,右岸はシラスが堆積した地形であること。関吉の疎水溝の取水口の辺りは,奇跡的に両岸とも岩盤で,そのため堰が出来た,そのため取水口として利用されたのとことである。また今の国分姶良の辺りは大きな湖で,志布志の辺りは海が流入し錦江湾とつながっていて,南の方は島になっていた。鹿児島市内はほぼ海の中で,高速道路辺りが海岸線だったそうである。そういった話を要所要所でなされ,話は尽きることが無かった。
展望台で桜島をバックに記念撮影。当日は少し日差しは強かったが,秋晴れの気持ちの良い1日でした。
2021年10月08日(金)
日本史おすすめ本 その18
これから週末に,日本史にまつわる本を紹介していきたいと思います。
2021年10月02日(土)
日本史おすすめ本 その17
これから週末に,日本史にまつわる本を紹介していきたいと思います。
2021年09月29日(水)
第39回 全日本中国語スピーチコンテスト鹿児島大会 スピーチ部門優勝!!
先週の日曜日の9月26日にかごしま国際交流センター多目的ホールで行われた,第39回 全日本中国語スピーチコンテスト鹿児島大会で,なんと本校3年生の小山田安那さんが,スピーチ部門で優勝しました。おめでとう!! また朗読部門では,同じく馬渡光樹君が,準優勝。油田愁さんが4位でした。おめでとうございます。
その時の様子が,ユーチューブに公開されていますので,下のURLをクリックしてみてください。
スピーチ部門及びその表彰の様子
https://www.youtube.com/watch?v=6dDNq-4cgdw
→16分46秒~19分01秒あたり,小山田さんのスピーチの部分です。
最後表彰の場面です。本当に素晴らしい。おめでとう。
つぎに,朗読部門の様子です。
https://www.youtube.com/watch?v=ZoVAtVaUDKs
→10分15秒~11分15秒あたり,油田さんの部分です。13分40秒~14分48秒あたり,馬渡君の部分です。
これからも頑張ってください。後輩の生徒たちへの励みになります。来年度に続いてもらったらと思います。
2021年09月28日(火)
進学模擬面接です!!
9月24日と28日の2日間,進学希望者対象の模擬面接を実施しました。本校職員で面接官となり,志望理由,進学先で特に学びたいこと,将来像等について質問します。
入退室の礼法も,丁寧に行います。
2021年09月25日(土)
日本史おすすめ本 その16
これから週末に,日本史にまつわる本を紹介していきたいと思います。
2021年09月24日(金)
情報モラルオンライン講座です!!
9月22日(水)4限
今回はZoomを使用してリモートで,情報モラルの講演会を実施しました。講師の方はNTTドコモの徳永大輔氏です。
生徒はそれぞれの教室で,視聴して,ワークシートをまとめます。
2021年09月21日(火)
学校周辺の史跡 その12 ~せばる隼人舞
今回は、坂元地区に伝わる伝統芸能「せばる隼人舞」についてです。
鹿児島郡司を代々務め、坂元を領有した矢上氏の石碑です。矢上城跡です。表に「南朝忠臣矢上高純公居城址」、昭和6年3月2日に平田猛が建碑したとあります。高純は5代目で、南北朝時代に終始一貫南朝方(後醍醐天皇側)に属し、島津方(北朝方)に対抗したということです。
催馬楽の碑です。
坂元の日枝神社の近くに、催馬楽の碑(戦前に市が建碑か)がある。それは隼人について真偽混交な内容で、神話の神武東征、隼人が宮中警護のため歌舞で奉仕した話、平安時代の催馬楽を当地の人々が継承した話、そこでの音がたんたどの由来になったとの話が記されている。そもそも催馬楽(さいばら)は伴奏ありの古代歌謡であって歌舞ではない。隼人舞=催馬楽ではない。この混乱はなぜ生まれたか? また碑と少し離れているが、坂元小の近くには、矢上城跡(別名催馬楽城)がある。
キーは矢上氏にあると思う。研究者によると矢上氏は鎌倉初期から南北朝時代(室町初期)までの約130 年間鹿児島郡司として在地勢力となり当地を支配した。その中で日枝神社を創建し、それに伴い神社奉納のため、催馬楽や歌舞を創始したのではないか。最後矢上氏は島津氏との抗争に敗れ、その姿を歴史から消し去ったのであろう。坂元や催馬楽など地名にわずかに痕跡を残すのみとなった。
現在坂元では、せばる隼人舞として毎年11月に奉納されている。これは元々霧島の隼人舞を昭和46(1971)年に京田辺市の方々が伝承して大住隼人舞とし、平成4(1992)年に坂元台小校区の方々が、せばる隼人舞として逆輸入し継承したとのことである。初め催馬楽の碑の近くの催馬楽公園(通称おとん山)で行われていたが、平成28年から坂元台小の体育館で行われている。本校ダンス部も毎年参加して、序の舞と神招(かみおぎ)の舞を担当している。本校ダンス部及び有志参加者で,令和元(2019)年度に参加した時の様子です。
近隣の小中学校の校歌には、当地の歴史が歌い込まれており、「(1番)歴史にかおる矢上城」(坂元中)、「(1番)矢上の城のあとどころ」(坂元小)、「(2番)若葉さやかな 催馬楽丘 隼人の調べしのびつつ」(坂元台小)と、地域に根付いていることが分かる。
2021年09月20日(月)
日本史おすすめ本 その15
これから週末に,日本史にまつわる本を紹介していきたいと思います。
作者は鹿児島県錦江町生まれ、大阪府出身の直木賞作家です。2020年に『熱源』(樺太や北海道を舞台に樺太アイヌとポーランド人の民族学者の運命が交差する歴史小説)で直木賞を受賞。今週金曜日の9月24日から、『パシヨン』が南日本新聞で連載されるとのこと。内容は、キリスト教禁教下の江戸時代初頭。日本人司祭マンショ小西と、幕府の宗門改方・井上政重の対立を軸に大農民一揆や島原の乱を絡めて、壮大な物語が繰り広げられます。「パシヨン」とは、キリシタン用語でキリストの“受難”を意味します。とのことです。楽しみですね。