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  • 2022年02月05日(土)

    日本史おすすめ本 その24

      今後は,その折々で,日本史にまつわる本を紹介していきたいと思います。

    日本史おすすめ本 (24)

  • 2022年02月01日(火)

    進路体験発表会です!!

     1月31日(月)6限に進路体験発表会がありました。

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     今回は,新型コロナの影響で,校内放送での実施となりました。

     進学4人・就職4人の計8人の3年生が,それぞれの体験をもとにして,準備・受験・これからの心構え等について語ってくれました。

     就職:モロゾフ(株),(株)美創産業,城山観光(株),さこだ歯科

     進学:KCS鹿児島情報専門学校,鹿児島県立短大,京都精華大学,志學館大学

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     次の出番の発表者は,放送室前で,原稿を見直し,読む練習をしています。

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     他の生徒は各教室で,放送を聞いて,メモを取ったり,感想を書いたりします。以下,生徒の感想から抜粋します。

     就職でも,進学でも小論文や面接が難しく,大事なことが改めて分かりました。また発表された先輩方はみんな自分の進路についてすごく調べられていて,先生にまかせっきりの自分が恥ずかしくなってきました。自分の進路についてよく考えるように心がけたいです。(2年男子)

     1年後,自分たちが進学就職に向けて頑張っている姿が想像できない。けれど,やばいなーという実感だけはある。そろそろ真剣に向き合うべきだと思っている。今自分にできることは何か。自分に必要なものは何か考えるべき。遅刻や欠席をなるべくしないように,体調管理にも気を付けたい。(2年女子)

     受験をして,たくさんの事を学んだ先輩から進路に向けてどう進めばいいか。今できる事は何かを知れて良かった。私も今年は受験なので先輩たちから言われた事を活かして頑張っていきたい。(2年女子)

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     1年生の様子。

     将来の自分の就職を分析していたのがすごかった。受ける会社の下調べなどしっかりしていた。遅刻,欠席が1番ダメらしい。ふだんのみだしなみ,しぐさが大切。日頃の所作のくせが出る。(1年女子)

     自分の好きなことを一番に考えた。親からも条件で関西の大学について調べた。ボランティアに参加する。「人生がかかっている」と自分で自分にプレッシャーをかけてた。先のことを考えて,早いうちに行動する。(1年女子)

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     以下,進路体験の内容をいくつか抜粋して紹介します。

    そもそも自分に合った仕事がわからなかったため,求人票が届いてから両親に相談しました。(中略)中でも私が特に苦労したのは履歴書書きでした。(中略)不測の事態に備えて今できることを一つ一つ丁寧に頑張ってほしいです。面接練習は本当に数をこなして慣れるしか上達の道はないと思います。

    夏休みからは面接に向けて,入退室の仕方,礼の角度や座り方,質問の返し方の練習をしました。太ももがつりそうになったりできない自分に悔しくて泣きそうになることもありました。また志望動機や自己アピールがスラスラかまずに言えるためには,もちろん受ける会社をすべて調べつくし,どんな質問が来ても答えられるようにしなければいけません。(中略)所作は,普段の態度が出やすいので常日頃から意識しておくと良いと思います。

    ・(自己PRのために)ホテル短期大学校のオープンキャンパスや城山ホテル鹿児島の職場見学等に行ったり,ホテルは語学が有利だと思い,中国語のスピーチコンテストにも出場しました。(中略)接客業なので面接に力を入れました。(中略)初めてのことが多く何も決まっていなくて焦るかと思いますが,先生方が必ず助けてくれます。

    やはり何事も自分の目で確かめることが大切だと改めて思いました。悩むより先に行動しようと思い,たくさんの求人票を見て,いろいろな企業について調べました。先生に褒めていただいたときには,努力が力になっていることを実感することができて,とっても嬉しかったし,本番まで毎日頑張ろうと明るい気持ちになりました。自分を信じて本番に向けてひたすら準備をしていたら大丈夫です。そして,一人で悩まずに周りの力を求めることも大切です。

    私は,高校三年の一学期まで,進学するか,就職するか明確に決まっていませんでした。けれども,教養コースで,パソコンを活用したり,簿記などの商業科目を学んだりしていくうちに,もっと知識や技術を身に着けたいと思うようになりました。

    私が,受験や,これからのことで大切だと感じたのは,先のことを考えて,今動くことということです。やって後悔することはないと思います。学生の私たちが一番最初にやっておくことは,成績を上げることです。

     その他,共通しているのは,遅刻欠席をしない。授業態度に気を付ける。提出物をしっかり出して,成績を上げる努力をする。資格取得やボランティアなど積極的にチャレンジ・参加して,自己PRや面接の際の材料作りをした方が良い。早めに進路希望を決めて,準備をしっかりするということでした。

      1・2年生は,特に2年生はこれから自分たちの番です。先輩たちの進路体験やアドバイスを参考に自分の進路実現に向けて頑張りましょう。

     

  • 2022年01月29日(土)

    日本史おすすめ本 その23

      今後は,その折々で,日本史にまつわる本を紹介していきたいと思います。

    日本史おすすめ本 (23)

  • 2022年01月23日(日)

    日本史おすすめ本 その22

      今後は,その折々で,日本史にまつわる本を紹介していきたいと思います。

    日本史おすすめ本 (22)

  • 2022年01月21日(金)

    課題研究発表会です!!

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     本日3年生が1年間かけて調べてきた課題研究の発表会です。途中新型コロナの影響で十分な活動時間が取れませんでしたが,6グループ各班ともテーマ設定をして,調べてきました。

    1:「事務・情報・公務員」班 「一般事務」・「公務員・プログラマについて」

    2:「経済」班 「各国の経済のさせ方」・「コロナ禍でのオンライン授業の違いと学費の変化」

    3:「販売」班 「コンビニについて」・「CAについて」

    4:「製造」班 調味料の「さしすせそ」の製造について

    5:「美容・ファッション」班 「メイクの変遷(昭和から令和まで)」

    6:「芸術・児童・看護」班 「コロナ禍による社会への影響」

     今回は昨年度同様リモートで行いました。各班の班長・副班長で係分担をして,生徒自身で運営します。司会,日程・評価規定説明,計時,パソコン操作,集計です。

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     司会の様子です。

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     日程・評価規定説明をしています。

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     1番手は,「事務・情報・公務員」班 です。「一般事務」・「公務員・プログラマについて」発表します 。

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     他の生徒は各教室で視聴します。

     しかし,途中でハプニング発生。ズームによるリモートが出来なくなりました。そこで急きょ校内放送に切り替えです。

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     途中ハプニングに見舞われましたが,生徒達は落ち着いて,活動の成果を発表できました。

     最後教頭先生から講評をいただきました。

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     みんなで協力しながら,発表会を成功させました。3年生は来週に卒業考査,,再来週には進路体験発表会があります。卒業まであとわずか。残りの学校生活を楽しんでください。

  • 2022年01月15日(土)

    校歌の研究 その41(完結) ~鹿児島玉龍中学校

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    1.南の空晴れ渡り 黒潮のたゆたふところ 火の島の煙仰げば 鉄の意気は燃えたつ ああ潑剌の若き玉龍 2.蛟龍の玉をふみつつ 雨を呼び風をはらみ  舞ひのぼる雲を仰げば 天を衝く力みなぎる ああ躍進の若き玉龍 3.荊棘の試練に耐えて うちたてる文化のあした 旭日の光仰げば 青雲の希望はをどる ああ玲瓏の若き玉龍

     鹿児島玉龍中学校・鹿児島玉龍高等学校は、昭和15(1940)年鹿児島市立中学校(旧制中学)として開校、25年に鹿児島県玉龍高等学校となり、32年鹿児島市立化しました。平成18(2006)年に鹿児島玉龍中学校が併設され、市内唯一の市立中高一貫校となりました。
     校名の由来は当校所在地にあった福昌寺の山号「玉龍山」によるものです。福昌寺は南北朝時代の伊集院に生まれた石屋真梁(せきおくしんりょう)という曹洞宗のお坊さんによって作られたお寺で、代々島津氏の菩提寺となり、現在も玉龍高校の裏手に福昌寺墓地という島津氏のお墓があります。石屋は他に伊集院の「妙円寺詣り」で有名な妙円寺や、しんこ団子発祥の深固院(日吉町)も作っています。
     校歌制定年は不明ですが、25~27年頃(玉龍高校創設後~作曲担当の杉山氏逝去)に作られたのではと思われます。市立中学校歌ではないので、本コラムの趣旨と合致しませんが、40番目の校歌として考えてみたいと思います。作詞は前田重行、作曲は杉山長谷夫です。
     ウィキペディアによると、作曲担当の杉山氏は、本名杉山直樹で、明治22(1889)年に愛知県名古屋市に生まれました。日本の作曲家、ヴァイオリニスト、音楽教育者、指揮者です。大正2(1913)年東京音楽学校器楽科卒業。安藤幸、アウグスト・ユンケルらにヴァイオリンや作曲を師事しました。東京音楽学校を卒業後はヴァイオリン奏者として活躍し、高階哲夫、多基永らと室内楽運動を展開し、暁星中学校、俳優学校、陸軍戸山学校などで音楽を教えました。作曲家としては本領であるヴァイオリン曲のほか、軍歌、歌曲、歌謡曲、童謡も手がけ、抒情画家・蕗谷虹児の作詞による、花嫁になる女性の哀感を情緒的に表現した童謡『花嫁人形』は少女たちに広く愛唱されたそうです。歌謡曲では自ら見出した詩人・勝田香月の詩、オペラ歌手・藤原義江の歌唱によって別れの寂しさを表現した『出船』がヒットしました。多作であり、SPレコードの録音だけでも百数十曲の作品が確認できます。戦後は日本作曲家協会理事、日本音楽著作権協会理事などを歴任。酒を好み、貴公子然とした風格を持ち、軽妙洒脱でユーモアをたっぷり含んだ語り口と人柄で「殿下」の愛称で親しまれたそうです。当校校歌の他、早稲田大学応援歌、静岡県立富士高校や千葉市立小中台中学校などの校歌を担当されたようです。昭和27(1952)年に62歳で亡くなりました。
     玉龍高校同窓会HPによると、校歌は全国から公募したとあります。また前田氏は隼人中学校校歌も作詞しているようです。両校の歌詞を比べてその特徴を考えてみます。共通するワードは、黒潮、桜島(当校は火の島と表現します)、意気は燃え立つ、はつらつ(当校では潑剌と漢字表記)、力みなぎる、躍進、試練、文化、旭日、青雲、希望です。当校は高校校歌のため表現も漢語を多用し、難しいですが、内容的には生徒を主体にして「若さ」のイメージを大事にしているようです。
     さて歌詞について。高校校歌ということもあり、難しい表現が多く見られます。全体的には校名の龍にちなんだイメージや表現を使っているようです。特に2番の「蛟龍」は、水中にすむとされる中国古代の想像上の動物で、水中にすむ蛟龍は雲や雨を得ればそれに乗って天に昇り龍になるといわれることから、能力を発揮する機会の無かった英雄や豪傑が、機会を得て能力を発揮することのたとえとされるそうです。3番の「荊棘(けいきょく)」は荊、棘ともにいばらの意味で、困難や障害があることのたとえです。「玲瓏」は、玲も瓏も、どちらも「玉や金属、宝石などがお互い触れることで鳴る美しい音」を表す言葉であり、「玲瓏」でさらに意味を強め、玉や宝石などが美しく輝き、冴え冴えするような音を奏でる様子を指しているそうです。校名の龍の字が入っている熟語を採用し、かつ生徒の切磋琢磨するイメージを重ね合わせているのではと思います。

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     以上で,市内40中の公立中学校全ての校歌を考えることが出来ました。

     校歌は学校周辺の風景、学校の教育方針や理想を歌い、校風を醸成するために制定されたものです。校歌を通じてその学校における生活環境を考えることは、郷土理解、郷土愛を育むことにつながるのではと考え、鹿児島市内の公立中学40校の校歌について調べてみました。
     戦後スタートした新制中学は、番号を冠した9つの中学を皮切りに、市町村合併による市立化、特に70年代の第2次ベビーブームによる生徒数急増に伴う市の小中学校整備計画により、続々新設されました。
     この研究を通じて、学校周辺の地理的環境、戦後の県の国語・音楽教育界やそれをリードした人物、地域の歴史、何よりも学校創設当初の時代の雰囲気や気風を知ることが出来ました。
     また南日本新聞連載の「校歌の風景」やひろば欄に時折寄せられる校歌についての投稿を読むと、在校生や教職員、卒業生の母校への深い思いを改めて感じることが出来ました。

  • 2022年01月15日(土)

    校歌の研究 その40 ~伊敷台中学校

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    1.昇る朝日のさやけきに 高くそびえし学び舎は 集う若人自主のもと 理想をかかげ明日拓く ああ進み行く伊敷台中学 2.空青々となお深く 水また清き甲突に 学ぶ若人友愛の 胸熱くして肩をくむ ああたくましき伊敷台中学 3.はるかに望む桜島 緑の大地希望わく いさむ若人ふるさとを 興すは我ら意気盛ん ああ我が母校伊敷台中学

     伊敷台中学校は、平成4(1992)年に坂元中・伊敷中学校から分離して、鹿児島市立伊敷台中学校として創設されました。校歌制定年は不明です。作詞は職員一同、作曲は職員一同、久保禎(ただし)監修です。

    久保禎 ←久保禎氏です。
     ウィキペディアによると、久保氏は日本の現代音楽作曲家で、鹿児島国際大学国際文化学部教授だそうです。昭和37(1962)年鹿屋市生まれ。東京学芸大学卒業、同大学院修了。ベルギー王立ブリュッセル音楽院修士課程。作曲を仲俣申喜男、吉崎清富、ヤン・ヴァン・ランデゲムに師事。在学中吉崎清富らと作曲家グループ「パッケージ21」、ヲノサトルらと音楽確信犯会議を結成し、作品発表を行う。第1回日仏現代音楽作曲コンクール特別賞、東京国際ギター作品作曲コンクール入賞等受賞。その他国内外の多数の音楽祭に招待され出演されてきました。東アジア作曲家協会日本支部委員。日本作曲家協議会、日本現代音楽協会各会員。九州・沖縄作曲家協会理事等歴任されています。

     さて歌詞について。2番に甲突川、3番に桜島を詠み、1番自主、2番友愛、3番希望と定番のテーマを歌い込めます。
     1番にある「さやけき(明けき・清けき)に」は光が冴えて明るい、澄んで、清らか、すがすがしい等を意味する古語です。ここでは朝日が冴えて明るく清々しい様子でしょうか。続いて「高くそびえし学び舎」とあり、高台にある校舎を歌っています。3番では「はるかに望む桜島」に「緑の大地」と続けて、桜島を希望の象徴として捉え、郷土振興を歌い上げており、とても気持ちの良い歌に仕上げています。

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  • 2022年01月14日(金)

    心理教室です!!

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     本日1年生は,6限目のライフクリエイト(総合的な探究の時間)で,「心理教室」を行いました。テーマは「心のからくり~5つの状態をもとに友人関係をとらえる~」です。

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      講師の方(向かって左側)は,スクールカウンセラーの冨田惠子先生です。

     はじめに講師の先生から、エゴグラム・チェックリスト(心理テスト)の説明があり,そのあと担任の先生方で,簡単なロールプレイがありました。

  • 2022年01月14日(金)

    ライフクリエイト発表会のリハです!!

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     本日5、6限に本校大ゼミで、総合的な探究の時間(ライフクリエイト)の、課題研発表会のリハを行いました。

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     司会進行、パソコン操作、タイムキーパーなど生徒自身が行います。

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     事務・情報・公務員班の発表です。事務の仕事内容、必要な資格などをまとめて発表します。

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     販売班です。「コンビニについて」「キャビンアテンダントについて」という2つの内容について発表します。写真は主要コンビニの分布図について。

     その他合計6班が発表します。本番では昨年度同様リモートでの実施になりますが,今回は大ゼミで3年生だけのリハです。スライドの文字の大きさとか,話し方のスピードや声の大きさなど改良して次に生かしたいと思います。

  • 2022年01月14日(金)

    校歌の研究 その39 ~皇徳寺中学校

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    1.緑の風に 敬愛の ブルーベリーの 道静か 手を結び合い 若人の ああ 皇徳寺中学校 平和あふれて 友多し 2.歴史の里に いま自主の 泉湧き出る 永田川 体を鍛え 若人の ああ 皇徳寺中学校 文化あふれて 幸多し 3.瞳も燃えて 向学の 翔び立つ空に 桜島 未来を見つめ 若人の ああ 皇徳寺中学校 光あふれて 夢多し

     皇徳寺中学校は、平成2(1990)年に谷山北中学校から分離して、鹿児島市立皇徳寺中学校として創設されました。校歌制定年は不明です。作詞は橋口義心、作曲は兼廣晨史です。
     兼廣氏については西陵中のところで紹介しました。橋口氏についてはよく分かりませんが、田代小(川辺)22代校長(1984-88)・平川小30代校長(1988-1990)をされています。縁あって作詞を担当されたのでしょうか。

     さて歌詞について。1番に「ブルーベリーの道」とあります。これは1980年代に皇徳寺台を建設していた南国地所によって数百本のブルーベリーが植樹されていたことにちなむもので、「ブルーベリーロード」と呼ばれる 2.5kmの歩行者専用道路のことだそうです。とても斬新で爽やかな歌詞です。

    ブルーベリーロード

     2番には永田川、3番には桜島と定番の景観を詠み込みます。2番に「歴史の里」とあるのは、地名の由来となった「皇徳寺」にちなむものと思われます。皇徳寺は元皇立寺といい、南北朝時代の懐良親王(後醍醐天皇の皇子)が薩摩に来たときに作られたお寺で、親王が亡くなったあと、地元の谷山氏が現地に移して皇徳寺と改称したそうです。

    皇徳寺地図