分類
2022年01月14日(金)
心理教室です!!
本日1年生は,6限目のライフクリエイト(総合的な探究の時間)で,「心理教室」を行いました。テーマは「心のからくり~5つの状態をもとに友人関係をとらえる~」です。
講師の方(向かって左側)は,スクールカウンセラーの冨田惠子先生です。
はじめに講師の先生から、エゴグラム・チェックリスト(心理テスト)の説明があり,そのあと担任の先生方で,簡単なロールプレイがありました。
2022年01月14日(金)
ライフクリエイト発表会のリハです!!
本日5、6限に本校大ゼミで、総合的な探究の時間(ライフクリエイト)の、課題研発表会のリハを行いました。
司会進行、パソコン操作、タイムキーパーなど生徒自身が行います。
事務・情報・公務員班の発表です。事務の仕事内容、必要な資格などをまとめて発表します。
販売班です。「コンビニについて」「キャビンアテンダントについて」という2つの内容について発表します。写真は主要コンビニの分布図について。
その他合計6班が発表します。本番では昨年度同様リモートでの実施になりますが,今回は大ゼミで3年生だけのリハです。スライドの文字の大きさとか,話し方のスピードや声の大きさなど改良して次に生かしたいと思います。
2022年01月14日(金)
校歌の研究 その39 ~皇徳寺中学校
1.緑の風に 敬愛の ブルーベリーの 道静か 手を結び合い 若人の ああ 皇徳寺中学校 平和あふれて 友多し 2.歴史の里に いま自主の 泉湧き出る 永田川 体を鍛え 若人の ああ 皇徳寺中学校 文化あふれて 幸多し 3.瞳も燃えて 向学の 翔び立つ空に 桜島 未来を見つめ 若人の ああ 皇徳寺中学校 光あふれて 夢多し 皇徳寺中学校は、平成2(1990)年に谷山北中学校から分離して、鹿児島市立皇徳寺中学校として創設されました。校歌制定年は不明です。作詞は橋口義心、作曲は兼廣晨史です。
兼廣氏については西陵中のところで紹介しました。橋口氏についてはよく分かりませんが、田代小(川辺)22代校長(1984-88)・平川小30代校長(1988-1990)をされています。縁あって作詞を担当されたのでしょうか。さて歌詞について。1番に「ブルーベリーの道」とあります。これは1980年代に皇徳寺台を建設していた南国地所によって数百本のブルーベリーが植樹されていたことにちなむもので、「ブルーベリーロード」と呼ばれる 2.5kmの歩行者専用道路のことだそうです。とても斬新で爽やかな歌詞です。
2番には永田川、3番には桜島と定番の景観を詠み込みます。2番に「歴史の里」とあるのは、地名の由来となった「皇徳寺」にちなむものと思われます。皇徳寺は元皇立寺といい、南北朝時代の懐良親王(後醍醐天皇の皇子)が薩摩に来たときに作られたお寺で、親王が亡くなったあと、地元の谷山氏が現地に移して皇徳寺と改称したそうです。
2022年01月12日(水)
課題研究発表会のリハのリハです!!
今日は,3年生がパソコン室で,今月21日にある「ライフクリエイト(本校の総合的な探究の時間)の課題研究発表会」の準備をしていました。1学期からグループ分けをして,各班のテーマを決め,それぞれのグループで取り組んできました。昨年度に引き続き,今年も新型コロナウイルスの影響で,十分な時間を取れませんでしたが,各グループとも熱心に調べています。
スクリーンに実際映してみて,発表の練習をします。
各班のテーマです。1班:経済班「「各国の経済のさせ方」と「 コロナ禍でのオンライン授業の違いと学費の変化」」,2班:芸術・児童・看護班「コロナ禍による社会への影響」,3班:美容・ファッション班「メイクの変遷(昭和から令和まで)」,4班:販売班「「コンビニについて」と「CAについて」」,5班:製造班「調味料の「さしすせそ」の製造について」,6班:事務・情報・公務員「「一般事務」と「公務員・プログラム」」です。
2022年01月12日(水)
校歌の研究 その38 ~武岡中学校
1.自然の恵み背にうけて 野元が原にそびえ立つ 木の香ただよう学舎に 真理をめざす若人の 自立の歩みたしかなる ああ我が武岡武岡中学校 2.緑の大地踏みしめて 手と手とりあう友垣の 足音高き校庭に よろこび誓う若人の 友愛の華うるわしく ああ我が武岡武岡中学校 3.紫紺の空の陽をあびて かがやく明日の夢を呼ぶ 歌声ひびく塔上に 望みを秘めた若人の 創造の鐘高らかに ああ我が武岡武岡中学校 武岡中学校は、昭和63(1988)年に明和中学校から分離して、鹿児島市立武岡中学校として創設されました。鹿児島市の中学生数は62年にピークを迎え、 25118人となりました。そういう状況を反映して創設されたようです。校歌制定は同年の63年です。作詞は緒方正文、作曲は有馬俊次です。
緒方氏についてはよく分かりません。有馬氏は県内中学校の音楽教員で、昭和34(1959)年から46年度まで、宮之城中学校吹奏楽部で指導され、吹奏楽部コンクールに毎年のように参加されたようです。また『コンピュータで楽しい音楽授業をつくる』(2000年)、『音楽教師とIT技術-実力UPの授業ポイント』(2002年)という著作があります。それによると、九州内の教員や音楽関係者が、学校の音楽教育にコンピューターや電子楽器を導入して、もっと楽しく効率的に学習活動ができないものかと試行錯誤していた際に、仲間を集めようと企画され、平成8(1996)年以来「ミュージック・テクノロジー教育セミナーin九州(略称「阿蘇セミナー」)」が開催されることになったそうです。有馬氏は退職後にこのような活動を始めたとのことです。
さて歌詞について。1番に「野元が原」というローカルな地名がでてきますが、これは南北朝時代の古戦場跡ということです。1354年に、畠山直顕が島津氏の拠点東福寺城(現多賀山)を攻めるために、野元(武岡?武?)と原羅(原良)に布陣しました。島津軍は軍を2つに分け、畠山勢を攻めたとのことです。ここでは畠山軍の多田七郎と島津軍の山田弥九郎の一騎打ちが行われ、原羅合戦の一騎打ちと言われたそうです。歌詞では「野元が原にそびえ立つ木の香ただよう学舎に」とあり、新築したばかりの様子を歌っています。2番で「友愛の華」、3番で「創造の鐘」と校歌によく出てくるフレーズを歌っています。2022年01月11日(火)
始業式です!!
新年明けましておめでとうございます。
本日3学期始業式がありました。今回も前回同様リモートでの実施になりました。
はじめに校長先生からのお話。
1年の計は元旦にあり。大谷翔平選手のマンダラチャートの話。自分を磨く。よりよき関係を築くことが大事との話でした。
ついで,生徒指導部からの話。成人年齢が4月から引き下げになるとの話。大人と子どもの違いは,親の同意が必要になるかどうか。飲酒喫煙等は20歳のままだが,契約等について18歳から可能になるところがある。これまでは親の責任の部分が,自分の責任になる。最後いじわる虫の生態のビデオを見ました。
ついで進路指導部から。行動力がある人は成功体験を持っている人だ。自信をもち,不安を感じない。そうすると新しいことにチャレンジできる。そのためにどうしたら良いか。1.脳を最高の状態にする。2.新しいことを学んで記憶力アップ。3.睡眠をしっかりとる。4.食事を抜かない。5.ストレッチ,有酸素運動。1・2年生はあす進路希望調査があります。しっかり考えて置くこと。
最後保健部から。新型コロナウイルスのオミクロン株について。再度マスク着用等感染対策を徹底しましょう。冬休み期間中の「新型コロナウイルス感染症に関するアンケート」について,LHRの時間に記入すること。
3学期は,2年生にとっては3年0学期です。進路実現に向けてしっかり準備をしましょう。
2022年01月10日(月)
校歌の研究 その37 ~西陵中学校
1.みどりの庭に陽が落ちて 東に映える桜島 友よ学ぼうこの丘で 自律のしらべ高らかに 真理の扉を開くのだ ああ西陵中学われら 2.理想の海へとこしえに 流れて清き田上川 友よ磨こうひとすじに 豊かな心むすびあい かがやく学園創るのだ ああ西陵中学われら 3.歴史の歩みうるわしく 文化のかおるふるさとで 友よ語ろうわが豊富 試練を超えてたくましく 世紀のあしたへ巣立つのだ ああ西陵中学われら 西陵中学校は、昭和59(1984)年に武中学校から分離して、鹿児島市立西陵中学校として創設されました。校歌制定は翌年の60年です。作詞は内与詩守、作曲は兼廣晨史です。
作詞担当の内氏について。詳しくは不明でが、県内市民歌等を担当していて、枕崎市民歌、大崎音頭、ふるさと鹿屋音頭、松元お茶音頭、与論町町民歌、鹿屋体育大学学生歌、刈谷市制30周年記念作品「みどりの風に」、その他どういう縁なのか、HOUND DOG の「銀河のささやき」や島倉千代子「おじいさんおばあさんありがとう」の作詞も担当されているようです。
兼廣氏について。『鹿児島作曲協会創立30周年記念誌』によると、昭和46(1971)年に郡山脩、野崎哲、藤島昌壽(明和中校歌作曲)らと共に、作曲研究グループを結成し、48年に作曲研究会に改称会員20人で発足(代表理事郡山脩)。52年鹿児島作曲協会と改称し現在に至ります。51年郡山氏急逝のため、兼廣氏が引き継ぎ、57年に会長となったそうです。同協会はNPO法人でコンクール等の企画運営、作曲指導、音楽を通じての青少年の健全育成活動等を行うことを目的とする団体です。事業所は姶良市加治木町。兼廣氏は、県内小中校の校歌作曲も担当されています。皇徳寺中、立神中(枕崎市)、西陵小、西原台小(鹿屋市)、武岡音頭(武岡台校区)等です。さて歌詞について。1番で「桜島」を詠んでいます。「丘」とあるのは、当校HPに「標高100mの高台にありゆるやかな丘陵地帯」とあり、学校所在地のことを指しています。2番には田上川を詠み、3番には「歴史の歩みうるわしく文化のかおるふるさとで」と地域の歴史環境に触れています。具体的には出てきていませんが、近くに「西郷南州野屋敷の跡」があり、HPに「ここはその昔、西郷隆盛が、愛犬を連れて猟を楽しんだゆかりの地」とあるので、このことを指しているかと思います。ちなみに西陵なのに周辺の団地を、西郷団地と呼ぶのはこのためです。
この図を見ると、中学校密集地域で、団地と中学校区の関係がよく分かります。西陵中校区は、田上川(下流域は新川)と脇田川に挟まれた高台の丘陵地域だと分かります。
2022年01月09日(日)
職員研修です!!
1月7日(金)職員研修「不祥事防止について」がありました。学期当初にあたり,職員研修です。
はじめに,DVD「スクール・コンプライアンス」を視聴して,そのあと不祥事発生の要因は何か? 不祥事がなくならないのはどうしてか? 一人一人が心がけることはどんなことか?について,話し合いました。
2022年01月09日(日)
校歌の研究 その36 ~吉野東中学校
1.はるかに青き錦江湾 清く明るく吉野東 希望に燃えて夢を呼ぶ 勉学励み頼もしく 未来に向きて競いあわん 2.歴史ゆかしくこの台地 出会いを求む吉野東 友愛あふれ咲きかおり 礼節なりて麗しく 未来に向きて輪をひろげん 3.朝日そびゆる桜島 ともに鍛える吉野東 英気に満ちたこの笑顔 勤労練磨 耐えぬきし 未来に向きて歩みゆかん 吉野東中学校は、昭和58(1983)年に吉野中学校から分離して、鹿児島市立吉野東中学校として創設されました。校歌制定年は不明です。作詞は佐藤文男、作曲は長野彰です。両者とも詳しく分かりません。
・吉野中校歌(S28制定、作詞・作曲:久保けんお)
1.高原の吉野は青空にいちばん近い ぐんと背のびをすれば 青空に両手がとどく この美しい国で なごやかな心と心を結ぶ われらわれら吉野中学 2.三つのペンをかたどった われらの校章 光る三つのかなえは奥ふかい 学びの道を朝な夕なに示す あこがれの歌声たかき所 われらわれら吉野中学 3.桜島霧島開聞とひとめに のぞむすみきった空気の中で ひるまない強い体と 知恵と誠とをみがく 寺山に偉人の跡をしのぶ われらわれら吉野中学 ・吉野小校歌(S30制定、作詞:蓑手重則、作曲:西 勇恕)
1.ときわのみどり色はえて はるかに仰ぐ桜島 あヽこの窓にこの庭に 学ぶぼくらのわたしらの 知恵もかがやく吉野校 2.歴史はかおる寺山の 西郷さんをしのびつヽ あヽこの原にこの丘に みんな仲よく手をとって 歌もとどろく吉野校 3.平和な里のあさなゆう ゆたかににおう花紅葉 あヽこの地(つち)にこの空に 強く正しくたくましく 夢もはばたく吉野校 ・吉野東小校歌(S56年以降制定、作詞:蓑手重則、作曲:武田恵喜秀)
1.朝日の光さわやかに 学びの窓に今日もまた 明るい自主の鐘が鳴る 我らは我らは吉野東小 2.西郷さんの足あとを 朝な夕なにふみしめて 心をみがき身をきたえ 友愛花と咲きかおる 我らは我らは吉野東小 3.錦江湾の空高く 火を吐く山よ桜島 つばさも強くたくましく 我らは我らは吉野東小 さて歌詞について。近隣の小中学校と比較してみてみたいと思います。すなわち吉野小・吉野中・吉野東小・当校の4校です。このうち吉野小と吉野東小はいずれも作詞は蓑手重則氏です。吉野中は以前紹介しました久保けんお氏です。桜島は4校とも歌います。錦江湾は吉野東小が3番で、当校が1番で歌います。他の2校にはありません。距離的にはそれほど大差ありませんが、区別をつけるためでしょうか。これらに共通し、他校に例が見られない点は吉野の西郷さんを歌い込んでいるところです。吉野中では「寺山に偉人の跡をしのぶ」、吉野小では「歴史はかおる寺山の西郷さんをしのびつつ」、吉野東小では「西郷さんの足あとを」、吉野東中では「歴史ゆかしくこの台地」です。
ちなみに吉野小学校校長室には西郷さんが使用したとされる鉈や鎌が保管されています。明治6年征韓論争で敗れ鹿児島に下野した西郷さんは、吉野の寺山に吉野開墾社を作り、生徒らと昼は開墾、夜は勉学に励みました。その際使用した物が、現在保管されているとのことです。とてもゆかりがあります。
2022年01月08日(土)
校歌の研究 その35 ~星峯中学校
1.輝くひざし この丘に 集うわれらよ 手を取りて 希望の明日を 開きゆく 自主友愛の 鐘ならし はつらつ 星峯中学校 2.山なみはるか 桜岳の 力とどろに 若人の 平和の明日を めざしつつ 正しく強く 生きてゆく たくまし 星峯中学校 3.はてなき空よ 南(みんなみ)へ 大いなる夢 はぐくみて ゆたかな明日を 築かんと 英智をみがき 学びつつ 伸びゆく 星峯中学校 星峯中学校は、昭和57(1982)年に鹿児島市立星峯中学校として創設されました。校歌制定年は不明です。作詞は鮫島秀勇、作曲は津曲徹です。鮫島氏は詳しく分かりません。津曲氏については天保山中で触れました。
さて歌詞について。1番に「この丘」とあり、学校所在地の星ヶ峯ニュータウンの丘陵地域を指していると思います。住所で言えば星ヶ峯1~5丁目に当たり、5・6丁目は星ヶ峯みなみ台ともいうようです。昭和48(1973)~平成4(1992)年に整備されました。当校が57年設立なので、ニュータウン造成に併せて造られたようです。また「自主友愛の鐘ならし」と一見校歌によく出てくるフレーズですが、鐘が鳴るのではなく、鐘を鳴らすと歌い、若干ニュアンスが異なります。より主体的能動的な表現です。
2番では「桜岳(桜島の異称)の力とどろに」と歌い、詞藻豊かな表現であり、かつ音数を整えたのでしょうか(おうがく=4音、さくらじま=5音)。「とどろ(轟)に」とは、大きな音を立ててという意味なので、桜島の力強さを表現しているようです。
3番の「はてなき空よ南(みんなみ)へ」の部分が少し意味が取りづらいようです。当校HPでは続く部分が「大いなる夢はくぐみて」となっていますが「はぐくみ(育み)て」が正しいと思います。各番とも最後に、校名で締めくくっています。