記事
2021年10月21日
2021年10月21日(木)
福大HPに,本校卒業生の記事がありました!!

10月15日付で,福岡大学のホームページ上に,本校卒業生の記事が載っていましたので紹介します。
本校の平成30年度卒業生の田中康大君(福岡大学人文学部東アジア地域言語学科3年生)の記事が,進学先の福岡大学のホームページに載っていました。2021.10.15付「「東日本復興夏季セミナー」を実施~学生が2年ぶりに被災地・東北で学ぶ~」という記事です。東日本復興夏季セミナーは2011年に発生した東日本大震災の被災地を訪問し,ボランティア活動等を通じて防災や災害支援について学習するセミナーとのことです。10月9日(土),10日(日)に宮城県・岩手県の被災地を訪問し,田中君はAグループ20人の代表として,あいさつをしたそうです。頑張ってますね。詳しくは下のURLをクリックしてみてください。
https://www.fukuoka-u.ac.jp/fukudaism/campus_life/21/10/16885.html
田中君は本校在学中は生徒会長として,校内外の様々な行事に積極的に参加しました。また第二外国語で,中国語を選択して,進路先も語学を生かして,福岡大学への進学を決めました。
2021年10月18日
2021年10月18日(月)
日本史おすすめ本 その19
これから週末に,日本史にまつわる本を紹介していきたいと思います。

2021年10月17日
2021年10月17日(日)
校歌の研究 その2 ~吉野中学校

吉野中校歌 1.高原の吉野は青空にいちばん近い ぐんと背のびをすれば 青空に両手がとどく この美しい国で なごやかな心と心を結ぶ われらわれら吉野中学 2.三つのペンをかたどった われらの校章 光る三つのかなえは奥ふかい 学びの道を朝な夕なに示す あこがれの歌声たかき所 われらわれら吉野中学 3.桜島霧島開聞とひとめに のぞむすみきった空気の中で ひるまない強い体と 知恵と誠とをみがく 寺山に偉人の跡をしのぶ われらわれら吉野中学 
吉野中学校は、鹿児島市立第一中学校として昭和22年創設され、2年後に現校名に改称されました。校歌は創設直後ではなく6年後の28年に成立しました。戦後の混乱期ですぐには校歌制定に至らなかったようです。作詞・作曲は、久保けんお氏です。
久保氏は喜界町出身の民謡研究家・音楽教師として大変有名な方です。大正10年喜界島荒木に生まれ、昭和17年鹿児島師範学校を卒業し、種子島の小学校に赴任し、戦後まもなく民謡収集を始めました。氏は県内くまなく歩き、多くの民謡やわらべうたを記録に残したそうです。鹿児島の歌として有名な茶わんむしの歌や薩摩兵児謡(おどま薩州薩摩のぶにせ~)等も氏によって発掘収集されたものです。平成3年死去、享年70歳でした。
さて歌詞を見ると、他に例を見ないスケールの大きさを感じます。市内40中の内、桜島を歌う例は31中で78%に上りますが、桜島・霧島・開聞の3カ所を一望できるとした例は県内小中高併せても無いのではと思います。また1番の「青空に一番近い」「この美しい国」といった歌詞や、3番で「寺山に偉人の跡」と吉野開墾社等西郷さんゆかりの地について盛り込んでおり、素晴らしい校歌だと思います。
2021年10月17日(日)
校歌の研究 その1 ~鹿児島市立中学校について

校歌は学校周辺の風景を読み込み、その独自の教育方針と学校の理想を歌い校風を醸成するために制定されたものとされる。今回は本校生徒の出身中学である市内中学校に限定して、校歌について考えてみたいと思う。
鹿児島市内の市立中学校は現在39校ある。
『鹿児島市史』によれば、S22年第1~6、9中、翌年第7、8中が創設され、S24年にそれぞれ吉野中・清水中・長田中・甲東中・城西中・武中・鴨池中・甲南中・天保山中と改称した。新制中学はゼロからのスタートであり、敷地・校舎等の整備は至難を極めた。市内にあっては、区画整理の一環で敷地の換地を行い、起債による校舎建築が可能だったとされるが、雨漏りやむしろ敷き、ミカン箱の机等開校当初は大変だったようだ。その後市町村合併による市立化、生徒数増加による新設が行われた。S25年伊敷村・東桜島村合併で、伊敷中・河頭中・東桜島中・黒髪分校(後独立化)、34年南中、42年紫原中、42年に谷山市合併で、谷山中・和田中・谷山北中・福平中・鈴山小中の市立化。49年緑丘中が新設された。
生徒数急増に伴い鹿児島市は、51年度「鹿児島市小中学校整備計画」を定め、51年明和中、54年西紫原中・坂元中、55年東谷山中・桜丘中、57年星峯中、58年吉野東中、59年西陵中、63年武岡中が続々新設された。62年中学生数がピークを迎え2.5 万人を超えた。平成に入り、H2年皇徳寺中、6年伊敷台中新設。16年平成の大合併で、吉田北中・吉田南中・桜島中・喜入中・松元中・郡山中が市立化した。18年玉龍中新設で、中高一貫校が誕生した。これで鹿児島市立中学校39校+鹿大付属中と併せると市内公立中40校となる。
数年前から南日本新聞紙上で「校歌の風景」という連載記事があるが、適宜参照してみたいと思う。
2021年10月9日
2021年10月09日(土)
大木先生と歩く寺山散策に参加してきました!!
本日午後から,吉野兵六会主催で,大木先生と歩く寺山散策がありました。鹿児島大学名誉教授の大木公彦先生をフィールドワークの講師としてお呼びし,寺山周辺の散策を行いました。今年度吉野地域の活性化を進めるワークショップの一環です。
今回はふれあい公園に集合し,寺山古道を登り,寺山展望台に昇りました。本校からも生徒が参加しました。他には吉野東中の生徒や校長先生,吉野兵六会の方々,よしのねぎぼうずの永山さんなどが参加して,大木先生の地質学の話や,中野町さんや櫻井さんの興味深い話など,とても面白く伺いました。
寺山展望台で大木先生から,錦江湾奥には今から3万年前に,大きな火山があり,それが噴火して,大きなカルデラとなったことや,そのあと隆起して今の吉野台地が出来たことなど,台地は断層で区切られ,棈木川(稲荷川)が流れていること。左岸は台地だが,右岸はシラスが堆積した地形であること。関吉の疎水溝の取水口の辺りは,奇跡的に両岸とも岩盤で,そのため堰が出来た,そのため取水口として利用されたのとことである。また今の国分姶良の辺りは大きな湖で,志布志の辺りは海が流入し錦江湾とつながっていて,南の方は島になっていた。鹿児島市内はほぼ海の中で,高速道路辺りが海岸線だったそうである。そういった話を要所要所でなされ,話は尽きることが無かった。
展望台で桜島をバックに記念撮影。当日は少し日差しは強かったが,秋晴れの気持ちの良い1日でした。
2021年10月8日
2021年10月08日(金)
日本史おすすめ本 その18
これから週末に,日本史にまつわる本を紹介していきたいと思います。

2021年10月2日
2021年10月02日(土)
日本史おすすめ本 その17
これから週末に,日本史にまつわる本を紹介していきたいと思います。

2021年9月29日
2021年09月29日(水)
第39回 全日本中国語スピーチコンテスト鹿児島大会 スピーチ部門優勝!!

先週の日曜日の9月26日にかごしま国際交流センター多目的ホールで行われた,第39回 全日本中国語スピーチコンテスト鹿児島大会で,なんと本校3年生の小山田安那さんが,スピーチ部門で優勝しました。おめでとう!! また朗読部門では,同じく馬渡光樹君が,準優勝。油田愁さんが4位でした。おめでとうございます。
その時の様子が,ユーチューブに公開されていますので,下のURLをクリックしてみてください。
スピーチ部門及びその表彰の様子
https://www.youtube.com/watch?v=6dDNq-4cgdw
→16分46秒~19分01秒あたり,小山田さんのスピーチの部分です。









最後表彰の場面です。本当に素晴らしい。おめでとう。
つぎに,朗読部門の様子です。
https://www.youtube.com/watch?v=ZoVAtVaUDKs
→10分15秒~11分15秒あたり,油田さんの部分です。13分40秒~14分48秒あたり,馬渡君の部分です。


これからも頑張ってください。後輩の生徒たちへの励みになります。来年度に続いてもらったらと思います。
2021年9月28日
2021年09月28日(火)
進学模擬面接です!!
9月24日と28日の2日間,進学希望者対象の模擬面接を実施しました。本校職員で面接官となり,志望理由,進学先で特に学びたいこと,将来像等について質問します。
入退室の礼法も,丁寧に行います。
2021年9月25日
2021年09月25日(土)
日本史おすすめ本 その16
これから週末に,日本史にまつわる本を紹介していきたいと思います。

2021年9月24日
2021年09月24日(金)
情報モラルオンライン講座です!!
9月22日(水)4限
今回はZoomを使用してリモートで,情報モラルの講演会を実施しました。講師の方はNTTドコモの徳永大輔氏です。



生徒はそれぞれの教室で,視聴して,ワークシートをまとめます。
2021年9月21日
2021年09月21日(火)
学校周辺の史跡 その12 ~せばる隼人舞
今回は、坂元地区に伝わる伝統芸能「せばる隼人舞」についてです。

鹿児島郡司を代々務め、坂元を領有した矢上氏の石碑です。矢上城跡です。表に「南朝忠臣矢上高純公居城址」、昭和6年3月2日に平田猛が建碑したとあります。高純は5代目で、南北朝時代に終始一貫南朝方(後醍醐天皇側)に属し、島津方(北朝方)に対抗したということです。


催馬楽の碑です。
坂元の日枝神社の近くに、催馬楽の碑(戦前に市が建碑か)がある。それは隼人について真偽混交な内容で、神話の神武東征、隼人が宮中警護のため歌舞で奉仕した話、平安時代の催馬楽を当地の人々が継承した話、そこでの音がたんたどの由来になったとの話が記されている。そもそも催馬楽(さいばら)は伴奏ありの古代歌謡であって歌舞ではない。隼人舞=催馬楽ではない。この混乱はなぜ生まれたか? また碑と少し離れているが、坂元小の近くには、矢上城跡(別名催馬楽城)がある。
キーは矢上氏にあると思う。研究者によると矢上氏は鎌倉初期から南北朝時代(室町初期)までの約130 年間鹿児島郡司として在地勢力となり当地を支配した。その中で日枝神社を創建し、それに伴い神社奉納のため、催馬楽や歌舞を創始したのではないか。最後矢上氏は島津氏との抗争に敗れ、その姿を歴史から消し去ったのであろう。坂元や催馬楽など地名にわずかに痕跡を残すのみとなった。
現在坂元では、せばる隼人舞として毎年11月に奉納されている。これは元々霧島の隼人舞を昭和46(1971)年に京田辺市の方々が伝承して大住隼人舞とし、平成4(1992)年に坂元台小校区の方々が、せばる隼人舞として逆輸入し継承したとのことである。初め催馬楽の碑の近くの催馬楽公園(通称おとん山)で行われていたが、平成28年から坂元台小の体育館で行われている。本校ダンス部も毎年参加して、序の舞と神招(かみおぎ)の舞を担当している。本校ダンス部及び有志参加者で,令和元(2019)年度に参加した時の様子です。
近隣の小中学校の校歌には、当地の歴史が歌い込まれており、「(1番)歴史にかおる矢上城」(坂元中)、「(1番)矢上の城のあとどころ」(坂元小)、「(2番)若葉さやかな 催馬楽丘 隼人の調べしのびつつ」(坂元台小)と、地域に根付いていることが分かる。
2021年9月20日
2021年09月20日(月)
日本史おすすめ本 その15
これから週末に,日本史にまつわる本を紹介していきたいと思います。

作者は鹿児島県錦江町生まれ、大阪府出身の直木賞作家です。2020年に『熱源』(樺太や北海道を舞台に樺太アイヌとポーランド人の民族学者の運命が交差する歴史小説)で直木賞を受賞。今週金曜日の9月24日から、『パシヨン』が南日本新聞で連載されるとのこと。内容は、キリスト教禁教下の江戸時代初頭。日本人司祭マンショ小西と、幕府の宗門改方・井上政重の対立を軸に大農民一揆や島原の乱を絡めて、壮大な物語が繰り広げられます。「パシヨン」とは、キリシタン用語でキリストの“受難”を意味します。とのことです。楽しみですね。
2021年9月18日
2021年09月18日(土)
学校周辺の史跡 その11 ~東坂元3丁目創設30周年!!
本校の住所は、東坂元3丁目である。今回はこの由来を考えてみたい。

明治初期の地誌『薩隅日地理纂考』によると、坂元の由来は初代島津忠久が薩摩下向の時に近江国(現滋賀県)坂本の日吉(ひえ)神社を分祀(神霊を分け別の場所に祭ること)して創建したことに因むという(現在の鹿児島商業の近くの日枝(ひえ)神社)。しかし忠久は薩摩入りした事実はないので疑問視される。坂元(本)の地名は室町時代から見られるので、恐らく鎌倉~室町時代初期の鹿児島郡司矢上氏が当地を領有する際に作ったのではないかと思うがどうだろうか。江戸期は近在(城下に近い村)の1つで、明治中期には吉野村大字坂元となり、昭和9年に坂元町となった。その後現在に至るまで町域の変遷がある。東坂元3丁目は、平成4(1992)年8月10日に坂元町から分かれ、4丁目と共に新設された。そのため何と来年度は創設30周年!を迎えることになるのだ。

2021年09月18日(土)
日本史おすすめ本 その14
これから週末に,日本史にまつわる本を紹介していきたいと思います。

2021年9月13日
2021年09月13日(月)
学校周辺の史跡 その10 ~皷川のお地蔵さん
本校生徒がいつも使うバス路線で,鹿児島市内方面から、バスで皷川・吉野方面へ上っていくと、一つ目のカーブを過ぎた道路右側に、赤い屋根のほこらが目に付き、そばに地蔵菩薩が見えます。

江戸後期の地誌『三国名勝図会』によると、ここは「智恵光院」のあったところで、もと坊津の一乗院の末寺で真言宗のお寺ということです。本尊は地蔵菩薩(聖徳太子作とされる)で、16世紀末の文禄年中に近衛信輔が薩摩の坊津に流された時、春日・天満の2社を下伊敷村に創建し、その別当寺(神社を管理する寺)として建てられたとか。そのあと江戸中期に一乗院の堯周が現在地に移したとのことです。地元の皷川町内会の方の話では、大変ご利益のある地蔵菩薩で、そのご利益のためか、この道路はカーブも多く、道も狭いわりには、事故が少ないそうです。また、毎年、7月24日は、あいご会の子供たちが灯籠の絵を描き、六月灯を行っているということです。
2021年9月12日
2021年09月12日(日)
鹿児島養護学校から,交流の感想が届きました!
今年は鹿児島養護学校との交流は,お互いの学校の様子をビデオで収め,それを交換して視聴して,感想をまとめるという形で実施しました。先日届いたものを載せたいと思います。
次に各クラスの分を載せたいと思います。名前が書いてあるところは伏せさせていただきました。

1年1組からです。

1年2組からです。

1年3組からです。
1年4組からです。
3号棟校舎階段踊り場掲示板に掲示していますので,ご覧ください。
2021年9月6日
2021年09月06日(月)
第3回 就職模擬面接の様子です。
9月6日(月),9月7日(火)の2日間,第3回目の模擬面接を実施します。
本来は,例年鹿児島東ロータリークラブの方に,面接官をお願いしていますが,今回はコロナ感染状況を鑑みて,急遽本校職員で実施することになりました。
入退室に始まり,礼法,あいさつ,返事に至るまで,夏休みに練習してきた成果を発揮します。質問も,自己PR・志望理由だけではなく,重ねて質問したり,履歴書から質問したりします。どんな質問にも堂々と答えれるようにしましょうね。
2021年9月5日
2021年09月05日(日)
日本史おすすめ本 その13
夏休み期間に本の紹介をしてきましたが,これからは週末に,日本史にまつわる本を紹介していきたいと思います。

2021年9月4日
2021年09月04日(土)
学校周辺の史跡 その9 ~橋之口城

実は本校の場所そのものが,史跡です。上図のように,室町時代の島津氏の拠点だった「清水城」(現清水中学校及びその北側の山地)の支城の「橋之口城」(現在の住所表記で,東坂元3丁目の地域。)だったのではないかとされています。
現在本校のある葛山、東坂元3丁目の地域は、室町時代には橋之口城と呼ばれ、清水城(現清水中の裏手)北側の「搦め手口」(城の裏門)にある山城です。名称は実方橋に因むのではとされます。
清水城は、1387年島津家7代元久が築き、以後14代勝久に至る約160 年間、薩摩・大隅・日向の守護の拠点として鹿児島本城と言われました。平城と山城で構成された清水城の城下には、武家屋敷や寺社・町屋がひろがり、かごしまの町(上町地区)の発祥となりました。山城部分は、北側を吉野台地と堀切(空堀)で区切られ、東側は稲荷川に沿う断崖で、西側は鼓川の広い谷で守られています。台地を東西に分ける堀切は、東側の主曲輪群を防衛するとともに、通路としての役割をもつ壮大な空堀となっています。平城部分には、守護所としての屋形があり、正面十二間(約21m)の巨大な御主殿や御前様屋敷・厩(馬屋)などが建っていました。1550年、15代貴久が内城(現大龍小学校)を築いて居城としたため、清水城は空城となりました。屋形跡には大乗院が建てられましたが、1869年に廃仏毀釈で廃寺となりました。現在は清水中学校となっています。
こうしてみると,両者の位置関係がよく分かります。島津氏はふだんは屋形(現清水中)で政務を執り,いざ合戦となれば,裏手の山城にこもります。橋之口城はさらにその北側にあたり,裏門を守る位置にありました。本校のある場所が,島津氏の歴史に関わっていたことが分かります。
その後島津氏は15代貴久の時に,内城(現大龍小学校)に移り,その後18代家久(薩摩藩初代)の時に鶴丸城を造って移ります。
2021年9月3日
2021年09月03日(金)
日本中国友好協会の新聞に載っていました!!
去る6月9日に本校で実施された,中国総領事館との交流についての記事が,日本中国友好協会の機関誌「日本と中国」2021.8.1付の2255号に掲載されていましたので,紹介します。
最後,九州ブロックのオンライン会議でも紹介していただけるとのことです。ありがたい話です。
2021年9月1日
2021年09月01日(水)
2学期始業式です。
今回は,コロナ対策のため,1・3年生のみの分散登校で,リモートによる始業式となりました。
まずはじめに,表彰紹介です。
中国語検定 準4級 3年生:油田愁,荒木乃亜,印口七華,
小山田安那,福元香琳,村上愛結,2年生:峯山萌の計8名
全商 珠算・電卓実務検定 1級 3年生:村上愛結,黒木凜樹
全商 ビジネス文書実務検定 1級 3年生:黒木凜樹
日情検 プレゼンテーション作成検定 1級 2年生:峯山萌
ついで始業式です。
はじめに,学校長式辞。1学期終業式で話した3つのrについて。本校校歌作詞者の椋鳩十さんの話。椋鳩十は幼少期に落ち着き無くいたずらっ子だったが,学校の先生に紹介された「アルプスの少女ハイジ」が転機となった。読書の大事さ。気づきと自覚が大事,大人への一歩である。挑戦→成功→自信につながる。
生徒指導部より。オリンピックの話。やる気はやり始めないと出ない。県の相談通報窓口を活用してください。ラインに友達登録してくださいとのこと。中間服について。
進路指導部より。今年の求人状況について。全体としては求人数は増えている。県外は2年前より多いが,関東はそこまではない。県内は事務職は2年前と同じぐらいだが,サービス業や販売業は去年よりさらに少ないなど,業種により異なっている。
保健部より。デルタ株は従来株より2倍以上の感染力で,今まで以上に厳格にしないといけない。不織布マスク着用。換気。健康管理チェック表。昼食は向かい合わず,自席で,黙食をすること。
生徒は各教室で視聴します。
2021年8月31日
2021年08月31日(火)
県高校音楽コンクールで,銀賞を受賞しました!!

8月17日(火)第45回鹿児島県高等学校音楽コンクール金管・木管楽器部門が,霧島国際音楽ホール(みやまコンセール)にて開催されました。本校2年生,新田彩乃(にったあやの)さんが,Tubaという大きな楽器で出場しました。
伴奏者を新田さんの中学校時代の顧問である遠矢圭祐先生(写真中央)が,指導を本校の卒業生で同じTubaを吹いていらっしゃった橋口順一先生(写真右側)が引き受けてくださいました。「人の縁」というものは,本人のChallengeしようという強い気持ちが引き寄せます。お二人とも,新田さんの真面目さに呼応するように,熱心に指導してくださいました。1ヶ月という短い期間の中で,新田さん自身が実感できるほど技術は伸び,本番を迎えることができました。
コンクールの結果は銀賞でしたが,この夏,新田さんが得たものは金賞以上だったことでしょう。今後の活躍が楽しみです。そして,生徒の可能性を伸ばしてくださったお二人の先生方に心より感謝いたします。
東高校生のみなさん,そして,東高校に興味を持っている中学生の皆さん。この東高校でChallengeして,気づかなかった新しい自分にchangeしてみませんか。

会場となった,霧島国際音楽ホール(みやまコンセール)です。
2021年8月29日
2021年08月29日(日)
学校周辺の史跡 その8 ~関吉の疎水溝

本校の最も一番近くにある「世界遺産」は、「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産の中の「関吉の疎水溝」 です。疎水溝は関吉の取水口から実方を通り、大明丘、雀ヶ宮、落し、磯の仙厳園のところまで続きます。
稲荷川の上流、関吉から磯までの約7kmおよぶ用水路である。元は島津家21代吉貴が隠居した頃に造られたとされる。28代斉彬は集成館事業のためにこの用水の流路を一部変更し、動力源として利用した。今でも実方橋の手前まで農業用水として利用されている。平成27(2015)年に世界遺産「明治日本の産業革命遺産」として登録された。稲荷川上流で水をせき止め、取水した水を約7kmにわたって運ぶ疎水溝を、高低差の少ない吉野台地上につくるには、水路を一定の傾斜で築く必要があり、きわめて高い技術が要求された。こうした困難を克服して疎水を引き、疎水の端部にあたる磯の裏山に貯水池を設けて水路・懸樋(かけひ)で落とされて、運ばれてきたた水が工場群の動力や用水に利用された。疎水溝は、昭和46(1971)年頃の大明丘団地造成によって埋められ、現在は実方橋の手前で途絶え、約3kmが現存するのみである。
平成30(2018)年10月18日(日) 大明丘地域コミュニティ協議会の方から依頼を受け,ウォーキング大会で,本校生徒が,関吉の疎水溝のガイドを行いました。スタート地点の大明丘小学校で、はじめに開会式と疎水溝のガイドを行いました。
疎水溝の取水口から、磯までの水路を、地図を貼り合わせて作成し、たたみ3枚ほどにまとめました。大明丘小学校の子どもたちもたくさん参加していましたので、クイズ形式で行いました。

上の写真は、協議会便りに載せられたものです。
総勢70人程で、疎水溝をたどって、取水口の方まで歩きました。
現地で、ガイドの方の説明を聞きました。そのあと記念写真をとって、稲荷川添いを通って帰りました。
なおガイドで使用した疎水溝のパネルは、その年の本校の文化祭でも掲示しました。
2021年8月28日
2021年08月28日(土)
日本史おすすめ本 その12
長い夏休みです。この期間を利用して読書してみませんか。日本史にまつわる本を紹介したいと思います。

2021年8月27日
2021年08月27日(金)
学校周辺の史跡 その7 ~東目筋

水色の線が,西目筋。ピンクの線が,東目筋です。
江戸時代,薩摩藩の陸上交通における領外への幹線街道は,西目筋と東目筋に分けられていた。西目筋は鹿児島城下→(西田橋)→伊集院→市来→串木野→川内→阿久根→出水と続き,豊前・小倉に向かい,東目筋は鹿児島城下→実方→吉野→吉田→(白銀坂/2006国指定史跡)→重富→加治木と続き,そこから大口筋,加久藤筋,日向筋(高岡筋)と3方に分かれていく。日向筋は,その後海路で大坂・江戸へ向かっていくことになる。
東目筋は,明治6年(1873)海岸線が重富まで開通するまで,この吉野-白銀坂が重要な道路だった。鶴丸城→上町→たんたど→実方(太鼓橋,御内用方,別府晋介・桐野利秋誕生地,実方神社)→帯迫(現吉野小,第12郷校,吉野私学校,吉野薬園)→御召覧の岡→菖蒲谷→関屋谷→牟礼ヶ岡→吉田→白銀坂へ
東目筋は本校生徒がいつも利用しているバス路線と重なっています。鶴丸城から10号線を北東へ,柳町→大龍小学校前→玉龍高校前→鼓川→お茶の水→たんたど→東高校下→東坂元四丁目→葛山入口バス停を過ぎて左に曲がり(写真の所です),実方方面に向かいます。この道は西南戦争の時に,西郷さんが行きも帰りも通っています。


平成29(2017)年9月30日 観光ガイドで、本校生徒が東目筋についてガイドしています。
後半は西南戦争で敗走する西郷軍がこの道を通り,城山まで突入する時の話をしています。
明治10(1877)年2月15日西郷隆盛ら挙兵し、西南戦争が始まった。西郷軍は熊本城を包囲したが落とせず、3月田原坂(熊本)で政府軍と激突し敗走、6月人吉(熊本)、7月宮崎方面と退却し、政府軍の包囲網を突破して鹿児島に帰り、城山にこもり、9月24日城山も陥落、西郷以下、桐野利秋、別府晋介ら討ち死にし、7ヶ月に及ぶ戦闘は終結した。
城山に帰る途中、江戸期の東目筋のルートを通り、帯迫・実方で、西郷軍と政府軍が戦っている。西郷軍は蒲生→吉田→吉野へ南下。9月1日帯迫→実方→稲荷町→城山へと進んだ。対する政府軍は、南下する西郷軍を迎え撃つため、第2旅団(坂元→下田→川上)と新撰旅団(たんたど→実方→帯迫)の二手に分かれて進み、この内新撰旅団と西郷軍が衝突した。
9月1日午前10時05分 帯迫の戦い。西郷軍が吉野私学校(現吉野小)で休憩している時、政府軍から攻撃あり。西郷軍の前軍は辺見十郎太が率いて鹿児島に突入。中軍の貴島清は帯迫で戦い、後軍の河野主一郎が実方橋を守った。辺見が負傷したので、河野が代わって指揮をとり、私学校から米倉(現鹿児島市役所)を砲撃。
9月1日午後1時頃 実方の戦い。河野は鹿児島での応援を求められ、水間蓮に40余名を残して実方橋を守らせた。翌2日に実方は政府軍に占領された。前軍の西郷は、護衛されながら、城山に入ったと思われる。2021年08月27日(金)
第2回 就職模擬面接です。
8月26日(木と)27(金)の2日間,就職模擬面接を行いました。今回は特にコロナ対策として,通常のマスク・アルコール消毒の徹底のほか,面接官の前と横にアクリル板を設置し,面接官と生徒の間を2m以上開けるなど,感染対策に十分配慮した形で実施しました。
本校では,就職希望者に対して,3回模擬面接を実施しています。今回はその第2回目と言うことで,夏季課外で十分対策をとった上で臨みました。今回はハローワークの澤田さんと有本さんのお二人に,面接官をお願いいたしました。
面接控え室の教室には,今後の日程と必要なもの,注意すべき事なとが書いてありました。いよいよ就職選考が近づいてきました。最大限の努力をして第一希望の会社に内定をもらえるように頑張りましょう。
2021年8月26日
2021年08月26日(木)
突然、緑の塔が‼
大竜小近くから前方の山の上を見ると,本校体育館の赤い屋根が見えます(この写真では見えにくいですが)。ところが昨日から左手に緑の塔が見えます。何だこれは?!

その正体は………。
本校グラウンド角にある高圧電線の鉄塔が,塗装作業のためか,緑のカバーがしてありました。
2021年08月26日(木)
日本史おすすめ本 その11
長い夏休みです。この期間を利用して読書してみませんか。日本史にまつわる本を紹介したいと思います。

2021年8月23日
2021年08月23日(月)
日本史おすすめ本 その10
長い夏休みです。この期間を利用して読書してみませんか。日本史にまつわる本を紹介したいと思います。

