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2021年12月7日

  • 2021年12月07日(火)

    大同高級中学HPに本校との交流の記事がありました!!

     11月25日(木)に、修学旅行の一環で行った,オンライン交流の様子が、交流相手校である「台北市私立大同高級中学」のホームページに、記事が載っていましたので、次に紹介します。

    大同高級中との交流記事

    記事の日本語訳(グーグル翻訳による)

    台北私立大同高校のプレスリリース

    テーマ:日本の台北私立大同高校と鹿児島東高校の間のノンストップオンライン国際交流

    日付:民国暦110年(2021年)11月25日

    場所:台北市中山区中山北路第40節第3節;台北からの報告

    発行日:民国暦110年(2021年)11月25日

    活動室:大同高校、国際教育グループ、学務室 戴晨修DaiChenxiu(2585-8785#105)

    報道関係者:鄧志全Deng Zhiquan、チーフセクレタリー(2585-8785#102)

     国際交流は中断されません!日本の鹿児島東高校は当初、私立大同高校を訪問するために台湾への教育旅行を計画していましたが、新たな冠肺炎(新型コロナウイルス)の流行の影響により、それはできませんでした。それにもかかわらず、COVID-19の流行の下で学生の国際的な視野を広げるために、2つの学校の校長は110年(2021年)の夏休み以来、オンラインビデオの国際交換を計画し始めました。今回は慎重に計画する黃政詩HuangZhengshiと戴晨修DaiChenxiuディレクター。オンライン国際交流活動。 7月の夏休みの初めに、私立大同高校の生徒たちは、日本の鹿児島東高校の学習パートナーに台湾の最高のものを紹介したいと熱心に話し合い、準備を始めました。学生たちは一連のトピックを準備しました:台湾の最も有名な景勝地の紹介、特別な料理、特別な果物、台湾茶と日本茶の類似点と相違点、台湾の都市の伝説、有名な台湾のオペラ、そして中山北の最も重要な文化的習慣道。学生たちは実際のオンラインコミュニケーションが来る日を待つことができません。

     11月25日の実際のオンラインコミュニケーションの日に、私立大同高校の学生が日本の学習パートナーに台湾関連のトピックを紹介することに加えて、鹿児島東高校の学生は鹿児島の多くの、地元の文化的および歴史的アトラクションやその特色を紹介しました(霧島、指宿、鹿児島の世界遺産、食べ物、自然、西郷さんと鶴丸城御楼門など)。 2つの学校の生徒はオンラインプラットフォームで学習成果を共有し、お互いの文化を体験しました。それは非常に興味深く、生徒も目を見張るものがありました。鹿児島東高校の生徒たちは、クラスメートによる台湾で最も有名な歌仔戯の演奏に非常に感銘を受け、中山北路の文化、歴史、文化的慣習にも非常に興味を持っていました。彼らは私立大同高校に来ることを望んでいました。流行が鈍化した後。このオンライン交換と共有では、当校の人文科学クラスの学生が流暢な英語を使って台湾をブリーフィングの形で紹介し、お互いが居住地の歴史的および文化的特徴をよりよく理解し、国際理解を深めることができるようにしました、そしてまたお互いの親密な友情につながります。

     最後に、私たちはオンラインでお互いに別れを告げ、台北私立大同高校と鹿児島東高校の間の国際交流活動を惜しみつつ終わらせました。

    大同高級中との交流記事-2

    写真2

     あちらでは、ミラーではなくバッチシ写っていました。

    写真3

    写真4

2021年12月5日

  • 2021年12月05日(日)

    校歌の研究 その19 ~錫山小中学校

    錫山2

    1.山なみ清く ほのぼのと みどりの風は 朝をよぶ 自主の心を ひとすじに 正しく学ぼう 鐘が鳴るああ 鐘が鳴る 錫山校 2.立神山よ うぶすなの 心を結び 手をとって優愛共に うるわしく 明るく進もう 歌が湧くああ 歌が湧く 錫山校 3.理想も高く 美濃岳の 輝く雲に こだまして英知を磨き たくましく 大きく生きよう 夢がよぶああ 夢がよぶ 錫山校

     錫山小中学校は、谷山町立第二中学校(現和田中)錫山分校として昭和22年創設され、31年中学校が独立して小学校に併設し、谷山町立錫山小中学校となり、42年に鹿児島市立となりました。鹿児島市で唯一の小中併設校です。設立5年後の27年に校歌が制定されました。作詞は蓑手重則、作曲は西勇恕です。両者については、城西中のところで紹介しました。
     『谷山市誌』によると、錫山地区は、その名の通り、江戸前期の明暦元(1655)年に錫鉱が発見され、藩主島津氏代々の直轄地として栄えました。鉱山奉行が置かれ、子弟の教育も早くから発達し、安永3(1774)年稽古所が設立されました。明治になって啓蒙学舎、錫山尋常小学校となり、現在の小中学校につながっていきます。
     さて歌詞について。蓑手氏は市内8中の歌詞を作詞しています。氏の歌詞の特徴として、桜島、甲突川、錦江湾を読み込み、自主(自治)の鐘は鳴る、友愛の花かおる、希望の翼はばたくなど共通のワードが見られますが、当校の歌詞でも、1番で「自主の心~鐘が鳴るああ鐘が鳴る」、2番に「友愛」が出てきます。ただ山中のためか、景観については、2番に西側の「立神山」、3番に東側の「美濃岳」が出てきます。また2番に「うぶすな」とあり、錫山の産土神である立神神社(立神山中腹にあり)も読み込んでいます。その他併設校ならではですが、小学校歌詞と中学校歌詞があります。たとえば1番では、小学校歌詞は「なかよしこよし きょうもまた 正しく学ぼう鐘が鳴る」で、中学校歌詞が「自主の心をひとすじに正しく学ぼう鐘が鳴る」となっています。

    錫山地図

     谷山4中と錫山小中の位置関係です。

  • 2021年12月05日(日)

    校歌の研究 その18 ~福平中学校

    福平3

    福平1

    1.萌える若くさ あけぼのの光照り添う 丘の上たぎる生命の若人がかざす理想の旗じるし文化日本の 建設を誓う至純の情と熱 2.遠くそびえて さくら島示す久遠の あこがれに みがく究理の 智と心そろう足音 ほがらかに高く希望の 目をあげてすすむ福平中学校 

     福平中学校は、谷山町立第四中学校として昭和22年創設され、24年現校名に改称され、42年に鹿児島市立となりました。旧谷山町内には第一中から第四中まで番号がついた学校が出来ました。それぞれ現谷山中・和田中・谷山北中・福平中です。設立2年後の24年に校歌が制定されました。作詞は郡山繁、作曲は田中義人です。田中氏については伊敷中のところで紹介しました。郡山氏は未詳です。
     さて歌詞について。市内40中のうち、歌詞が2番までしかないのは、当校と黒髪中のみです。歌詞を見ると、1番は生徒の事を歌い、2番では桜島を歌っています。近くに大きな川は無いですが、錦江湾について歌う3番があっても良さそうです。はじめから作られなかったか、それとも実は存在するのか、謎の3番です。
     当校HPによると、沿革史の中で、校名は幸福の福と平和の平から、福平としたとの話が出てきます(校域の、下福元と平川からとった説もあり)。終戦直後の復興の気運が象徴され、1番の歌詞にも「文化日本の建設を誓う」とあり、その思いが強く込められています。同じく1番に「あけぼのの光照り添う丘の上」とあり、この丘は、当校西側に、南北に連なる薩南山地(現指宿スカイラインがその尾根沿いを走る)のことを指しているのでしょうか。2番では「遠くそびえてさくら島」とあり、当校からはるかに望む桜島に対して、久遠、あこがれ、究理、希望と表現しています。

    福平地図

2021年12月4日

  • 2021年12月04日(土)

    校歌の研究 その17 ~谷山北中学校

    谷山北

    1.若木ことごと 日に映えて山田ヶ丘の 朝の風精気を集め 若駒は希望に燃えて 駆けていくああ光栄の 谷山北中 2.若き力は 溌剌とつとめいそしむ 文の園自主の旗風 空に鳴り文化の香り 咲き匂うああうるわしの谷山北中 3.流れも清き 永田川友愛溢れ よどみなき明るい平和 たたえつつ正しく強く 進みゆくああ栄え行く 谷山北中

     谷山北中学校は、谷山町立第三中学校として昭和22年創設され、24年現校名に改称され、42年に鹿児島市立となりました。旧谷山町内には第一中から第四中まで番号がついた学校が出来ました。それぞれ現谷山中・和田中・谷山北中・福平中です。設立3年後の25年に校歌が制定されました。作詞は職員一同、作曲は林幸光です。林氏については鴨池中のところで紹介しました。
     さて歌詞について。1番に「山田ヶ丘」(現山田IC辺りを指すか)、3番に「永田川」と山と川の景観を読み込みます。問題は2番の歌詞で、「文の園」「文化の香り」が具体的に何を指すかはっきり分かりません。
     調べてみると、当校HPには、当校域は谷山北部の地域で、地元の人から「溪北郷」と呼ばれ、「谷山郡の北辰斜めにさすところ」と愛されている地域とのことです。この例えは旧制七高(現鹿児島大学)を指しているので、学問の盛んな地域であると言っているのだと思います。『谷山市誌』を見ると、実際当校域は江戸期から学問の盛んな地域で、現在の中山小学校の辺りにあった辺田学館(後の辺城学舎)と、現在の宮川小学校の辺りにあった川口稽古所の両方の伝統を併せて、学域となったようです。ちなみに、現在宮川小学校のそばには、平成2(1990)年に皇徳寺中学校が、谷山北中学校から分離開校しています。
     地域の景観や歴史を踏まえて、校歌の中に盛り込んでいく。創設当初の教職員の、当校に込める強い思いを感じられるとても良い校歌だと思います。

    谷山北地図

     当地域は、武岡地域同様、団地造成が盛んな地域で、中学校が密集しています。1979年以降設立ラッシュであることが分かります。

  • 2021年12月04日(土)

    校歌の研究 その16 ~和田中学校

    和田中

    和田中2

    1.秀麗匂う桜島 理想と仰ぐこの窓辺見よ向学の眉あげて若き希望に結び起つ意気あり われら われら和田中学   2.錦江湾の新潮に  たゆまず磨く身と心 見よ友愛の手をとりて真理の道を進むもの夢あり われら われら和田中学 3.久津輪ヶ崎の春秋に高く掲げし自主の旗見よ蛍雪の試練越え郷土のあすを拓くもの 栄えあり われら われら和田中学

     和田中学校は、谷山町立第二中学校として昭和22年創設され、24年現校名に改称され、42年に鹿児島市立となりました。旧谷山町内には第一中から第四中まで番号がついた学校が出来ました。それぞれ現谷山中・和田中・谷山北中・福平中です。校歌は設立10年後の32年に成立しました。創立10周年記念で制定されたようです。作詞は高城俊男、作曲は武田恵喜秀です。両者についてはそれぞれ永田中、清水中のところで紹介しました。
     さて歌詞について。作詞者の高城氏は、市内40中のう5中を作詞しています。その特徴は以前も触れましたが、1番に桜島、2番に錦江湾を歌うことが多く、また各歌詞の最後に、学校名を入れて締めくくるパターンが多いです。さらに当校の場合、3番で「久津輪が崎」というローカルな地名を歌っています。

    いさちさ神社

     これは、近くの谷山総鎮守である伊佐智佐神社の例大祭で行われていた神事「浜下り」で、御神輿を御神幸されていた場所で、神楽や神舞が行われていたそうです。しかし現在は工業団地が造成されたために出来なくなったとのことです。また最後に「郷土のあすを拓くもの」とあり、地域の干拓の歴史(和田干拓)を踏まえて、開拓精神を歌っています。

    和田中地図

     

     

  • 2021年12月04日(土)

    南日本新聞若い目に載っていました!!

     12月4日付南日本新聞の「若い目」に2年生上篭璃桜さんの投稿が掲載されていましたので、紹介します。

    21.12.4南日 若い目 上篭

  • 2021年12月04日(土)

    校歌の研究 その15 ~谷山中学校

    谷山中1

    谷山中2

    1.谷山脈(たにやまなみ)の深みどり永田の川に映ゆるとき夢美しき若人の希望はぐくむ自治の鐘 2.清見が橋に火の島のつきぬ煙を仰ぎてはさんたる真理きわめつつ築く平和の新文化 3.黒潮虹としぶきつつ錦江湾によるところ知徳を磨く若き子の心にともす正義の火

     谷山中学校は、谷山町立第一中学校として昭和22年創設され、24年現校名に改称され、42年に鹿児島市立となりました。旧谷山町内には第一中から第四中まで番号がついた学校が出来ました。それぞれ現谷山中・和田中・谷山北中・福平中です。校歌は設立直後の5年後の27年に成立しました。作詞は浜田盛秀、作曲は出口信雄です。

    浜田盛秀 ←浜田盛秀氏
     作詞担当の浜田氏は、『浜田盛秀作詞集』によれば、明治43(1910)年伊集院町生まれ。大正12(1923)年鹿児島県立第一中学校(現鶴丸高校)入学(在学中病を得て退学、その闘病中に短歌への開眼と信仰による人生観を深めたとされる)、昭和2(1927)年伊集院中に編入。同4年卒業後、川辺町田代尋常高等小学校を初め、伊集院町飯牟礼尋高、東市来町鶴丸尋高勤務を経て、昭和17年鹿児島県師範学校専攻科入学、翌年卒業。その後串良町・伊集院・日吉町・国分市の小中学校に勤務し、昭和42(1967)年退職。旧制中学時代の昭和2年短歌結社「水甕」に入集し、同18(1943)年同人となります。歌集『風紋林』『雪の弥撒(ミサ)』等発刊。昭和49、56年には、宮中歌会始詠進歌に佳作(「プレス工みなあどけなし車椅子輪になり朝の作業待ちをり」)、入選(「しんしんと花枇杷に降る火山灰(よなの)音わびしかれども島を護らな」)を果たしました。平成4(1992)年死去、享年82歳でした。
     浜田氏は、昭和20後半~30年代後半の約10年間に、数多くの小中高の校歌や「ラジオ南日本の歌」(現MBCの社歌)等の団体歌を作詞されました。

     薩摩川内市立西方小学校校歌については、その作詞過程が分かっています(同校HP参照)。昭和36年単独校舎改築の際にPTAから校歌制定の要望があり、当時国分市立郡山小学校校長だった浜田氏に作詞の依頼がなされました。氏は昭和37年1月に校歌案を3編も作詞されたそうです。同校には直筆原稿が残されています。それによると「その二」の歌詞が採用されたようです。

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         校歌 その一             校歌 その三

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    校歌 その二(現校歌は1番「まなびの窓」が「まなびの庭」に1字変更)

    (薩摩川内市立西方小学校ホームページより転載しました。)

     作曲担当の出口信雄氏については未詳です。

     さて歌詞について。1番には「谷山脈(たにやまなみ)」「永田の川」、2番には「清見が橋」「火の島」、3番には「錦江湾」と地域の景観を歌います。永田川は鹿児島市域を流れる川としては甲突川に次いで大きな河川で、周辺一帯が古代薩摩国谷山郡を構成します。清見橋は永田川にかかる橋で、そこから火の島(桜島)を仰ぎ見るという構図です。歌人として著名な氏ならではの、詩情あふれる歌詞となっています。

    谷山地図

2021年11月28日

  • 2021年11月28日(日)

    修学旅行2日目 その2-2 指宿体験(砂蒸し)

     本校2年生は,鹿児島・指宿方面に1泊2日の日程で,修学旅行に行ってきました。

    2日目 11月26日(金)指宿体験(砂蒸し)

     指宿大好き体験は,指宿市の,指宿観光のプログラムです。全部で30以上のミニプログラムがありますが,その中で事前に選択肢を絞って,生徒に希望調査を取り,以下の3つで体験することになりました。1.ピザ作り(なのはな館),2.砂むし体験(指宿砂楽),3.池田湖シーカヤック体験(エプロンハウス池田)です。

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     砂蒸し体験です。予定されていた山川の砂湯里から変更になり,砂むし会館砂楽で行いました。みなさん気持ちよさそうです。

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     浴衣を着て,横になります。

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     そのあと,スコップで砂をかけてもらいます。

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     みなさん,とても気持ちよさそうです。

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     女子6人,浴衣姿で,記念撮影。

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     男子2人,海をバックに,かっこよく笑顔で,決めています。

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     地ビールならぬ地サイダーの指宿サイダーです。

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     女子達は,堤防の先まで行ってました。

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     当日は,とても天気が良くて,風もそれほど無く,気持ちよい1日でした。心地よい風,波の音,潮の香り,リゾート気分を味わえました。

  • 2021年11月28日(日)

    修学旅行2日目 その2-1 指宿体験(ピザ作り)

     本校2年生は,鹿児島・指宿方面に1泊2日の日程で,修学旅行に行ってきました。

    2日目 11月26日(金)指宿体験(ピザ作り)

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     指宿大好き体験は,指宿市の,指宿観光のプログラムです。全部で30以上のミニプログラムがありますが,その中で事前に選択肢を絞って,生徒に希望調査を取り,以下の3つで体験することになりました。1.ピザ作り(なのはな館),2.砂むし体験(指宿砂楽),3.池田湖シーカヤック体験(エプロンハウス池田)です。ピザ作りは,指宿のなのはな館で実施されました。

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      ピザ作りは,指宿なのはな館で行いました。

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     まず全体の説明です。

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     ピザに載せる具材作りです。

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     作りながらもカメラを向けられれば,ピースで答えます。楽しそうに作っています。

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     やった~!! できあがり。おいしそうなピザが完成。

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     手を合わせてください。いただきま~す!!

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     ぱくぱく,もぐもぐ。

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    おいしいなあ。

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     とってもおいしかったです。指宿産の野菜等の食材を使ったピザ作りでした。

      

     

2021年11月27日

  • 2021年11月27日(土)

    修学旅行2日目 その5 池田湖散策

     本校2年生は,鹿児島・指宿方面に1泊2日の日程で,修学旅行に行ってきました。

    2日目 11月26日(金)池田湖散策

     今回最後の訪問先は,池田湖です。バス内でイッシーの話や,大ウナギの話を聞きながら,来ました。ここでは,大ウナギを見たり,お土産を買ったり,池田湖畔を散策したりしてのんびり過ごしました。

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     池田湖パラダイスの奥には,大ウナギの水槽があります。それぞれ名前が付いています。

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     お土産もたくさん買いました。今回はクーポン券2000円分がはじめ配布されて,お土産代として使いました。

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     今日は1日天気が良く,とても気持ちの良い修学旅行になりました。池田湖の湖面も穏やかで心地よいです。昨年度から色々な行事がカットされたり,縮小したりして,高校時代の思い出作りが難しい状況でしたが,今回はとても素晴らしい思い出になったのではないかと思います。

  • 2021年11月27日(土)

    修学旅行2日目 その4 枚聞神社

     本校2年生は,鹿児島・指宿方面に1泊2日の日程で,修学旅行に行ってきました。

    2日目 11月26日(金)枚聞神社

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     唐船峡のあと,枚聞神社に行きました。薩摩国一之宮とされ,由緒正しい神社です。ここでははじめにクラス写真を撮りました。学年全体まとめて撮影しました。

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     1組,2組に分かれて,バスガイドさんにガイドを受けました。ちなみに今回のバスガイドさんはいずれも東高校の卒業生だそうです。バス内では,高校時代の話も伺いました。1組が手水所で手を清めている間,2組の方では,神社の説明を聞きました。

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      手の清め方も,レクチャーを受けて,いざ実践。

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     宝物殿です。ここの「松梅蒔絵櫛笥一合」は一名玉手箱とも称せられ、1927(昭和2)年に国宝指定され、現在は国指定の重要文化財とされています。

     ガイドのあとは,めいめいお参りをしたり,おみくじを買って一喜一憂し枝にくくりつけたり,辺りを散策して過ごしました。

  • 2021年11月27日(土)

    修学旅行2日目 その3 唐船峡(長寿庵)

     本校2年生は,鹿児島・指宿方面に1泊2日の日程で,修学旅行に行ってきました。

    2日目 11月26日(金)唐船峡(長寿庵)

     2日目の昼食は,唐船峡の長寿庵です。いわゆるそうめん流しです。教育旅行(修学旅行)で利用する場合は,定食が無料となります。

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     定食の内容は,そうめん,鱒の塩焼き,鯉の味噌汁,おにぎり2個です。とてもおいしくて,おなかいっぱいになりました。

     

     

  • 2021年11月27日(土)

    修学旅行2日目 その2-3 指宿体験(池田湖)

     本校2年生は,鹿児島・指宿方面に1泊2日の日程で,修学旅行に行ってきました。

    2日目 11月26日(金)指宿体験(池田湖)

     指宿大好き体験は,指宿市の,指宿観光のプログラムです。全部で30以上のミニプログラムがありますが,その中で事前に選択肢を絞って,生徒に希望調査を取り,以下の3つで体験することになりました。1.ピザ作り(なのはな館),2.砂むし体験(指宿砂楽),3.池田湖シーカヤック体験(エプロンハウス池田)です。

     ここでは,池田湖の体験の様子をまとめました。寒かったらどうしようと思いましたが,天気は最高で,素晴らしい体験となりました。

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     はじめインストラクターの方から,説明がありました。旅行前の説明では,カヤック体験のみの話でしたが,3人乗りボートやスワンボート,6人乗りサップ,さらには水上バイクも体験できるとのこと。これには,生徒も飛び上がって,やったー!!と大歓声でした。

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     真ん中のが6人乗りサップです。奥がシーカヤックです。1人乗りと2人乗りがあります。

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     3人乗りの手こぎボートです。昨日大分県から,ここの社長が取り寄せたばかりの新着ホヤホヤです!! 2人が漕いで,1人がかじを操作します。

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     早速乗り込みます。まずは女子7人で,巨大サップです。まるで大いかだに乗っている感じです。

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     大はしゃぎの女子たち。動画→サップ.mp4[MP4:11MB]

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     男子はまず,シーカヤックに乗ります。カヌーと違って,安定していて乗りやすいです。

    動画→カヤック.mp4[MP4:12MB]

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     スワンボートです。女子にとても人気です。

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     3人乗りボートです。はじめは3人息を合わせるのが難しかったですが,すぐになれすごいスピードでこげるようになりました。

    動画→ボート.mp4[MP4:11MB]

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     そしておまちかね,水上バイクです。これには13人全員乗りました。最高時速70km,ものすごいスピードで,乗っている生徒は大絶叫です。

        水上バイクの動画です。動画→水上バイク.mp4[MP4:17MB]

     そして,何と,何と。初めは,水をかぶるので今回はしませんと言っていた,バナナボートに乗れることに!! 天気が良くて暖かいため,特別にOKしてくれたようです。砂浜には,ドラム缶でたき火を焚いていて,すぐ暖まれるようにしてくれていましたし,温水シャワーもあり,いたれりつくせりです。

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    動画→バナナボート.mp4[MP4:16MB]

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     最後に,社長が作ったウッドデッキで,みんなで写真撮影。本当に今日は楽しかった~!! 一生の思い出になりました。

  • 2021年11月27日(土)

    修学旅行2日目 その1 錦江楼での朝食

     本校2年生は,鹿児島・指宿方面に1泊2日の日程で,修学旅行に行ってきました。

    2日目 11月26日(金)錦江楼での朝食

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     2日目の朝。快晴。しかも11月下旬なのに,最高気温19℃。少し風は寒く感じますが,日が照っていて,最高の1日になりそうです。

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     はじめに,旅行の添乗員の方から,本日の日程の説明です。しおりを各自持ってきて,メモします。

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     昨日の夕食に引き続き,豪華な朝食です。很好吃!(とてもおいしい!)

     このあと,食べ終わった人から,順次部屋に戻り,出発準備です。

     そしていよいよ,今回のメインイベント,指宿大好き体験です。

     

  • 2021年11月27日(土)

    修学旅行1日目 その3 錦江楼での夕食

     本校2年生は,鹿児島・指宿方面に1泊2日の日程で,修学旅行に行ってきました。

    1日目 11月25日(木)錦江楼での夕食

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    さあいよいよ,指宿のこらんの湯錦江楼ホテルに到着。写真は朝撮ったものです。

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    ついで、夕食会場で、ホテルの方からご挨拶。

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     食事会場では,アクリル板で仕切られ,手指消毒など感染対策を十分に行っています。食事も豪華で,みんな大満足でした。

     食事のあと,今夜から明日朝にかけての日程の説明がありました。

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     食事のあとは,「つむぎんちゅ」による奄美島唄体験です。初めにノンスタイルやオードリーさん等と同期の吉本新喜劇の芸人さんが前説?をされ、その話芸に引き込まれました。

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     男子生徒を舞台に上げ,2人で即席の漫才が始まりました。島唄の説明から,話は日本人の奥ゆかしさの話へ。好きな人に告白するとき,直接好きとは言わないのが「粋(いき)」だとのこと。そこから漫才の設定へ。「好きな女の子がいます。どんな風に告白する?」「じゃあ,俺が彼氏役するから,お前は女の子の役をやれ」。2人とも急に組んだとは思われないほど,クオリティーの高い漫才で,息ぴったり!! 会場は大盛り上がりでした。

     そのあと,本番の奄美島唄です。

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    素晴らしい歌声でした。今日は本当に楽しい1日でした。

  • 2021年11月27日(土)

    修学旅行1日目 その2 テーブルマナー

     本校2年生は,鹿児島・指宿方面に1泊2日の日程で,修学旅行に行ってきました。

    1日目 11月25日(木)テーブルマナー

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     午後は城山ホテルで豪華なコースメニューです。みんな自信無げで周りを確かめながらです。

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     スライドを使って,テーブルマナーについて分かりやすく,解説していただきました。

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     豪華なフルコースメニューが次々に運ばれてきます。メインは肉料理(ビアンド)から。豚肉の煮込み,温野菜添えデミグラスソース。

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     食事のあと、卒業生の講話をいただく予定でしたが、ここでサプライズ。2年前の卒業生の服部さんにも挨拶してもらいました。

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     ついで、橋本さんから講話。在籍中は、野球部で、普通科7クラス、国際教養科2クラスあったそうです。ホテルの1級の資格をもち、国賓クラスのお迎えをされたことがあるとか。高校生には今を一生懸命楽しんで頑張って下さいとのことです。皆熱心に聞いていました。

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     このあと,ホテルの中庭で,桜島と噴水をバックに,クラス写真をとりました。すごくいい景色です。感動的です。

2021年11月26日

  • 2021年11月26日(金)

    修学旅行1日目 その1 オンライン交流

     本校2年生は,鹿児島・指宿方面に1泊2日の日程で,修学旅行に行ってきました。

    1日目 11月25日(木)オンライン交流

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        初日は大ゼミで、台湾の大同高級中学と、オンライン交流をしました。

     入念なリハのあと、いよいよ始まりました。はじめに,台湾側が作成した,オンライン観光です。まるで実際に現地に行ったかのような演出です。

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    オンライン観光のあと、教頭先生の団長挨拶。

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    ついで、生徒代表挨拶。二人で日本語と中国語を分担し見事に出来ました。

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    そのあと6班の事前学習の成果を、ビデオで流しました。

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    そのあと質問タイム。Q1台湾で有名な日本人は誰ですか。A1 福原愛だそうです。

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     まずこちらから,日本語と中国語で質問。同時に書かれた紙を提示するという方式で行いました。画面上はミラーになっています。

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     Q2 クラスで一番面白い人は誰ですか。A2 劉さんだそうです。名前だけの紹介で物足りなかった?

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    Q3 夜市(屋台)でおいしい物はなんですか。A3 臭豆腐だそうです。何となくこちらの男子生徒の方が面白そうです。

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     ついで,相手方の大同高級中学からの挨拶です。学校代表,生徒代表挨拶がありました。

     続いて,相手方のプレゼンです。

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     学校のある中山北路,台湾のスイーツ「珍珠奶茶(タピオカミルクティー)」について

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     最後に,大同高級中学の校長先生の挨拶。

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     このあと,荷物を持って,バスに乗り込み学校出発,城山ホテルへ向かいます。

2021年11月23日

  • 2021年11月23日(火)

    世界遺産ガイドをしてきました!!

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     今日はとても寒く,また空模様も曇りがちで,ときどき雨にも降られましたが,大雨で中止になることもなく,観光ガイドを行うことが出来ました。

     この日のために,4月から吉野公民館でワークショップに参加し,東高校でどのような取り組みをするか話し合いをし,夏休みに下見を行い,途中コロナ禍による分散登校など,作業が遅々として進まないこともありましたが,無事本日にガイドを行うことが出来ました。

     本校では,前回示したように,A4サイズのガイドマップを作成し,そこに生徒のガイド動画のQRコードを入れ込む形で作りました。下絵は2年生男子に描いてもらいとても良い物が出来ました。これは,かごしま近代産業遺産パートナーシップ会議の助成金を受けて,3000部印刷して配布出来るようにすると言うことでした。

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    これは反射炉についてのガイドです。

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     これは薩英戦争についてです。薩摩藩とイギリスの砲弾の違いを説明しています。

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     これは機械工場と英国留学生とのテーマです。

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     これは鹿児島紡績所について,中村紡績所や田上水車館などマイナーなネタを盛り込み,最後世界遺産の富岡製糸場につながっていくとの内容の力作で,終わったあと,ひときわ大きな拍手が起こりました。今回ガイド原稿の作成者はお休みで,彼が代行しました。

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     今回作成した「旧集成館ガイドマップ」を手分けして配りました。「東高校で作成しました。QRコードをスマホで読み込むと動画が流れます。よろしかったらご覧ください」といいながら,配布しました。

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  • 2021年11月23日(火)

    世界遺産の旧集成館ガイドマップが完成しました!!

    東高校集成館ガイドマップ

    東高校集成館ガイドマップ[PDF:863KB]

     

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     今年度当初から,本校は吉野兵六会主催で,世界遺産観光ガイド作りに取り組んできました。近隣の中学・高校で,鹿児島の世界遺産について分担し,関吉の疎水溝は吉野中学校,寺山の炭窯跡は吉野東中学校,そして本校は旧集成館を担当しました。8月に仙厳園(旧集成館跡)に下見に行き、学芸員の岩川さんにガイドを受け,事前勉強をしました。今回11/23の心岳寺詣りに併せて,観光ガイドをすることになり,その際にガイド動画のQRコードを埋め込んだガイドマップを作成し配布することとなり,それがついに完成しました。詳しくはPDFをご覧ください。

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     8月の下見の様子です。みなさん一生懸命に話を聞き,メモを取っています。

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2021年11月19日

  • 2021年11月19日(金)

    フレッシュ研修の他校種研修です!!

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     今回は,鹿児島養護学校から4人の先生方が,フレッシュ研修(初任者研修)の他校種参観ということで,本校にいらっしゃいました。

     これは,3年生の韓国語会話の授業です。

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     机間巡視をされて,授業の様子を参観されていました。

2021年11月18日

  • 2021年11月18日(木)

    校歌の研究 その14 ~黒髪中学校

    黒髪

    1.明けゆく空に噴きあぐる 神秘の力思う時 若き生命の火と燃ゆる 希望ははるか人の世の 真理求めて学びつつ ともに励まん黒髪の 若人集う中学校 2.ゆうべ静かに溶岩の つき立つ偉容仰ぐとき 若き生命のみなぎれる 理想は高しとこしえの 平和求めてむつびつつ ともに励まん黒髪の 若人集う中学校

     黒髪中学校は、東桜島村立東桜島中学校の黒髪分校として昭和22(1947)年に開校しました。25年鹿児島市編入に伴い、鹿児島市立となり、29年東桜島中から独立しました。校歌制定は未詳です。作詞は田中静哉、作曲は迫田武資です。田中氏については未詳ですが、迫田氏は県内の多数の校歌を作曲されています。旧喜入中、根占中、宮小、伊敷小、徳光小、住吉小、三島小、羽月小、南永小、伊作小、漆小、荒川小、中名小ほか鹿屋市民歌や十島のうた等です。
     さて歌詞について。まず歌詞が2番までなのは当校と福平中のみです。東桜島中の回で述べたように、歌詞に共通の特徴があります。それは桜島の語は使わずに、それを形容して表現する言葉があることです。
     1番で、「明けゆく空に噴きあぐる」「若き命の火と燃ゆる」、2番の「夕べ静かに溶岩の」「つき立つ偉容仰ぐとき」等、間近に見る目線で桜島を表現しているところが素晴らしいと思います。

    黒髪地図

     

     

     

2021年11月16日

  • 2021年11月16日(火)

    校歌の研究 その13 ~東桜島中学校

    東桜

    1.山にのぞめば山のこえ 海にのぞめば海のこえ 山と海とが呼び合う中に 友愛の花咲きかおる 我等の東桜島中学校 2.朝の光は歌を呼び 夕べの光はにじとなる 明るい窓よこの学び舎に 今日も希望の鐘がなる 我等の東桜島中学校 3.固い岩根にゆるぎない 心とからだ鍛うれば 空にそびゆるいらかの波は 高い理想の道しるべ 我等の東桜島中学校

     東桜島中学校は、東桜島村立東桜島中学校として昭和22(1947)年創設され、同時に黒髪分校も設置されました。25年鹿児島市編入に伴い、鹿児島市立となりました。校歌制定は未詳です。作詞は久保けんお、作曲は津曲とおるです。両氏については、それぞれ吉野中、天保山中の所で紹介しました。
     さて歌詞について。桜島には当校と黒髪中、桜島中の3中があります。いずれも作詞者は異なりますが、共通するのは桜島の語は使わずに、それを形容して表現していることです。桜島にある学校ならではです。
     1番で、山(=桜島)と海(=錦江湾)とが呼び合うと表現し、2番では朝の光と夕べの光を対比させ、学び舎に希望の鐘がなると表現します。3番では全体で、桜島を表現し、「固い岩根=心と体を鍛える」、「いらかの波=高い理想の道しるべ」と桜島の存在そのものを前面に強調します。当校にとってシンボル的存在であることが分かります。ちなみにいらかの波とは、「文部省唱歌 鯉のぼり」(大正2年成立、「屋根より高く~」ではない方です)に出てきますが、文語的表現で、いらか=瓦が重なっている様子が、波のように見える比喩として使われます。ここでは「空にそびゆるいらかの波」と言っているので、やはり桜島のことを指しているのではと思います。

    東桜地図

     

2021年11月15日

  • 2021年11月15日(月)

    校歌の研究 その12 ~河頭中学校

    河頭2

    1.花咲きにおう山峡に 緑の風は朝をよぶ 学びの窓に眉あげて 励まんわれら河頭中学校 2.流れも清き甲突の ほとりに生いし君とわれ 若き命はひと筋に 結ばんわれら河頭中学校 3.世紀の歩みほがらかに 正しく強く行くところ 高くもすむか自治の鐘 求めんわれら河頭中学校

     河頭中学校は、伊敷村立河頭中学校として昭和22(1947)年創設され、現在の地に本部、犬迫小を第一教場、小山田小を第二教場、皆与志小を第三教場として開校しました。25年鹿児島市編入に伴い、鹿児島市立となりました。校歌制定は未詳です。作詞は高城渓水、作曲は林幸光です。両氏については、それぞれ長田中、鴨池中の所で紹介しました。高城氏は小山田町の出身なので、小山田小・河頭中は母校なのかもしれません。また雅号の渓水は甲突川に因むのではと思います。
     さて歌詞について。まず1番の山峡です。これを読める人はなかなかいないと思います。これは熟字訓で漢字2文字で、「やまかい」と読むそうです。意味は山と山との間という意味です。これで一気に情景が浮かびますし、同時に雅趣あふれる歌詞となっています。ついで「甲突のほとりに生いし君とわれ」も素晴らしいです。下の地図で見る通り、3教場及び本部と甲突川は一体となっており、歌詞はよくその位置関係を示しています。3番では「世紀の歩み」「高くもすむか自治の鐘」(「澄むか」でしょうか)と理想に燃えた学校としての使命を表現したものとなっています。全体的に作詞者高城氏の詩情にあふれ、郷里に対する愛情のこもった歌詞で、素晴らしい校歌だと思います。

    河頭地図

     近隣の中学校と当校との位置関係や、本部・3教場(犬迫小、小山田小、皆与志小)及び甲突川の位置関係も示してみました。

2021年11月14日

  • 2021年11月14日(日)

    校歌の研究 その11 ~伊敷中学校

    伊敷中2

    1.常磐の翠城山に 希望の旭おどる時 桜島峰のさん然と 清気新たな大理想 仰ぐこの幸この誇り ああ我が伊敷中学校  2.小野の群山玉里に 平和の入り日映ゆる時 師友の愛護麗しく 自由華さく学園を 結ぶこの自主この力 ああ我が伊敷中学校  3.流れゆたかな甲突きの 水上遠くたゆみなく 真理の泉汲まん時 みよ常若く健やかに 伸びるこの業この教え ああ我が伊敷中学校  4.今や民主の光得て 歴史新たな海中に 文化の祖国建てん時 見よ盛上る勤労に 振るうこの意気この創意 ああ我が伊敷中学校 

      伊敷中学校は、伊敷村立伊敷中学校として昭和22(1947)年創設され、25年鹿児島市編入に伴い、鹿児島市立となり、26年鹿大教育学部代用付属校となりました。校歌は23年に制定されました。作詞は池上喜一、作曲は田中義人です。作詞担当池上氏は当時の国語教員だったのか未詳ですが、郡山中、上甑中、大馬越小、紫尾小、柊野小等多数の校歌を手がけています。作曲担当の田中氏は県を代表する音楽家で、先に紹介した『武田恵喜秀の88年』によると、バイオリンが専門で、鹿児島第一師範学校教諭を勤めています。武田の先輩にあたり、いつも「兄貴」と尊敬していた間柄で、共に昭和8年に鹿児島室楽協会を作り、戦後いち早く武田が鹿児島の音楽のためにピアノリサイタルを開いた時は駆けつけ、28年に鹿児島管弦楽団の結成にも携わりました。県合唱連盟理事長や南日本音楽コンクール創設にも武田と共に主導しました。
     さて歌詞について。多くの学校が歌詞3番までですが、市内40中のうち吉田北中と当校のみ歌詞が4番まであります。令和3年5月5日付南日本新聞の「校歌の風景」27「伊敷中学校」から、抜粋しながら引用します。
     校歌は長いためか2番までしか歌われず、3・4番の存在すら知らない生徒もいるそうです。1番には新時代の幕開けを感じさせる希望、清気新な大理想、2番以降は自主、健やかになど主体的で健全な成長を願う言葉が出てきます。2番の師友の愛護は研究校として教師が自己研さんし、生徒とともに伸びようとする学校の姿勢と重なるということです。
     校歌の構成から考えてみます。1番は希望の旭とあるので、東側を指し、城山や桜島を配置しています。2番は平和の入り日(伊敷の由来に関連しています。下記参照)とあり、西側を指し、小野の群山、玉里を配置しています。1・2番が山や平野であるのに対して、3番は甲突川、4番は海(錦江湾)で川や海を配置しています。1番の常磐の翠は常緑樹のことで、城山の木々を歌っています。先の記事では当校のスクールカラーになっているそうです。また当校の学校便りの名称としても使われており、常磐の翠がシンボルとなっています。そのためか校内はユーカリやクスノキなど80本の木々が植えられ、校舎は緑に囲まれています。1~3番が自然を主に歌うのに対して、4番は一転して、「民主の光、歴史新たな、文化の祖国建てん時、盛上る勤労」と、戦後日本の再スタートを高らかに歌い上げており素晴らしい校歌となっています。

    伊敷地図

     伊敷の由来は「印色入日子命(いにしきいりひこのみこと)」を祀る伊邇色神社(いにしきじんじゃ)の伊邇色がなまり、「伊敷」という地名になったとされています。南北朝時代に上下に分かれ、上伊敷村が成立しました。江戸時代は鹿児島近在(鹿児島城下に近い村)の内「遠名」とされ、昭和25(1950)年に鹿児島市に編入され、同市伊敷町となりました。S43年鹿児島開発事業団により、伊敷団地建設が着工され、S52年完成(西伊敷1~7丁目新設)。S61年鹿児島市最後のマンモス団地として、伊敷ニュータウン建設が着工、H14(2002)年住居表示実施(伊敷台1~6丁目新設、H17年に7丁目新設)されました。団地造成により、中学校も新設されたようです(S49緑丘中,H4伊敷台中学校新設)。

2021年11月13日

  • 2021年11月13日(土)

    校歌の研究 その10 ~天保山中学校

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    1.明日(あす)の世界を日本(につぽん)を 担うは我ら若人(わこうど)よ つばさ養うこの三年(みとせ) 友と手をとり肩をくみ 松の翠(みどり)にかこまれて 共に学ばん我が母校 おお天保山中学校 2.紫紺(しこん)に映(は)ゆる桜島 紺碧(こんぺき)の海錦江湾 自然のたくみ極(きわめ)めたる ゆたけき恵み讃(たたえ)えつつ 朝(あした)に仰(あお)ぎ夕(ゆう)に伏し 共に励まん我が母校 おお天保山中学校 3.深き真理(まこと)は海のごと 高き理想(のぞみ)は山のごと 涯(はて)し究(きわ)めんわが友と 心朗(ほが)らに健(すこ)やかに 恩師のさとし身にしめて 共に進まん我が母校 おお天保山中学校

     天保山中学校は、鹿児島市立第八中学校として昭和23年創設され、翌年現校名に改称されました。校歌は設立直後の2年後の25年に成立しました。作詞は北元友衛、作曲は津曲徹です。
     令和2年9月16日付南日本新聞の「校歌の風景」24「天保山中学校」によると、作詞担当北元氏は国語が専門の2代目校長で、作曲担当の津曲氏は音楽教諭だったそうです。津曲氏は他に星峯中、東桜島中、清和小等の校歌を担当しています。当校は初め騎射場にあり、昭和24年に現在の場所に移転し、新校舎は松林を切り開いて建設されました。そのため学校周辺には松が茂り、すぐ近くに美しいなぎさが広がっており、1番に「松の翠にかこまれて」と、埋め立て前の与次郎ヶ浜の光景が歌われているそうです。北元氏は昭和4年に吉松尋常高等小学校(現吉松小の前身)元訓導の立場で、同校の校歌を作詞しているようです。そのテーマは先人の偉業を受け、高い理想に基づき未来を切り開くとの思いを込めています。当校の校歌と比較してみると、1番で「明日の世界と日本を担う」と、高い理想に燃える様子を高らかに歌い上げ、2番で桜島や錦江湾の自然の恵みを讃え、3番で真理、理想、友、恩師を歌い込み、理想を掲げ邁進する気宇壮大な校歌となっており、共通している部分があると思います。個人的には歌い出しの部分と、1・3番で友を歌い、1番の「つばさを養うこの三年(みとせ)友と手をとり肩をくみ」の部分がとても良いと思います。

    斉彬

     島津家第28代当主斉彬公の陣屋跡です。当校の敷地内にあります。
     この一帯は天保山調練場として洋式調練や砲術、騎兵、工兵などの訓練が行われたところで、斉彬は嘉永4(1851)年以来ここで将兵を閲兵したり、各種の訓練を見学したりして、将兵の士気を鼓舞し、その育成につとめました。

    天保山地図

     与次郎地区は、江戸後期の天保年間(1830-44)に,荒田村の百姓平田与次郎が荒田浜に塩田を拓き、一帯を与次郎ヶ浜と呼ぶようになったことが由来だそうです。戦後になって、昭和40年に鹿児島市・県・谷山市の合同出資で鹿児島開発事業団が設立され、一帯の埋め立て工事が開始され、昭和47年に竣工完成しました。その年鴨池運動公園が完成し、陸上競技場、県立鴨池野球場、テニスコートなどが設置され、第27回国民体育大会(太陽国体)が行われました。その後現在にいたるまで、サンロイヤルホテル、鴨池マリンパーク、海釣り公園、フレスポジャングルパーク(ジャングルパーク遊園地跡地)やテレビ局、新聞社、高層マンションなど各種観光・レクリエーション施設や商業施設などが建設されてきました。

     埋め立てが行われる前は、陸地は鹿大水産学部あたりまでで、国道225号からすぐ近くに砂浜があり、松林がひろがっていました。二重構造の護岸も特徴的で、海沿いに長水路が1.6km近く伸びています。これは景観を重視し堤防の高さを抑えるための工夫だそうです。当校の校歌は、一帯の景観をよく伝えていると思います。

     

     

     

2021年11月11日

  • 2021年11月11日(木)

    2学期PTAの様子です。

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     1学年PTAは,修学旅行の話と学年からの話です。全学年の中で出席率はとても高いでした。

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     2学年PTAは,旅行業者の方に来ていただいて、11月下旬に控えた修学旅行の話でした。感染対策や,旅行日程,返金についての案内でした。学年からは,2学年もあと5ヶ月となり,進路について具体的に動き出さないといけませんとの話をしました。

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     3学年は自動車学校の説明会でした。今年は谷山中央自動車学校の方から説明がありました。

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     生徒も一緒に自動車学校の入校説明について聞きます。

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     進路指導部から今年の進路状況について。学年主任から学年の状況について説明がありました。

     保護者の皆様,本日は足下のお悪い中,お越しいただきまして,本当にありがとうございました。

     

  • 2021年11月11日(木)

    校歌の研究 その9 ~甲南中学校

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    1.甲突川の南の いらかも清き学び舎に 敬愛信をめざしつつ 向学自主の意気高し 中学甲南若人われら 2.英俊雲と生れつぎて 維新の業をなしとげし 三方限の名も永遠に 共同自治の風かおる 中学甲南若人われら 3.秀麗千古桜島 火をはく嶺にこだまして  明るく強くたくましく 燃ゆる命か明日をよぶ 中学甲南若人われら

     甲南中学校は、鹿児島市立第七中学校として昭和23年創設され、翌年現校名に改称されました。校歌は戦後の混乱のためか7年後の30年に成立しました。作詞は蓑手重則、作曲は有馬大五郎です。
     作詞担当の蓑手氏は城西中の回で紹介しました。市内最多の7中を作詞しています。

    有馬大五郎←作曲担当の、有馬大五郎氏です。

     作曲担当の有馬氏は、岩城宏之『チンドン屋の大将になりたかった男~N響事務長 有馬大五郎』によると、日本を代表する音楽教育家、音楽学者、声楽家です。明治33(1900)年兵庫県神戸市生まれ、昭和55(1980)年80歳で死去。地元の小中学校を卒業後、1920年入学の北海道帝国大学予科中退後、慶應義塾大学文学部予科に転学。その後東京音楽学校を受験し失敗、1923年慶應義塾大学中退後、同年歩兵第39連隊に入隊、3ヶ月で除隊。1925年に歌手を目指して渡欧し、ウィーン国立音楽院で声楽を学びましたが肺結核で挫折し、作曲科に転じました。ウィーン時代の学友にカラヤン(世界的指揮者)がいます。ウィーン国立音楽院作曲課程修了後、ウィーン大学哲学部音楽科で博士号を取り1934年に日本へ帰国。結核による喉の損傷のため歌手の道を断念。1936年から東京高等音楽学院(現国立音楽大学)で教えています。1940年から新交響楽団(現NHK交響楽団)の運営に携わり、1942年から理事兼初代事務長。戦後1948年国立音楽学校(現国立音楽大学)理事長となり、のち国立音楽大学学長を歴任しました。妻は洋画家和田三造の娘です。
     さて歌詞について。私立鹿児島育英館HP「きばっど育英館」に「甲南中での進路学習から」(H30.1.19)という記事を見つけました。次に抜粋しながら引用したいと思います。
     鹿大の蓑手重則教授の作られた歌詞で、特徴的な文語表現を随所に用いて、格調を高めている。「甲突川の南」の歌い出しは「甲南」という学校名を想像できる。次に「敬愛信」であるが、西郷隆盛を思い出すと、「敬天愛人」であり、「信の人」である。「三方限」とは、地域の名称である。上之園、高麗、荒田の地域をまとめてこう呼んだ。甲南中の正門の横にこの碑がある。偉人が次々と誕生して明治維新で活躍した様子を「英俊雲と生まれつぎ」と「維新の業をなしとげし」と表現している。三番は自然と人間の対比であり、そのエネルギ-と対峙できる若者の可能性を取り上げている。「明るく強くたくましく」は桜島にも負けない若人の姿である。メンバ-の一人、長澤鼎は13歳でイギリスへ渡り、のちに、アメリカでブドウ王となる。彼の心の支えは郷中教育の教えであった。「名を今に残し人も人、心も心」と教える島津日新公いろは歌にあるように、「若人われら」には、「偉人にも若い時代はあった。悩んだり、苦しんだりと君たち同じで、変わらないよ。若さでがんばれ」と中学生への応援の気持ちがこめられている。

    三方限

     上は、三方限出身名士顕彰碑の写真です(当校の正門左手に建っているそうです。明治の思想家の徳富蘇峰が碑文を書いています)。


     以上、全般的に一語一語読み解いています。付け加えるならば、蓑手氏作詞に共通する「鐘、友愛、希望、はばたく」が抑えられ、「自主の意気、自治の風」と少し変わった表現となっています。

    甲南中地図

2021年11月10日

  • 2021年11月10日(水)

    桜島ロードレース大会です。

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     本日午前中,昨年度に引き続き2回目のロードレース大会が実施されました。天候が危ぶまれましたが,日程を縮小して実施できました。

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     開会式,教頭先生から

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     今回は男子が先に走りました。

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     ついで女子が走りました。

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     後半,雨に降られましたが,走破できました。

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     ゴールでは,走順の券を受け取ります。

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     閉会式,講評です。表彰は後日行います。

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     桜島の体育館で,開閉会式を行いました。

     

2021年11月9日

  • 2021年11月09日(火)

    校歌の研究 その8 ~鴨池中学校

    鴨池中

    1.紫におう朝空に 仰ぐ豊かな桜島 輝くひとみはればれと 真理のとびら開きゆく 鴨池中学ああわれら 2.緑の松の影清く 映えて明るい錦江湾 心をみがき身を鍛え 友愛花と咲きかおる  鴨池中学ああわれら 3.大空広く海広く 若き夢呼ぶ鶴ヶ崎 希望の翼はばたいて 祖国の明日を担いたつ 鴨池中学ああわれら

     鴨池中学校は、鹿児島市立第九中学校として昭和22年創設され、2年後に現校名に改称されました。校歌は36年に成立しました。作詞は石井三千男、作曲は林幸光です。Wikipediaの当校の項目によると、旧校歌は校名変更時に制定されたが、南中の分離の際に、歌詞中の「一千有余」という生徒数(分離後の鴨池中の生徒数は約600人)がそぐわないことから新校歌が制定されたそうです。なお、旧校歌は現在鴨池中の生徒会歌となっているとのことです。

    林幸光

     作曲担当の林幸光氏

     作詞担当の石井氏は未詳です。公募だったのか(石井三千男作詞の「美濃加茂市の歌」S38制定があるが同一人物か不明)、当時の国語教員だったのか分かりません。作曲担当の林氏は県を代表する音楽家です。『林幸光先生自叙伝』によれば、氏は明治32(1899)年福岡県久留米市生まれ。地元の小学校を出て、種子島の西之表市榕城小学校高等科に転校し、鹿児島師範学校入学。卒業後日置尋常高等小学校、田布施尋常高等小学校に勤務し、大正11(1922)年東京音楽学校に入学。卒業後群馬県師範学校、大阪天王寺師範学校に勤め、文部省の嘱託で欧米音楽教育を視察し、満州国政府民生部編審官となり、戦後昭和22(1947)年相愛女子専門学校教授、東京高等学校講師を経て、24年鹿児島大学教育学部教授、同大附属中学校長、40年退官、鹿児島短大教授音楽科長を勤め、48年には勳三等瑞宝章授与、昭和57(1982)年大分市で死去。氏は県の音楽教育の向上発展のために尽力し、著作出版をはじめ、学会、音楽諸団体の指導育成等、学校教育、社会教育の多岐にわたる献身的な活動を行い、全国的にも高い評価を受けているとのことです。『標準女子音楽教科書』編集、明治以来歌唱中心だった音楽教育を、鑑賞、作曲に広げ、戦後の音楽教育興盛の基礎を築き、その他全九州大学音楽会設立、鹿児島県音楽教育連盟会長、南日本音楽コンクール審査委員長等歴任し、音楽文化向上に寄与したとされ、南日本文化賞を授与されました。
     鹿大教育学部音楽科で、氏の音楽学習実践として、「校歌めぐり」というものがあったそうです。これは昭和28年から県内小中高の校歌を実際弾き、歌うもので、ラジオで毎回放送され、学生が卒業して新任地に赴任したら、教師自らが校歌をよく理解し、歌い込むことが最も重要なことであるとの実践教育だったとのことです。このことから氏は校歌に対して特別な思い入れがあったのだと思います。
     さて歌詞について。1番で仰ぐ豊かな桜島、2番で映えて明るい錦江湾と歌い、3番では若き夢呼ぶ鶴ヶ崎と歌います。鶴ヶ崎という当校所在地のローカルな地名を持ってくるところが珍しいです。ここは新川の河口にあたり、明治期の地誌『鹿児島県地誌』には郡元村の項に「出崎 鶴ヶ崎 長沙村ノ東ニアリ、海中ニ出ルコト凡ソ二丁。田上川(新川)海ニ注ク所ナリ、其ノ地形円ナリ」とあります。鶴が羽を丸く広げた様子が由来でしょうか。ちなみに鴨池は本来中村(鹿児島と谷山の中間に位置するため)と呼ばれており、明治になって島津忠義が池を拡張し禁猟区としたため鴨が増えたことに由来するといいます。ともあれ当校に縁のある鴨と鶴から、「希望の翼はばたいて、祖国(郷土ではなく国レベル!)の明日を担いたつ」と歌い上げる校歌はとても壮大なイメージです。

    鴨池中地図

     

2021年11月7日

  • 2021年11月07日(日)

    校歌の研究 その7 ~武中学校

    武中写真

    1.むらさき匂う朝雲に 平和の光照り映えて 明くる武岡この庭に 希望の花は咲きほこる 武中学に決意あり  2.南の風もさわやかに 輝く伝統意気もえて 学ぶ若人この窓に 自立の誓ひかためゆく 武中学に力あり 3.錦江湾の波を呼ぶ あかるき瞳夢多く 理想羽ばたくこの空に 正しく強く伸びてゆく 武中学に誇りあり

     武中学校は、鹿児島市立第六中学校として昭和22年創設され、2年後に現校名に改称されました。校歌は45年に成立しました(『武田恵喜秀の88年』による)。設立から校歌制定まで23年経過しており、その間校歌が無かったのか、あるいは旧校歌が存在したのではないかと思われます。45年に制定した事情は詳しくわかりません。作詞は河西新太郎、作曲は武田恵喜秀です。
     作詞担当の河西新太郎氏は、当校HPでは川西とありますが、正しくは河西です。氏は明治45(1912)年香川県高松市の生まれ。昭和期の詩人、作詞家です。旧制高松中を出て、東洋大学卒業後、S12(1937)年の亜欧連絡記録大飛行応援歌に応募し採用されました。その後大阪朝日新聞社に入社、S20年退社して帰郷し、以降高松で詩人・作詞家として過ごしたそうです。戦後は詩誌『日本詩人』を主宰し、西沢爽プロ専属作詞家として、依頼や公募で、400 曲余りの校歌や市町村歌、CMソングの作詞を行ったとのことです。代表作「オリーブの歌」。H2(1990)年死去。享年79歳でした。以上のことから、歌詞を公募し、河西氏が応募、作詞され、武田氏が作曲されたのだろうと思います。
     さて歌詞について。河西氏の他校の例を合わせて見ると、特徴として東雲・青雲・朝雲など雲が好きなようです。他に希望、理想、若人、はばたく等です。そのため明け方の理想に燃えた草創期の気風が感じられ、前向きの明るい校歌だと思われます。1番に武岡とあり、校歌制定時に武岡ハイランドや武岡団地の造成が始まっていますが、そのことと関係があるでしょうか。下の図のように、武岡開発の結果、急増した生徒の受け皿として、城西中から明和中がS51分離し、さらに明和中から武岡中がS63分離され、武中から西陵中がS59分離しました。

    武岡地図-1

     ところで当校の近くに、明治6年に征韓論争で敗れた西郷隆盛が移り住んだ西郷武屋敷跡があり、現在西郷公園となっています。庄内藩家老菅実秀が訪れた際の様子を表した「徳の交わり」の銅像もあります。また当校はその縁でS50年山形県鶴岡市立鶴岡第二中学校と兄弟校盟約を結んでいます。このような西郷関連の史跡が近くにあるにも関わらず、校歌に歌われないのは、吉野中や長田中のように戦後段階ではなく、それから20年以上経過して歴史上の人物を読み込まなくなった風潮のためでしょうか。

    武中写真2

    徳の交わり