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2022年1月9日

  • 2022年01月09日(日)

    職員研修です!!

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     1月7日(金)職員研修「不祥事防止について」がありました。学期当初にあたり,職員研修です。

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     はじめに,DVD「スクール・コンプライアンス」を視聴して,そのあと不祥事発生の要因は何か? 不祥事がなくならないのはどうしてか? 一人一人が心がけることはどんなことか?について,話し合いました。

  • 2022年01月09日(日)

    校歌の研究 その36 ~吉野東中学校

    吉野東3

    吉野東1

    1.はるかに青き錦江湾 清く明るく吉野東 希望に燃えて夢を呼ぶ 勉学励み頼もしく 未来に向きて競いあわん 2.歴史ゆかしくこの台地 出会いを求む吉野東 友愛あふれ咲きかおり 礼節なりて麗しく 未来に向きて輪をひろげん 3.朝日そびゆる桜島 ともに鍛える吉野東 英気に満ちたこの笑顔 勤労練磨  耐えぬきし 未来に向きて歩みゆかん

     吉野東中学校は、昭和58(1983)年に吉野中学校から分離して、鹿児島市立吉野東中学校として創設されました。校歌制定年は不明です。作詞は佐藤文男、作曲は長野彰です。両者とも詳しく分かりません。

     

    ・吉野中校歌(S28制定、作詞・作曲:久保けんお)

    1.高原の吉野は青空にいちばん近い ぐんと背のびをすれば 青空に両手がとどく この美しい国で なごやかな心と心を結ぶ われらわれら吉野中学 2.三つのペンをかたどった われらの校章 光る三つのかなえは奥ふかい 学びの道を朝な夕なに示す あこがれの歌声たかき所 われらわれら吉野中学 3.桜島霧島開聞とひとめに のぞむすみきった空気の中で ひるまない強い体と 知恵と誠とをみがく 寺山に偉人の跡をしのぶ われらわれら吉野中学

    ・吉野小校歌(S30制定、作詞:蓑手重則、作曲:西 勇恕)

    1.ときわのみどり色はえて はるかに仰ぐ桜島 あヽこの窓にこの庭に 学ぶぼくらのわたしらの 知恵もかがやく吉野校 2.歴史はかおる寺山の 西郷さんをしのびつヽ あヽこの原にこの丘に みんな仲よく手をとって 歌もとどろく吉野校 3.平和な里のあさなゆう ゆたかににおう花紅葉 あヽこの地(つち)にこの空に 強く正しくたくましく 夢もはばたく吉野校

    ・吉野東小校歌(S56年以降制定、作詞:蓑手重則、作曲:武田恵喜秀)

    1.朝日の光さわやかに 学びの窓に今日もまた 明るい自主の鐘が鳴る 我らは我らは吉野東小 2.西郷さんの足あとを 朝な夕なにふみしめて 心をみがき身をきたえ 友愛花と咲きかおる 我らは我らは吉野東小 3.錦江湾の空高く 火を吐く山よ桜島 つばさも強くたくましく 我らは我らは吉野東小

     

     さて歌詞について。近隣の小中学校と比較してみてみたいと思います。すなわち吉野小・吉野中・吉野東小・当校の4校です。このうち吉野小と吉野東小はいずれも作詞は蓑手重則氏です。吉野中は以前紹介しました久保けんお氏です。桜島は4校とも歌います。錦江湾は吉野東小が3番で、当校が1番で歌います。他の2校にはありません。距離的にはそれほど大差ありませんが、区別をつけるためでしょうか。これらに共通し、他校に例が見られない点は吉野の西郷さんを歌い込んでいるところです。吉野中では「寺山に偉人の跡をしのぶ」、吉野小では「歴史はかおる寺山の西郷さんをしのびつつ」、吉野東小では「西郷さんの足あとを」、吉野東中では「歴史ゆかしくこの台地」です。

     ちなみに吉野小学校校長室には西郷さんが使用したとされる鉈や鎌が保管されています。明治6年征韓論争で敗れ鹿児島に下野した西郷さんは、吉野の寺山に吉野開墾社を作り、生徒らと昼は開墾、夜は勉学に励みました。その際使用した物が、現在保管されているとのことです。とてもゆかりがあります。

    吉野東中地図

2022年1月8日

  • 2022年01月08日(土)

    校歌の研究 その35 ~星峯中学校

    星峯中1

    星峯中

    星峯2

    1.輝くひざし この丘に 集うわれらよ 手を取りて 希望の明日を 開きゆく 自主友愛の 鐘ならし はつらつ 星峯中学校 2.山なみはるか 桜岳の 力とどろに 若人の 平和の明日を めざしつつ 正しく強く 生きてゆく たくまし 星峯中学校 3.はてなき空よ 南(みんなみ)へ 大いなる夢 はぐくみて ゆたかな明日を 築かんと 英智をみがき 学びつつ 伸びゆく 星峯中学校 

     星峯中学校は、昭和57(1982)年に鹿児島市立星峯中学校として創設されました。校歌制定年は不明です。作詞は鮫島秀勇、作曲は津曲徹です。鮫島氏は詳しく分かりません。津曲氏については天保山中で触れました。
     さて歌詞について。1番に「この丘」とあり、学校所在地の星ヶ峯ニュータウンの丘陵地域を指していると思います。住所で言えば星ヶ峯1~5丁目に当たり、5・6丁目は星ヶ峯みなみ台ともいうようです。昭和48(1973)~平成4(1992)年に整備されました。当校が57年設立なので、ニュータウン造成に併せて造られたようです。また「自主友愛の鐘ならし」と一見校歌によく出てくるフレーズですが、鐘が鳴るのではなく、鐘を鳴らすと歌い、若干ニュアンスが異なります。より主体的能動的な表現です。
     2番では「桜岳(桜島の異称)の力とどろに」と歌い、詞藻豊かな表現であり、かつ音数を整えたのでしょうか(おうがく=4音、さくらじま=5音)。「とどろ(轟)に」とは、大きな音を立ててという意味なので、桜島の力強さを表現しているようです。
     3番の「はてなき空よ南(みんなみ)へ」の部分が少し意味が取りづらいようです。当校HPでは続く部分が「大いなる夢はくぐみて」となっていますが「はぐくみ(育み)て」が正しいと思います。各番とも最後に、校名で締めくくっています。

    星峯中地図

2022年1月7日

  • 2022年01月07日(金)

    校歌の研究 その34 ~桜丘中学校

    桜丘中2

    桜丘中1

    1.朝日に映える 山脈の 緑の風の わくろころ 心理をさぐる 若人に 明るい自主の 鐘は鳴る 桜丘中 ああ われら 2.大空あおく 海あおく ながめも清い この丘に 心とからだ きたえつつ 友愛花と 咲きかおる 桜丘中 ああ われら 3.錦江湾の 空高く はるかに仰ぐ 桜島 希望のつばさ はばたいて 輝く明日の 夢を呼ぶ 桜丘中 ああ われら

     桜丘中学校は、昭和55(1980)年に鹿児島市立桜丘中学校として創設されました。校歌制定年は不明です。作詞は蓑手重則、作曲は鎌田範政です。両者については城西中、西紫原中で触れました。東谷山中同様、両者のペアで作詞作曲を担当しています。
     当校HPによると、本校区は、ほぼ桜ヶ丘団地だけの校区であり、一団地単独校となっているそうです。令和元(2019)年度には、創立40周年を迎えたことを一つの節目として、校歌にちなみ、「自主の鐘」を校訓に制定し、校訓を立行司第36代木村庄之助氏に書いていただいたとのことです。

    自主の鐘 ← 校訓「自主の鐘」
     さて歌詞について。今まで何度か紹介した通り、蓑手氏は県内最多の8中の校歌を担当しており、その共通する特徴が見られます。すなわち1番「自主の鐘は鳴る」、2番「友愛花と咲きかおる」、3番「希望のつばさはばたいて」です。明和中の所で触れた通り、学校教育に関わる氏の教育理念が込められていると思います。1番では西側に位置する山々に、朝日が映えると歌い、2番では学校所在地の「桜丘」を歌い、3番では錦江湾の向こうに桜島を仰ぎ見るという構図を歌い込んでいます。

    桜丘中地図

  • 2022年01月07日(金)

    校歌の研究 その33 ~東谷山中学校

    東谷山中

    東谷山2

    1.朝日の光さわやかに学びの窓に輝いて 真理を目指す若人に 明るい自主の鐘は鳴るわれらは東谷山中 2.青雲なびく魚見台銀杏の並木仰ぎつつ 心をみがき身をきたえ 友愛花と咲きかおるわれらは東谷山中 3.錦江湾の空高く 火を吐く山よ桜島 希望の翼はばたいて豊かな明日の夢をよぶ われらは東谷山中

     東谷山中学校は、昭和55(1980)年に谷山中から分離して、鹿児島市立東谷山中学校として創設されました。校歌制定年は不明です。作詞は蓑手重則、作曲は鎌田範政です。両者については城西中、西紫原中で触れました。
     作詞担当の蓑手氏はほぼ同時期に4校の校歌作詞をしています。すなわち明和中(51年設立)、坂元中(52年設立、54年制定)、東谷山中(55年設立)、桜丘中(55年設立)です。また作曲担当の鎌田氏も西紫原中(54年設立)、東谷山中(55年設立)、桜丘中(55年設立)です。東谷山中と桜丘中はペアでの制作です。初回で触れたように、鹿児島市は、51年度「鹿児島市小中学校整備計画」を定め、中学校創設ラッシュとなりました。そのため同時期に校歌を制作することとなり、同じタイミングでの校歌依頼となったようです。
     さて歌詞について。今まで紹介してきたように、蓑手氏の共通の特徴を踏まえています。1番に「自主の鐘は鳴る」、2番に「友愛花と咲きかおる」、3番に「希望の翼はばたいて」とあります。2番の「魚見台」について。当校HPによると、学校所在地が、錦江湾で沿岸漁業が盛んな頃に、魚群を見張る最適な場所であったことから「魚見ヶ原」の地名がついたとされ、「魚見ヶ原の丘」と呼ばれているようです。そこで校歌では「魚見台」と表現されたようです。

    東谷山中地図

2022年1月6日

  • 2022年01月06日(木)

    校歌の研究 その32 ~西紫原中学校

    西紫原中2

    西紫1

    1.るり晴天の 大空に 光りて昇る 朝の日の 輝く知識 求む子の ああ わが母校 西紫原中学校 2.錦江湾の とどろきて 絶ゆることなく 打つ波の 生きぬく力 つくる子の ああ わが母校 西紫原中学校 3.火を噴く山の 桜島 天の柱と 立つ煙 理想を高く かかぐ子の ああ わが母校 西紫原中学校

     当校HPによると、西紫原中学校は、昭和54(1979)年に紫原中学校を母体にして、南中学校の一部を吸収して、鹿児島市立西紫原中学校として創設されました。校歌制定年は不明です。作詞は椋鳩十、作曲は鎌田範政です。椋鳩十氏は前回触れました。

    鎌田2 ←作曲:鎌田範政氏

     鎌田氏は、昭和22(1937)年に鹿児島市で生まれ、鹿児島大学卒業後、県内の小・中・高校教諭を経て鹿児島大学教育学部に着任され、のち同大教授を務められました。県音楽教育連盟会長、日本教育音楽協会鹿児島支部長、県少年少女合唱連盟理事長などを歴任され、30年間にわたって鹿児島市立少年合唱隊の指揮者を務めたほか、南日本音楽コンクールや南日本ジュニアピアノコンクールの審査員長も務められました。平成20(2008)年度地域文化功労者文部科学大臣表彰、11年度県民表彰されました。平成26(2014)年死去されました。77歳でした。   
     さて歌詞についてですが、前回の紫原中の回でも紹介しましたが、椋鳩十氏は綿密に取材ノート(椋鳩十文学記念館所蔵)を残しています。特に当校については8枚もあります。

     2枚目に学校像(1創造、2健康、男子(?)、明朗、3協力)、生徒(真理創造、心身鍛練、相互敬愛)とあります。椋氏が当校を訪問した際に、学校側から聞いた学校像と生徒の教育方針ではないかと思います。

     2枚目を除く、1~8枚目は校歌の歌詞の推敲の過程を示しており、後半になるに従い完成原稿です。8枚目(下掲)は「西紫(原)中学校々歌」と表題が付いており最終案です。

    8

     1枚目には「るり晴天の大空に」とあり、現校歌の1番1節目の歌詞が早くも現れ、最初の着想を活かした格好です。錦江湾、桜島を使う構想も最初からあったことが分かります。瑠璃色は紫味がかった青色で、空の形容に使われるので、校名と大空に掛けて、椋氏のイメージにぴったりだったのだと思います。

     1番2節も「輝く朝の日の光り」「朝日大きくのぼりたり」と現校歌とほぼ同様で、7枚目に現校歌と同じ歌詞が完成します。1番については最初から構想がほぼできていたようです。

     1番3節の「輝く知識もとむ子の」は、2番にあった「知識」が1番に移り、6枚目で完成します。

     1~3番4、5節の校名での締めくくりの部分は、語順で悩み、7枚目に現行の形に落ち着きました。

     2番は初めは錦江湾の海底を詠もうとしますが、6枚目からは波に変わり、8枚目に2番1節「錦江湾のとどろきて」、7枚目に2番2節「絶ゆることなく打つ波の」で完成します。

     2番3節「生きぬく力つくる子の」は3番から移り、6枚目に完成します。

     3番1節の「火を噴く山の桜島」のフレーズは4枚目で完成し、途中「火をはく」と迷いますが、紫原中と同文を避けるためか、元に戻します。

     2節の「天の柱と立つ煙」は6枚目に完成しますが、天の柱がどういう意味かが謎です。日本神話の天御柱(あめのみはしら)か、自然現象のサンピラー(太陽柱)、光茫、日足などかと思いますが、ここでは素直に桜島の噴火の様を表現していると解釈した方が良さそうです。椋氏ならではの独自表現かと思います。

     3節「理想も高くかがく子の」は1番から「理想」を移して6枚目で完成です。4・5枚目で悩み、6・7枚目でほぼ完成させたようです。5枚目には、何回も推敲した跡が見られます。

    西紫原中地図

     

  • 2022年01月06日(木)

    校歌の研究 その31 ~坂元中学校

    坂元中1

    坂元中2

    1.歴史にかおる矢上城 学びの窓に眉あげて 真理をさぐる若人に 向学自主の鐘は鳴る 2.高原広く澄むところ 緑の風もさわやかに 心をみがき身をきたえ 友愛花と咲きにおう 3.仰げばはるか青雲に 火をはく山よ 桜島 希望も強くたくましく はばたく坂元中学校

     当校HPによると、坂元中学校は、昭和54(1979)年に創設されました。学校創設と同年に校歌が制定されました。作詞は蓑手重則、作曲は武田恵喜秀です。両者については、それぞれ城西中、清水中で触れました。
     当校所在地は特異な歴史的環境があり、当校HPに以下のような記述があります。
    1坂元の地名
     催馬楽(せばる)の旧村社日枝神社は近江の国の日枝神社の分霊を奉祀し、彼の地名に習い村を「坂元」と呼ぶと伝えられている。
    2催馬楽城(矢上城ともいう)
     文永4年~興国5年(77年間)南朝の忠臣矢上高純の居城で南北朝のころ、矢上左右衛門高純が終始一貫南朝に勤王し、猛烈に島津氏と戦って玉砕した戦場でその城跡が本校の前にある。
    3催馬楽碑
     奈良時代から朝廷の催馬楽(さいばら)という音楽を奏した隼人が住んだところと伝えられている。
     鹿児島郡司矢上氏の歴史と坂元の由来、催馬楽について、本校HP「学校周辺の史跡」で触れましたが、少なくとも 100年ほど当地を支配した矢上氏の歴史や伝統が根付いていることは確かだと思います。そのため当校や坂元小、坂元台小の校歌に、矢上氏(城)について詠み込まれています。特に坂元小校歌は作詞が同じ蓑手氏で、当校の4年前の昭和50(1975)年制定で内容もよく似ています。

     

     坂元小学校校歌(作詞:蓑手重則 作曲:郡山 脩)

    1.矢上の城のあとどころ 朝日に映える学び舎に きょうも明るい眉あげて 豊かな知恵の実をひろう 坂元われらまことの子 2.山なみ遠くめぐらせて 緑の風のわくところ みんな仲よく肩組んで やさしい愛の輪をむすぶ 坂元われらめぐみの子 3.錦江湾の空たかく 火をはく島よ桜島 つばさ大きくはばたいて かがやくあすの夢をよぶ 坂元われらのぞみの子

     

     さて歌詞について。1番に「歴史にかおる矢上城」とあり、地域の歴史を踏まえ、後半「自主の鐘は鳴る」と蓑手氏おなじみのフレーズで結んでおり、2番には「友愛花と咲きにおう」、3番には「希望も~はばたく」と共通のワードが使われています。2番の「高原」は学校周辺一帯の高台のことを指すのでしょうか。3番では火をはく山桜島を歌い込んでいます。

    坂元中地図

2022年1月5日

  • 2022年01月05日(水)

    校歌の研究 その30 ~明和中学校

    明和中1

    明和中2

    明和中3

    1.朝日に映える桜島 学びの窓に仰ぎつつ 真理をめざす今日もまた 生命に深くこだまして 明和よ自主の鐘は鳴る 2.山脈あおく 海あおく 南風ひかる丘の上 心を磨き 身を鍛え 生命も清く触れあって 明和よ愛の花かおる 3.錦江湾の空はるか 白雲絶えず湧くところ 希望のつばさたくましく 生命のかぎりはばたいて 明和よ明日の夢を呼ぶ

     当校HPによると、明和中学校は、昭和51(1976)年に、城西中学校から分離して創設されました。61(1986)年には武岡中学校が分離します。分離直前は総生徒数2000名以上と、日本でも最大規模だったそうです。校歌制定年は不明です。作詞は蓑手重則、作曲は藤島昌壽(まさひさ)です。蓑手氏については、城西中学校の所で触れました。

    藤島昌壽 ← 作曲担当の藤島昌壽氏です。

     藤島氏について詳しくは分かりませんが、昭和10(1935)年に生まれ、令和2(2020)年に亡くなりました。鹿児島出身の作曲家です。鹿児島女子高では多くの合唱曲を作られたそうです。平成22(2010)年には日置市市民歌を作曲されています。 『我が人生に悔いはなかりき-蓑手重則・瑛子追悼文集-』「校歌に寄せて-校歌集」によると、当校の校歌作成の事情が分かります。蓑手氏は鹿大で国文学を講じ、小中高校の国語教育を指導していた関係で、各所から依頼され校歌を制作されたとのことです。当校についても当時の南郷校長の委嘱によるとのことです。校歌で「生命」という言葉を反復強調しているのは、「小学生の頃から両親の手伝いをしながらいろいろな作物や家畜を育てて、その生命の神秘さや尊厳さを痛切に体験していたから」ということです。校歌には1番「生命に深くこだまして」、2番「生命も清く触れあって」、3番「生命のかぎりはばたいて」とあります。また1番「自主」、2番「協力」、3番「希望」を主題としており、「これらの精神は生徒ひとりひとりの具体的な生命とこだましふれあい高まらなければ正しくは生かされません」とのことです。
     1番の「自主」について。学校教育は生徒ひとりひとりの能力や性格に即して自主的な協力的な解決的な学習活動を展開して、生徒の主体的な学習態度を育成するところであり、そうでなければ生命と深くこだまする人間を育成することはできないでしょう。
     2番の「協力」について。人間は本来家庭や社会を構成して、相互に仲よく話し合い助け合って生きていかなければならない。氏は昭和26(1951)年鹿大代用附属の伊敷中学校主事として、研究主題「自発学習」をかかげ、男女仲よく話し合い助け合う生活態度を育成するなど3点を示しました。そこで男女同数の自然グループを編成し、学習活動を行わせたそうです。2番に「生命も清く触れあって明和よ愛の花かおる」とあるように、男女生徒が仲よく触れあうことで、学校教育の民主化が浸透していくと考えていたようです。本稿はここで終わっており未完のようです。
     さて改めて歌詞について見てみます。今まで触れたように蓑手氏は県内最多8中の校歌を作詞しています。その共通するところは、自主の鐘、友愛の花、希望の翼です。桜島と錦江湾の定番の景観も詠み込んでいます。

    明和地図

  • 2022年01月05日(水)

    校歌の研究 その29 ~緑丘中学校

    緑丘中1

    緑丘中2

    1.けむりを空に噴き上げて いのちを燃やす桜島 ああその雄姿のぞみつつ 自ら学び励むもの 中学われらに力あり 2.緑丘のあけくれに 友愛花と咲くところ ああはつらつの眉上げて 真理の道を進むもの 中学われらに誇りあり 3.したたる汗に健康の よろこび歌う若い声 ああその意気にこぞりつつ かがやく明日をめざすもの 中学われらに使命あり

     当校HPによると、緑丘中学校は、昭和49(1974)年に創設されました。校歌は2年後の51(1976)年に制定されました。作詞は高城俊男、作曲は吉崎清富です。高城氏については、長田中学校の所で触れました。
     吉崎氏は、ウィキペディアによると、日本の現代音楽作家です。昭和15(1940)年秋田県大館市生まれ。中学卒業と同時に上京し、桜美林高校、東京芸術大学、同大学院を修了しました。作曲を下総皖一、石桁眞禮生に師事し、ベルリン国立音楽大学に留学し、国際コンクールで入賞を果たします。同大卒業後ベルリン工科大学電子音楽スタジオ研究員に着任。鹿児島大学講師着任後、東京学芸大学教授、国立音楽大学講師、鹿児島大学教授を歴任し、令和3(2021)年瑞宝中綬章を受章されました。三枝、西村、松平、水野氏らと結成した「オーケストラ・プロジェクト」、自らが主宰する作曲グループ「パッケージ21」等において、ユニークで鮮烈な作品を多数発表し、NHK電子音楽スタジオ等からの委嘱による電子音響作品やコンピュータ音楽作品も手掛け、実験精神に溢れながらも正統な現代作曲技法に裏打ちされた作風は、極めて独創的な音楽世界を確立したものとして高く評価されているそうです。
     さて歌詞について。作詞担当の高城氏は県内5中、長田中・河頭中・桜島中・和田中・当校の作詞をしています。共通する特徴としては、1番に桜島、2番に錦江湾を歌い、最後に校名でしめくくるというパターンが多いようです。ただ錦江湾より離れている河頭中は甲突川を歌い、当校は緑丘を歌っています。また古語を好んで使う傾向もあります。当校では2番に「あけくれに~真理の道を進む」とあり、朝夕問わず、真理探究に励んでいくという意味合いでしょうか。同じく2番の「友愛花と咲くところ」もよく出てくる表現です。3番では「かがやく明日をめざす」と郷土建設を歌います。

    緑丘中地図

    団地地図

     緑丘中は、第2次ベビーブーム(1970年代初頭)、伊敷団地造成(1966から1971年)による人口急増の受け皿として、創設されたものと思われます。

2022年1月4日

  • 2022年01月04日(火)

    校歌の研究 その28 ~紫原中学校

    紫原中2

    紫原中1

    1.高原すでに明けそめて み空に光るあけの星 自主創造は人と世に 夜明けを呼ぶと語りかく 夜明けを呼ぶ紫原中 2.のぼる朝日の光りの矢 黄金に染めて薩摩潟 深き知徳は人と世に 光りを呼ぶと語りかく 光りを呼ぶ紫原中 3.中天高くま向いに 火をはく山の桜島 高き理想は人と世に 未来を呼ぶと語りかく 未来を呼ぶ紫原中

     当校HPによると、紫原中学校は、昭和42(1967)年に鴨池中学校から分離独立し、鹿児島市立紫原中学校として創設されました。校歌は51(1976)年に制定されました。作詞は椋鳩十、作曲は武田恵喜秀です。椋鳩十氏は言わずと知れた日本を代表する児童文学作家です。武田氏は清水中学校の所でも紹介しました。『武田恵喜秀の88年 ピアノを愛して』によると、「(武田氏は)校歌作りの名人でもあった。作詞は作家の椋鳩十、詩人の副田凱馬、蓑手重則らとコンビを組んだ。武田が作曲した校歌は実に 191曲。県内の学校のおよそ2割にもおよぶ数になる」とあり、「とくに椋は学校からの作詞の依頼がくると「作曲は武田先生だよ」という条件で受けたらしい」とあって、両者の関係の親密さが分かります。

    椋 ← 作詞担当の椋鳩十氏です。

     作詞担当の椋鳩十について、椋鳩十文学記念館編『椋鳩十の生涯』『椋鳩十の略歴』で見てみたいと思います。
     椋鳩十(むくはとじゅう)は、明治38(1905)年長野県で誕生。本名は久保田彦穂(くぼたひこほ)。日本の小説家、児童文学作家、鹿児島県立図書館長、教員。日本における動物文学の代表的人物です。地元の旧制中学を経て、大正13(1924)年法政大学文学部国文科卒業後、昭和5(1930)年鹿児島の中種子高等小学校に代用教員として赴任しますが、夏にふんどし1つで授業をしたため3ヶ月で解雇となり、姉清志(県立病院第1号女医・眼科)の紹介により、同県加治木高等女学校(現在の加治木高校)の国語教師に着任しました。仕事の傍ら作家活動を続け、8年に最初の小説『山窩調』を自費出版し、この時初めて椋鳩十のペンネームを使いました。
     戦後昭和22(1947)年から41年までの19年間、鹿児島県立図書館長を務めました。館長として、GHQによる軍国主義的図書館資料の排除命令を、書庫に封印する事を条件に回避しましたが、財政難によって図書館再建は困難を伴いました。そこで、第二次世界大戦で崩壊した図書館機能の再建のため、図書館学で「鹿児島方式」と呼ばれる、県立図書館と市町村図書館との一体的システム化を行い、のちの図書館ネットワークの原型となるものを構築しました。また、創作と並行して1958年に奄美分館設置、1960年に読書運動である『母と子の20分間読書』運動を推進し、1967年から1978年までは鹿児島女子短期大学教授を務めました。なお、鹿児島県内の小中学校・高校の校歌に詩を提供しています。昭和62(1987)年12月に肺炎のため逝去、享年82歳でした。
     上谷順三郎「椋鳩十作詞の校歌についての研究」によると、県内には椋作詞の校歌は57校あり、その内収集できた48校の歌詞分析を行ったそうです。道徳的内容(清い、明るい、理想、希望、美しい、校訓)。名詞(肩(組む)、光、心、知識)。動詞(学ぶ、輝く、集う、育つ、伸びる、励む、若い等)。色(金、紅、瑠璃等)。その他(われ、われら等子どもの表現、若き芽、若人、「○○の子」、校名を歌うのも多い)。自然(空、山、川、朝、虹、星)。生物(花、芽、珊瑚樹、そてつ、アフチ)である。椋は依頼された学校を何回も訪れ取材したと言われ、そのため地域の自然が豊かに描かれているそうです。その際の取材ノートが何十冊も残されています。年代別では、昭和20年代(7校)、30年代(25校)、40年代(5校)、50年代(1校)、60年代(3校)、不明10校だそうです。校歌の作詞は県立図書館長就任後の22年以降になされ、新聞連載や南日本文化賞受賞(30年)等地元鹿児島での活動の活発化とともに作詞依頼が増えたようです。作詞依頼の理由としては、県立図書館長だったから、地元にゆかりのある作家だったからだそうです。椋氏の教育観から、常に子どもとの関わりがあり、子ども達への願いを校歌に込めたのではないかとされます。
     さて当校の歌詞について。1番に高原(紫原台地か)、2番に薩摩潟(錦江湾)、3番に桜島の定番を配置します。歌詞の構造としては、1番であけの星が夜明けを呼ぶ、2番で深き知徳が光(朝日)を呼ぶ、3番で高き理想が未来を呼ぶと歌います。ここであけの星(明けの明星=金星)が、夜明けを呼ぶというモチーフが、県内で5校ほど確認できます。椋作詞の東高校校歌では少しニュアンスが違いますが、「星満天に輝きて東天ひそかに朝を呼ぶ」とあります。このメルヘンチックで、童話的な表現が椋鳩十作詞の真骨頂だと思いますがどうでしょうか。

    紫原中地図

  • 2022年01月04日(火)

    校歌の研究 その27 ~南中学校

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    南中1

    南中2

    1.南に開く錦江の 潮の香かようわが学園(その)に 風は緑にかぎりなき 真理の道を究めんと 集う瞳の色澄めり 2.紫原に雲高く 日は輝けりわが校庭(にわ)に 闘魂いよよ火と燃えて 心も身をも鍛えんと 競う力の花薫る 3.桜島山(しまやま)こめて夕ばえの 紅つつむ学び舎に 自主協調の誠もて 日本のあすを築かんと 結ぶ理想の夢豊か

     当校HPによると、南中学校は、昭和34(1959)年に鴨池中学校から分離独立し、鹿児島市立南中学校として創設されました。そのため校章は鴨の形をかたどっているそうです。42(1967)年に校歌が制定されました。作詞は富永栄蔵、作曲は隈元清之助です。両者ともよく分かりません。当時の国語・音楽教諭だったかもしれません。
     さて歌詞について。1番に「錦江」、3番に「桜島山」と定番の景観を配置します。ただ桜島山を「しまやま」と歌うのは珍しいです。2番には「紫原」を歌います。これは当校の北西側に位置する標高70mほどの「紫原台地」を指しています。紫原は「むらさきばる」と読み、鹿児島で「~はる」地名は開墾地で、台地の場合が多いです。一説には北の田上村、東の郡元村、南西の宇宿村の村境に位置していることに由来しているといいます。また紫色の染料である紫草が群生していたためとも言われます。中世頃よりしばしば戦場となり、明治の西南戦争でも激戦地となりました。戦後昭和31(1956)年に紫原団地の造成が始まり、鹿児島市内の団地造成の先駆けとなり、41年にほぼ完成しました。周辺地域の人口急増に伴い当校他中学校の設立につながったと思われます。3番では「日本の明日を築かんと」と歌われ、高度経済成長を象徴する歌詞となっています。

    南中地図

     

     

2021年12月28日

  • 2021年12月28日(火)

    県いじめ問題子供サミットにオンラインで参加しました!!

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     12月27日(月)に本校で,令和3年度鹿児島県いじめ問題子供サミットに,本校生徒会で,オンラインで参加しました。詳しくは以下のPDFファイルを見てください。

    鹿児島県いじめ問題子供サミット実施要項[PDF:298KB]

    県いじめ問題子供サミットパンフ[PDF:444KB]

     県内60校ほど参加する中,3~4校で1グループを作り,オンラインで交流します。高校は参加数が少なく,本校は垂水高校と交流しました。

     はじめに事例紹介(清水中,伊集院中,枕崎中,錦江湾高校等計9校)がありました。そのあと「いじめ防止について議論しよう」というテーマで,話し合いました。1.いじめ問題の難しさについて(5分)。2.学校ごとに話し合ってまとめる(5分)。3.学校ごとにまとめたことを,代表者が発表する(7分)。という流れです。最後に感想をそれぞれまとめました。

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     生徒の感想から。

     今回いじめ問題子供サミットに参加して,いじめについて考える機会ができて良かったです。参加した9校の取り組みを聞いて,本校でも出来そうな活動があったり,取り入れたいなと思う活動がありました。生徒会として,学校でのいじめをなくすため,起こらないように,さまざまな活動をしていきたいと思いました。今回いじめ問題子供サミットに参加することができて良かったです。

     いじめは,いじめている人の背景も考えていかないといけないと思いました。みんないじめられている子だけがかわいそうと思っていると思います。しかし,性格は,遺伝が半分,環境が半分つくります。なので,いじめをなくすには,環境を大きく変える必要があると思います。

     他校の意見や取り組みを取り入れることができ,とても参考になった。当校でも,先生方と話し合いを取り入れることができるものを実施していきたいと思います。いろんな取り組みを聞いて,自分たちが,より良くできる方法がたくさんでてきたので,取り入れるだけではなく,今の当校の状況によってすこし変えていきたいと思います。あらためて,いじめを防止するためには,生徒会の力がいるなとおもいました。

  • 2021年12月28日(火)

    校歌の研究 その26 ~鹿大附属中学校

    附中1

    附中2

    1.るり色の 風に明けゆく南国の 希望の空よ 見よ見よ集えるは 清新の生命燃え立つ若き花 意気あり鹿大付属中 2.緑樹の 蔭にさゆらぎ薫りたつ 歴史の槌よ 見よ見よあふるるは 友愛の宴楽しむ若き夢 自治あり鹿大付属中  3.火の山の 姿そびゆる青空に えがくは何ぞ 見よ見よはばたくは 蛍雪の理想追いゆく若き鷹 栄あり鹿大付属中 

     鹿児島大学附属中学校は、昭和22(1947)年に、鹿児島師範学校男子部附属中、同女子部附属中、鹿児島青年師範学校附属中の3校が創設された。23年に男女が統合され、24年に新制鹿児島大学の発足により改称され、26年に同大学教育学部附属中学校となりました。30年に校歌が制定されました。作詞は脇太一、作曲は柳沢浩です。
     作詞担当の脇氏は、ウィキペディアによると、明治33(1900)年香川県に生まれ、昭和44(1969)年死去された、日本の教育者および作詞家です。大正13(1924)年に東京高等師範学校を卒業され、28歳の時に恩師に誘われて大連(中国遼東半島南部)に渡りました。教鞭のかたわら俳句、短歌、詩、小説、脚本などの作品を創作されました。敗戦後日本に引き揚げ、昭和22(1947)年坂出市立林田中学校校長に就任されました。26年NHK「ラジオ体操の歌」に応募、1万点余りの作品から最優秀に選ばれ(本曲は2代目の「ラジオ体操の歌」となる。現行版とは異なる)、作詞家として一躍有名になり、全国の小学校、中学校、高等学校から作詞を依頼されたとのことです。
     さて歌詞について。令和2年10月7日付南日本新聞「校歌の風景」25に、当校校歌の紹介があり、「校歌の詞と曲は1955年、県内では珍しく、全国から公募された。歌詞は2代目ラジオ体操の歌を作った香川県の脇太一氏が担当、多くの合唱曲を残した神奈川の柳沢浩氏が作曲した。県外の2人が手掛けた校歌には、学校周辺の情景などがほとんど登場しない代わりに、「花」「夢」「鷹」など時が流れても色あせない言葉が並ぶ。教員OBの一人は、地理的、歴史的な束縛を解かれた斬新な歌詞と語る」とあります。また当校の運動会の種目に「若き花」(女子ムカデ競争)、「若き鷹」(男子棒倒し)という校歌の1番と3番に使われた歌詞を冠する種目があるそうです。しかし今年(2020年)は新型コロナで中止となりましたが、新たに玉入れを考案し、2番にちなみ「若き夢」としたそうです。校歌の伝統を大事にする校風がうかがえます。

     氏の作詞された校歌のうち、出身の香川県以外の中学校の校歌と併せて考えてみると、共通するのは、歌詞の最後に校名を繰り返す、「見よ見よ」「若き」「栄え」「希望」「理想」などです。

     また脇氏が校歌作詞を担当された、県内の霧島市立向花小学校について、同校HPを見ると、公募から制定、発表にいたる経緯が分かります。昭和31年9~12月に全国に校歌の募集をし、12月15日に選定、翌年2月12日に学芸会で校歌の発表会を行ったそうです。その際作曲担当の鹿大教育学部武田恵喜秀氏も来校されたようです。応募された歌詞原稿が校長室に展示されており、それを見ると、選定委員による歌詞の修正の跡が分かり、「一等」という鉛筆の走り書きが、校歌が誕生した瞬間のようで、生々しささえ感じるということです。

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    向花小の校長室に展示されている,歌詞原稿です。

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     歌詞は、全体的にはとても詩的で味わい深く、半面深淵で意味が取りづらい所もあるかと思います。各歌詞の構造は、「~よ」(と呼びかけ)、「見よ見よ」(さあ、見なさい!)(これは)~「若き花、~夢、~翼」(それぞれ生徒を示し、1年・2年・3年生だそうです)だと歌い、最後に「鹿大附属中」と結ぶ。1番では「るり色の~空よ」「見よ見よ」「集えるは」「若き花」だ。気概ある、鹿大附属中だ。2番では「緑樹の~歴史の槌よ(ここの解釈は難しいが、今作られる当校の歴史や伝統を指すか)」「見よ見よ」「あふるるは」「若き夢」だ。自治の気風ある、鹿大附属中だ。3番では「火の山(桜島)の~何ぞ」「見よ見よ」「はばたくは」「若き鷹」だ。栄えあれ、鹿大附属中だ。唯一鹿児島のシンボル桜島(あえて火の山と歌う)を歌う所がとてもいい効果をもたらしていると思います。

    附中地図

2021年12月25日

  • 2021年12月25日(土)

    校歌の研究 その25 ~喜入中学校

    喜入中1

    喜入中2

     旧校歌 作詞:久保田彦穂(椋鳩十)  作曲:迫田武資

    1.秋はうるわし校庭の 南京はぜの夢の色 心にそめて学ぶ子は 理想大きく育ち行く 2.清き流れの八幡川 夕日淡く影うつす 知徳の泉汲む子らは 未来の花と育ち行く 3.愛の林の待人山 額の汗を払う風 勤労めでて学ぶ子は 郷土の力と育ち行く

     

     新校歌 作詞:大保純義  作曲:新徳美知二

    1.潮の香薫る錦江湾 学びの庭に 友愛の 誓いも新たに 集うとき 自律の鐘は 鳴り渡る 自律の鐘は 鳴り渡る ああ われら 喜入中 2.流れ豊けき 八幡川  清き川面に 真実の 道を尋ねて 励むとき 研学の炎は 燃えさかる 研学の炎は 燃えさかる  ああ われら 喜入中 3.紫雲たなびく 桜島 映ゆる雄姿に 高遠な 理想をかかげ 歩むとき 文化の園は 輝きぬ 文化の園は 輝きぬ ああ われら 喜入中

     『喜入町郷土誌』によると、喜入中学校は、喜入村立喜入中学校として、旧喜入青年学校跡地に、昭和22(1947)年創設されました。喜入小・喜入青年学校を利用して校舎としました。31年には町制施行により喜入町立喜入中学校となり、47年に町内3中(喜入・瀬々串・生見)が統合し、平成16(2004)年に鹿児島市立となりました。ここまで、「昭和22年組」~学校教育法施行に伴い昭和22年(甲南・天保山は23年)に誕生した、新制中学校24校を紹介してきました。市内40中の6割がこの年に誕生しました。
     当校は町立化した後、33年に旧校歌(作詞久保田彦穂(椋鳩十)、作曲迫田武資)が制定され、3中統合後の新喜入中学校成立後、49年に現校歌が制定されました。作詞は大保純義、作曲は新徳美知二です。作詞・作曲担当の大保氏・新徳氏についてはよく分かりません。当校の国語・音楽教諭だったかもしれません。旧校歌の椋鳩十は、東高校校歌の作詞も担当されている、児童文学者として著名な方です。また作曲担当の迫田氏は黒髪中のところで触れましたが、県内の多数の校歌を作曲されています。旧喜入中、根占中、宮小、伊敷小、徳光小、住吉小、三島小、羽月小、南永小、伊作小、漆小、荒川小、中名小ほか鹿屋市民歌や十島のうた等です。
     さて歌詞について。まず旧校歌は1番に「校庭の南京はぜ」とあり、椋鳩十はその景色を見たのだろうと思います。2番では「愛の林の待人山」とあり、『喜入町郷土誌』にある「待集(まっと)山」のことであれば、当校より南西に位置する、喜入CCの東側にある山のことと思われます。しかしなぜ「愛の林」なのか不明です。何か言い伝えがあるのでしょうか。3番では八幡川が出てきます。新校歌では、1番に錦江湾、2番に八幡川、3番に桜島が出てきます。このうち八幡川は喜入第一の河川で、中心部を流れます。ただ、日本遺産に指定された、給黎(きいれ)城跡を含む「喜入旧麓(もとふもと)地区」等歴史的景観を読み込まないのは少しもったいない感じがします。ちなみに喜入は初め旧麓地区が中心でしたが,江戸初期に現喜入小(地頭仮屋跡)辺りに、麓(郷の中心地)を移しています。喜入小の裏山が城山(戦時に籠もる所)で、地元では琵琶山(地図中緑で囲んでいる所)と呼ばれており、現在喜入総合体育館があります。南北を八幡川と愛宕川の2河川でカバーされており、防衛上適地とされたためでしょうか。あるいは海に近く、交通上・交易上有利とされたためでしょうか。旧麓地区は武家屋敷跡が残り、旧観を残しており、風情があります。2番の「自律の鐘は鳴り渡る」は校歌によく見られるワードで、3番の「文化の園」は独特な表現と思います。

     なお、当校出身の人の話では、朝の登校時間に、校歌の1番が流れ、「自律の鐘は鳴り渡る」を聞くと、ああもう遅刻だと観念したそうです。

    喜入地図

     

     

2021年12月24日

  • 2021年12月24日(金)

    2学期終業式です!!

     本日2学期終業式がありました。今回もリモートで実施されました。

     終業式に先立って,校内放送で表彰がありました。

     (1) サービス接遇検定 2級 2年

     (2) ハングル能力検定 4級 2年

     (3) 美術部 第72回鹿児島県高校美術展 奨励賞 1人  入選4人

     (4) K1グランプリ(漢字) クラス優勝(1年2組)

       個人優勝(3位まで)

     (5) 2学期クラスマッチ 総合優勝 2年2組 

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     はじめに,校長先生の話。第九「歓喜の歌」の話から,ベートーベンについて。1770年生まれ,56歳でなくなった。第九が完成するまでの道のりはやさしいものではありませんでした。様々な苦悩の中で完成された曲です。そういった苦悩があったからこそ,素晴らしい曲ができた。皆さんもここまでいろんな苦労があったと思いますが,だからこそこれからの試練に立ち向かえると思います。苦労は次のステップアップのためのエネルギーを貯める時だと考えて欲しいと思います。

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     ついで,生徒指導部から。NTTドコモの情報モラルの講演の感想から。SNSを巡るさまざまなトラブルの話。知らない人を信用しずきてはいけない。SNSで知り合って,県外に行って補導されるケースあり。冬休み中の心得について。スマホの利用,交通安全事故防止について。不審者遭遇事案多発している。明るい道を通りましょう。音楽聴きながら歩いていると,周りに注意がいかないので気を付ける,などでした。最後に,THE BLUE HEARTSの甲本ヒロトさんの言葉の紹介。学校に居場所がない子にどう答えますかの質問に,居場所はあるよ,席がある。それでいいじゃない。学校に友達がいなくて気にすることはないよ。学校は,けんかしないで平穏無事に生活する,そういう訓練の場所だから。(居場所がないことを気にしすぎる子に対しての言葉だそうです)

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     ついで進路指導部から。今年頑張ったこと,一番思い出に残っていること,失敗したことは何ですか。冬休み中にこの1年を振り返ってみてください。長期の目標と短期の目標を考えてみてください。短期の目標は実行しやすいと思います。1・2年生は,冬休み明けに進路希望調査があります。冬休みの間に進路についてよく考えて,進路希望を書いてください。

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     最後に,保健部から。2つのことについて。一つは,新型コロナについて。オミクロン株が,関東関西で市中感染が見られ,年末年始警戒が必要とのこと。休み中の行動について気を付け,年明けのLHRで,確認する場合があるかも知れないとのこと。夕方のニュースを毎日見て,新型コロナの状況について,関心をもってください。

     二つ目は,保健室利用について。保健室は本当に具合が悪い人が利用するところなので,利用する人は,授業の前に,教科の先生に断ってから保健室に行くこと。友達に代理で言ってもらうではなく,本人が申し出ること。保健室利用のルールを守ること。

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     生徒は、各教室で,リモートで視聴しました。終業式で聞いた話を,参考にいかしてください。それでは体調管理に気を付けて,来年元気に登校してきてください。

     

     

     

2021年12月23日

  • 2021年12月23日(木)

    クラスマッチです!!

     本日終日,2学期クラスマッチが行われました。今回は男子はバスケ,女子はドッヂボール,バドミントンでした。

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     激しい男子バスケです。優勝したのは3年1組でした。

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     女子ドッヂボールは,2年2組Aチームの優勝でした。

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     女子バドミントンは,2年1組の優勝でした。明日終業式で,クラスマッチの表彰があります。総合優勝もその時に発表です。

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     今日は天気も良く,それほど寒くもなく,絶好のクラスマッチ日和でした。

     

     

     

  • 2021年12月23日(木)

    校歌の研究 その24 ~松元中学校

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    1.緑の風に朝明けて 明るく匂う学び舎に向学の意気はつらつと 自主の鐘の音高くなる ああ松元中学校  2.松元川のせせらぎに 高原清き茶の園に 進取の気性受け継いで 友愛花と咲き薫る ああ松3. 3.青雲あるか湧くかなた 朝夕あおぐ桜島 希望の翼はばたいて 平和の郷土打ち立てん ああ松元中学校

     『松元町郷土誌』によると、松元中学校は、上伊集院村立上伊集院中学校として昭和22(1947)年創設されました。苦しい経済状況の中での発足で、財源捻出には苦労し、村議会で敷地購入費、校舎建設費は村民の寄付によることとし、住民税の10倍ということでした。チョークも不足し、小学校の使い残りの短いのをもらってきたり、用紙類も、すぐ破れる再生の悪質のザラ紙だったそうです。

    新旧位置

     35年には町制施行により松元町立松元中学校となり、40年には生徒増に伴い校舎を現住所に移転し、平成16(2004)年に鹿児島市立となりました。町立化した35年に校歌が制定されました。作詞は蓑手素秋、作曲は捗秀豊です。蓑手氏については城西中のところで触れました。
     作曲担当の捗氏は松元町内の小中学校の校歌を作曲しています。ウィキペディアによると、校訓が1番「向学」、2番「進取」、3番「希望」の順に歌われ、3番では桜島も歌われているが、桜島は実際は見ることはできないそうです。
     さて歌詞について。作詞担当の蓑手氏は今まで述べてきたように、市内最多8中の校歌を担当しています。1番に「自主の鐘鳴る」、2番に「友愛花と咲き薫る」、3番に「希望の翼はばたいて」と共通のワードを歌い込んでいます。ローカル色としては、松元川(松元流域を流れる下谷口川の異称でしょうか)、茶の園を詠んでいます。下の地図のように,松元町はお茶所として有名です。茶畑に囲まれた原風景です。

    松元地図

     

     

2021年12月22日

  • 2021年12月22日(水)

    芸術鑑賞会です!!

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     本日午後に,体育館で,本校と高等特別支援学校と合同で,芸術鑑賞会が実施されました。公演演目は「ネズミの涙」(オペラシアターこんにゃく座)です。主人公一行は,おんぼろバスで,あっちこっちの戦線を旅して回るテンジクネズミの天竺一座で,「西遊記」を演じながら,愛と笑いと涙の舞台が繰り広げられます。

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     はじめのあいさつ,紹介が,本校の校長先生からありました。

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     観劇上の注意。携帯等電源はお切りください。

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     舞台向かって左側は,ピアノでの劇中歌や様々な効果音などの伴奏を担当している方です。正面は,天竺一座のバスです。

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     西遊記の中で,孫悟空が龍と戦っているシーンです。

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     天竺一座の娘リン(右側)と野ねずみの兵士ニッケル(左側)が,2人で話をするシーン。2人は恋人同士で,仲が良いシーンです。

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     孫悟空が,妖怪と戦うシーン。得意の如意棒で,相手を攻撃します。

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     どぶねずみの一団に襲われ,リンは命を落とします。そのあと恋人のニッケル登場。リンが亡くなったことを知って,嘆き悲しみ,激しく慟哭します。このシーンはとても迫力がありました。

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     休憩10分はさみ,後半の部です。鑑賞態度はとてもよいとありました。

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     最後,本校生徒会長の椿山さんから生徒代表お礼の言葉,花束の贈呈がありました。

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     高等特別支援学校から,作業学習で制作した,木工班からコースター,食品加工班からパンの,お礼の品のプレゼントがありました。

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     オペラシアターこんにゃく座のみなさん,素晴らしい舞台をありがとうございました。朝早くから搬入,設営をしていただき,ご苦労様でした。またぜひお越しいただけたらと思います。本当に今日はありがとうございました。

     

     

     

2021年12月19日

  • 2021年12月19日(日)

    校歌の研究 その23 ~桜島中学校

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     設立当初 S22(1947)年の写真です。(当校HPより)

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     校舎新築当時 S47(1971)年の写真です。側壁及び廊下がタイルで貼りつめられ,美術室,学習機械室を備えた現代的な建物,施設であったため,日本一の豪華中学校と呼ばれ,県内外からの視察団がひきもきらない状態が数年も続いたといいます。(当校HPより)

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    1.見よ秀麗の火の島に 緑ゆたけき地を占めて えいちの光はつらつと 真理の窓にあふれたる ああ我が桜島中学校 2.錦江湾の朝な夕 心を玉と身を鉄と 友愛清く手をとりて 団結花と咲きかおる ああ我が桜島中学校 3.山河明るきこの里に 高き理想を受け継ぎて 正しく強くゆくところ 世紀は今ぞ明けそむる ああ我が桜島中学校

     桜島中学校は、当校HPによると、西桜島村立西桜島中学校として昭和22(1947)年創設されました。それまであった青年学校跡地にその校舎を一部利用して作られたそうです。48年には桜島町立桜島中学校となり、平成16(2004)年に鹿児島市立となりました。設立6年後の28年に校歌が制定されました。作詞は高城渓水、作曲は宗鳳悦です(HPに宋とあるのは誤りです)。高城氏については長田中のところで触れました。
     作曲担当の宗鳳悦氏は、「はがき随筆 鹿児島(毎日新聞西部本社地方版)」(2007.11.2)等によれば、沖永良部出身で、鹿児島師範学校卒、昭和24(1949)年上京し、都内の音楽教諭として40年勤務され、都立中学校校長、東京都音楽研究会会長、NHK文部省諮問委員を歴任されました。東京で43年まで10回の作曲演奏会を開かれました。平成3(1991)年78歳で死去。都の文化功労者として表彰され、昭和天皇の前で、自作の曲を演奏するなど音楽家、作曲家として活躍するかたわら、短歌にも親しむスケールの大きい教師であったとのことです。同氏『ひとりで伸びる「読譜の友」初等篇』はじめにの言葉には、「私は日本を美しい国にしたいのです。それには芸術ことに音楽をさかんにすることだと信じてゐます。そして私は日本ぢゅうの皆さんが一人残らず音楽を愛していらっしゃるといふ事も知ってゐます。それだのに音楽が上手になりさかんにならないといふ事はどうしたことでせう。それは私たちに楽譜を讀む力がないからです。(中略)みなさん、うんと勉強して、一日も早く私たちの日本を美しい文化のかおり高い国にしようではありませんか 昭和22年2月22日」とあり、衣食住全てが満たされなかった時代、印刷する紙さえ充分になかったなかで、音楽をこの子等に!と音符も読めない子供たち一人一人に副読本を与え、熱心に指導する、当時としては異色の教師だったということです。
     さて歌詞について。高城氏は、市内40中の内、当校・長田・河頭・和田・緑丘中の計5中の作詞をされています。一番に桜島、二番に錦江湾を歌い、最後に学校名で締めくくるのは共通しています。1番では当校が桜島所在のため「火の島」という表現です。「緑ゆたけき地」は古語「豊けし」(豊かである)で、緑豊かな土地を意味しています。古語を使うのは高城氏らしいです。2番では錦江湾を歌い、3番では「世紀は今ぞ」と新時代の幕開けを歌い、これから高い理想を受け継いで、邁進していく決意を歌っています。

    桜島地図

     

2021年12月18日

  • 2021年12月18日(土)

    校歌の研究 その22 ~郡山中学校

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    1.綾雲匂う八重の嶺 映ゆる平和の朝日影希望新たに仰ぎつつ 自主に燃え立つ学園に 高き理想の鐘は鳴る 2.流れ清らな甲突の 水は貫く道一つ 真理の光求めよと たゆまず磨く身と心 伸びゆく明日へ星が呼ぶ 3.祖国の栄え村の幸 拓く使命をになひつつ 文化を築く勤労の 力溢れて日に進む ああわが郡山中学校

     当校HPの沿革によると、郡山中学校は、郡山村立郡山中学校として昭和22(1947)年創設されました。当初は独自の校舎は無く、郡山小、郡山青年学校、旧たばこ収納所を借用したとのことです。32年には大谷中(もと下伊集院中の分校)が編入、平成16(2004)年に鹿児島市立となりました。設立4年後の昭和26(1951)に校歌が制定されました。作詞は池上喜一、作曲は田中義人です。両氏については伊敷中でもペアで作詞作曲にあたっており、そちらで触れました。
     さて歌詞について。作詞担当の池上氏は、伊敷中、上甑中、大馬越小、紫尾小、柊野小等の校歌を作詞しています。それらに共通するワードを拾い出すと、「平和、自主、希望、理想、幸、真理、祖国、歴史、文化」等があります。終戦直後に制定された校歌に共通する、戦後復興の希望や理想に燃え、祖国日本の歴史を踏まえ、新しい文化を築いていこうとする精神を表現していると思われます。
     また1番では北側に位置する「八重の嶺」、2番では学校の側を貫流する甲突川を読み込み、3番で祖国建設を歌います。

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2021年12月17日

  • 2021年12月17日(金)

    出前授業がありました!!

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     本日5・6限に,本校で出前授業がありました。今回は1・2年生全員を対象に,進学4分野(英語系,経済系,幼児教育,看護),就職4分野(事務,美容,販売,ホテル)の計8分野で実施しました。

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     英語系です。講師の方は,鹿児島純心女子大学の川上典子先生です。テーマは「第二言語習得論をふまえた,ことばの習得のメカニズム」です。

     はじめにQ1英語は好きですか,なぜ英語を勉強するのかなど質問されました。英語学習を長く続けるためには,なぜ学習するのかという強い思いが大事です。日本語について。日本の英語教育について。文法能力とコミュニケーション能力はイコールではない。コミュニケーション能力は,文法能力。社会言語能力(適切な言葉づかい)。談話能力(1文以上をつなげる能力)。方略能力(問題が起こった時にに処理する能力)からなるとのことです。外国語学習に成功する学習者の特徴(1.若い,2.母語が似ている,3.適性が高い,4.動機付けが高い,5.学習法が効果的)について。目からうろこの話でした。  

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     経済系です。講師の方は,鹿児島県立短大の山口祐司先生です。テーマは「経済学を学ぶ意味です」。

     はじめに経済学のイメージは何ですかという質問がありました。本校生徒は世の中の仕組みが分かる。難しいという答えでした。県短の学生の答えは,お金のことを考える。株などでもうける。景気を予測する。社会のことが分かる。つぶしがきく,だそうです。経済とは何か。経済と市場。経済学とは。市場の仕組みと基礎理論の話。需要曲線と供給曲線。人気に火が付くと価格が同じでも需要量は増加する。コロナ禍の飲食店で価格が変わらなくても量が減る。コロナとマスクの価格減少についてなど,身近な例を出されてとても分かりやすかったです。50分の時間が短く感じられました。

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     幼児教育です。講師の方は,鹿児島キャリアデザイン専門学校の早瀬勇介さんです。テーマは「保育の仕事について」です。

     生徒の感想から。「保育士はずっと遊ぶだけとか思ってたから,やりとり帳とか,5分おきに子どもが息をしているかの確認があるとか知らなかった。」「元々保育士になりたくてずっと保育士のことを調べていたけれど今日の話を聞いて,やっぱり保育士っていいなと改めて思った。」「子どもの成長を見守るために,保育士には精神力やがまん強さも必要だと思った。働くのも楽しそうだからやってみたい。」

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     看護です。講師の方は赤塚学園看専門学校の玉利太一郎さんです。テーマは「看護師の仕事について」です。

     生徒の感想から。「看護の仕事は人を勇気づけ元気づける。人の心にふれる仕事。人々の痛みや苦しみを和らげるお手伝い。」「身だしなみをしつかり。精神をいやす(心のケア)が大事」

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     事務系です。鹿児島情報ビジネス公務員専門学校の谷川浩さんです。テーマは「事務系の仕事,知識」です。

     事務では,簿記,パソコン必要(最低限)。電話対応は,声を少し高く,声の印象が大事。コミュニケーション能力が大事。一番関わる仕事。ビジネスマナー,常識を身に付ける。 

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     美容系です。鹿児島県理容美容専門学校の上玉利親護さんです。テーマは「これからの美容業界について」です。

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     販売系です。株式会社ハンズマンの佐伯卓也さんです。テーマは「販売業について」です。

     生徒のメモから。ホームセンターの種類。DIY型のホームセンター。ハンズマン。食料品をあつかわない。バラエティ型ホームセンター。別名ワンストップ型。従業員は1人1台トランシーバーを持っている。新人は先輩の話を聞いて学んでいく。いろんなところに従業員がいるから分からなくてもきける。

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     ホテルは,指宿シーサイドホテル株式会社の有村純頼さんです。テーマは「ホテル業について」です。

     生徒のメモから。ホテルに泊まる=非日常を味わう。友達・恋人・家族・会社の同僚・先輩・後輩等疲れを癒やす。明日から頑張れるようサポートする。多岐にわたって支えてもらっている。掃除する人,調理する人,設備や機械をメンテナンスする人など。気遣い,気配り=初めてプロになれる。「友たちは一生もの」。自分を大切に,友達を大切に。などホテル業について,大事なことを時間いっぱい教えて頂きました。

     今回の出前授業で教わったことをもとに,進路希望について考えていきたいと思います。今日は本当にありがとうございました。

     

     

     

2021年12月15日

  • 2021年12月15日(水)

    郷土芸能専門部発表会 せばる隼人舞について

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     12月14日(火)に、令和3年度第16回鹿児島県高等学校文化連盟郷土芸能専門部発表大会が,奄美文化センターで行われました。

     東高校は、坂元台小校区に受け継がれている『せばる隼人舞~序の舞~』を披露しました。保存会の丸山さんのご指導のもと、悠々とそして凛とした演技をすることができました。

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      午後の、ワークショップでは、演出家の松永太郎さんに直接ご指導していただきました。登場の仕方や照明の効果など、目からウロコなアドバイスばかりでした。

     他校の、迫力いっぱいの伝統芸能・和太鼓に心打たれ、最後には奄美の六調を参加生徒全員で行い、一体感を味わうことができました。

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     残念ながら、入賞には至りませんでしたが、最後に、従来にない鹿児島地域の郷土芸能が参加することで、新しい風が吹いたとの講評をいただきました。次回も機会があれば参加していきたいと思います。 

     発表大会参加に関して、ご協力していただいた全ての方へ感謝いたします。

2021年12月12日

  • 2021年12月12日(日)

    韓国語スキット大会に参加しました!!

    話してみよう韓国語

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     本日鹿児島女子短期大学で、行われました。

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     今回は中高生スキット部門に参加したのは、本校以外に、大口明光学園、屋久島高校が2組ずつ参加したようです。

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     本校からは2年生2名が参加しました。

     参加部門は、中高生スキット部門 <2 人 1 組で挑戦します>です。

     ルールは、制限時間 3 分。指定の台本を暗記し、2 人 1 組で韓国語の発音や表現力を競います。1 人での参加はできません。本文 自体を変えることはできませんが、文末を変えたり、文章を一部追加することができます(本文全体の 3 分の1程度まで)。ま た、台本を読み上げることはできません。小道具は身の回り品程度とします。事前に、小道具の内容をお知らせください。 BGM を流すこともできます(機材等はご自分で準備して下さい)。ということです。

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     今回は、「キムチに合う食べ物」というテーマです。はじめに用意されたテーマがあり、最後に創作部分があります。最後については参加者が内容を考えて発表します。できるだけ気持ちを込めてするのが大事です。結果やいかに。

     なお、詳しくは本校HPトップ画面左側の関連団体リンクの「駐大阪韓国文化院」HPをみてください。

     

     

  • 2021年12月12日(日)

    校歌の研究 その21 ~吉田南中学校

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    1.大原(おおばる)の空しずかなり 白雲(しらくも)は低く流れておか広く 光り豊かに 命いのち燃えたつところ ああ吉田南中学校 2.寺山のふかき緑よ この国の歴史のとびら音たかく 開きし人の言(こと)の花今もかおりて 真実(まこと)なり 敬天愛人 3.大いなる天地の間 桜島青くそびえて若人よ 大志いだけとふき上げる煙の高き ああ吉田南中学校

     吉田南中学校は、吉田町立吉田南中学校として昭和22(1947)年創設され、平成16(2004)年に鹿児島市立となりました。設立16年後の昭和38(1963)に校歌が制定されました。その間旧校歌があったかどうか不明です。作詞は副田凱馬(そえだよしま)、作曲は井上了(さとる)です。

    副田 ←副田凱馬著『児童詩をこう育てる』

     作詞担当の副田氏について。鹿大教育学部新名主健一氏の研究や副田『児童詩をこう育てる』によると、明治39(1906)年鹿児島市生まれ、昭和63(1988)年死去。大正15(1926)年鹿児島第一師範学校本科一部卒業、同年鹿児島市尋常高等小学校(略称「市尋高」)に勤務し、昭和17(1942)年まで務めました。その後末吉小、財部南小、大龍小、鹿児島市社会教育主事、同指導係長、城南小等に勤務しました。昭和55年に博報賞を受賞した際の、功績概要には「戦前戦後を通じ、作文教育において独自の方法を開拓して著しい効果をあげてきたほか、児童詩・児童劇の創作と指導、童話の口演なども行い、県内の国語教育、文学教育に大きい影響を与えている」とあります。「学習の綴方」「番号作文」の発案、提唱者で、南方綴方推進のリーダーとして、鹿児島県の国語教育史上大きな足跡を残したとされます。番号作文とは、書くことがない、何を書いていいのか、書き方が分からないといった子どもたちに対して、題材・文材の見つけ方や文の書き表し方等を指導して、作文嫌いから作文好きにさせる作文学習の仕方だそうです。具体的には、まず文頭に番号をつけて、たくさんの文材を書かせます。その番号は書き並べる順番にもなっています。教師側は番号数が多いものに点数を付け、子どもたちは文材集めや書き並べに張り切るようになるとのことです。KJ法のような発想法に近い方法です。氏は子どもたちの「踊る心(感動)」をかき立て作文させることが大事ということです。

    井上了  ←井上了氏です。

     『広報さつま』平成31年4月号「人物探訪」25によると、作曲担当の井上了氏は大正8(1919)年鶴田村(現さつま町)に生まれました。昭和14(1939)年鹿児島師範学校本科一部を卒業。日置郡串木野尋常高等小学校、盈進国民学校訓導を歴任し、戦後昭和22(1947)年宮之城中学校に赴任。音楽教師を務め、吹奏楽部の指導にもあたりました。25年に教育事務所薩摩出張所管内の教育指導員に従事。31年に宮之城中学校吹奏楽部は第1回西部吹奏楽コンクールで優勝し、同年全国吹奏楽コンクールで第2位に輝き、その名を全国に広めました。37年鶴田小学校校歌の作曲を手掛けました。校歌は、軽やかで児童生徒の希望の朝日を呼び込むような楽曲だと好評でした。氏は昭和41年鶴田町立鶴田小学校長と鶴田幼稚園長を兼務し、その後喜入町立喜入小学校長、徳之島町立亀津小学校長、姶良町立建昌小学校長を歴任しました。定年後も教育関係に携わり、多大な功績を残した井上氏でしたが、平成9(1997)年78歳で死去されました。
     さて歌詞について。1番の大原(おおばる)は県教育センター所在地でもある大原台地です。鹿児島で「~原(はる)」地名は開墾地を指していて台地の場合が多いです。2番は全編西郷隆盛のことを歌っています。寺山は西郷さんが作った吉野開墾社のある場所で、幕末維新で活躍した郷土鹿児島の偉人である西郷さんの言葉は、今も根付いてると歌い、敬天愛人で締めくくります。3番は桜島を歌います。

    吉田南地図

     

  • 2021年12月12日(日)

    校歌の研究 その20 ~吉田北中学校

    吉田北中

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    1.山紫に水清き 吉田の里を庭として 空を学びの窓とする 理想の吉田北中の 校歌を高くひびかせよ 松尾の山の松風に 2.兵どもの夢のあと 絵にも似かよう朝霧の 吉田に注ぐ女山川 仰ぐ連峰峯高や 世は私利私欲に沈むとも われ向上の道を行く 3.アネモネの花さしまねく 高牧山に朝夕の 勇む心の胸をかり 世界平和の想を練る 伸ばせ里人わが想い 新日本を建てるまで 4.早月苗田の水の色 秋田圃の月を浴び 清き心の思川 誓う岸辺に我立てば 文化の花を夢に見る 若きこの日に幸あれよ  

     吉田北中学校は、吉田町立吉田北中学校として昭和22(1947)年創設され、平成16(2004)年に鹿児島市立となりました。設立と同じ年に校歌が制定されました。作詞は新屋敷幸繁、作曲は河野吉直です。

    新屋敷1 ← 新屋敷幸繁氏

     作詞担当の新屋敷氏は、『新屋敷幸繁全詩集』によると、  明治32(1899)年沖縄県与那城村生まれ。大正12(1923)年中等文検に合格し、鹿児島県立第二中学校(現甲南高)教諭となりました。同15年高等文検合格、昭和4(1929)年第七高等学校造士館(現鹿大)講師、翌年教授となりましたが、同9年辞職し、東京大学国語研究室へ。同10年鹿児島県立大島中学校(現大島高)教諭となり2年後辞職、東京で文筆活動を始めました。同19年文部省教学錬成所・同日本出版会書籍部に勤務し、翌年終戦で退職しました。戦後は鹿児島文化協会理事・鹿児島文学会会長・西南文化研究会委員等を歴任し、昭和32年に郷里の沖縄県に戻り、中央高校校長・国際大学副学長・沖縄大学教授・同学長を務め、昭和60(1985)年沖縄市で死去。85歳でした。
     新屋敷氏の高弟であり俳人の野ざらし延男によると、氏は一人七役で、詩人・国文学者・史家・民話作家・教育者・思想家・行動する文化人であったとされ、中でも詩の活動が著名で、鹿児島の詩壇を開拓した人物でした。鹿児島初とされる詩誌「非詩人」に、妻の新屋敷つる子とともに参加し、詩集『生活の挽歌』を出版し、詩誌「南方楽園」を創刊して、鹿児島の若い詩人を集めて盛り上げました。また鹿児島で「日本文学」という研究誌を主宰し、第二詩集『野心ある花』を出版し、戦後は鹿児島で沖縄貿易をおこなうかたわら詩作を続けました。
     氏の魅力は「口語による柔軟な発想」「初々しい言葉の輝き」「言葉の硬直化を排除」「表現は平明で風刺やユーモアがあり、清涼感がある」「現実の生活に依拠し、健康的前進的で、ひまわりのような向日性」「他者に勇気を与える」詩であるとされます。またその表現は「見えないものを視て、聞こえないものを聴いている」といいます。一方本人は博学、豪快な気性、無類の話好きで、強靱な肉体と精神の持ち主とされてます。氏は鹿児島県や沖縄県の学校の校歌を数多く作詞しています。
     作曲担当の河野吉直氏についてはよく分かりません。
     さて歌詞について。県内40中のうち、歌詞が4番まであるのは当校と伊敷中のみです。新屋敷氏は前述した通り、博学・豪快な気性で、表現は平明だがユーモアがあり健康的で勇気を与える詩風とのことなので、当歌詞についても、そういう観点から、解釈した方が良いかと思います。全体的に見ると、スケールの大きさや表現の独特さを感じます。自然景観について、1番「松尾の山」、2番「女山川」、3番「高牧山」、4番「思川」と山・川・山・川と交互に読み込んでいます。1番では「吉田の里=庭」、「空=学びの窓」として、周りを山で囲まれた盆地のような吉田地域を一つの大きな校舎と見立てています。2番では「兵どもの夢のあと」(松尾芭蕉の句)とあり、吉田松尾城を巡る吉田氏と島津氏との古戦場について読み込んでいます。女山川はどの川を指すか不明ですが、女山滝が本名川添いにあるので、当地域を流れる本名川を指すのかと思います。また「世は私利私欲に沈むとも」「われ向上の道をゆく」との表現は、氏自身が沖縄復帰闘争や沖縄大学存続闘争など、長いものに巻かれるのを潔しとしない反骨の士で行動する文化人だったことと通じる部分があります。3番の「アネモネ」は地中海原産の観賞用のキンポウゲ科の赤い花ですが、特に当地域の特産ということもなさそうですが、なぜかここで出てきます。依頼を受けて訪問した際に校舎脇に植栽されていたのでしょうか。高牧山は北西側の現鹿児島高牧CCの辺りか、南側の高牧を指すか不明ですが、校歌の構成から恐らく北西の方を指すかと思います。後半は世界平和、新日本建設を歌いスケールの大きな歌詞となっています。4番は吉田地域を貫流する思川周辺の田園地帯を叙情豊かに歌い込みます。最後、岸辺で誓い、「文化の花」を夢に見るこの日に幸あれと歌い上げます。

    吉田北中地図

     

2021年12月11日

  • 2021年12月11日(土)

    本校でチャイナサロンをしました!!

    チャイナサロン

      チャイナサロンとは、中国語に関心を持つ高校生などに中国人留学生との交流を通して、ネイティブな中国語を直接聞き中国語に親しみを持ってもらい、ひいては日中友好を志す人材に育って欲しいとの思いからスタートするもので、鹿児島大学及び同大学中国人留学生学友会の協力を得て、県内高校生等の中国語学習に貢献する為、中分談話室(チャイナサロン)として、月1回程度開催するものです。(日中友好協会HPより)

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     日中友好協会主催で,令和3年度第1回チャイナサロンが,鹿児島東高校で行われました。

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     很好吃(ヘンハオチー)!! とても美味しい!! みんなでおいしくいただきました。

     チャイナサロンについては,東高校は毎年参加してきましたが、昨年度から新型コロナの影響で十分に出来ませんでした。詳しくは本校HP左側にある関連リンクから、日中友好協会HPから入ってみてください。

     

2021年12月10日

  • 2021年12月10日(金)

    インターンシップのアポ取りをしました!!

     本校では,2年生全員を対象に,来年2月1日(火)~2月3日(木)の3日間インターンシップを予定しています。1学期から実習先の希望を取り,新型コロナの影響で,実施できるかどうかはっきり分かりませんでしたが,夏休みに2学年職員で分担して,実習先訪問をして,実習先を調整してきました。病院や保育園・幼稚園での実施は難しいだろうと言うことで,看護系や幼児教育系の専門学校等に,受け入れ可能かどうか打診して,いくつか応諾の返事をいただきました。

     本日ようやく,生徒の電話によるアポイントを実施することができました。

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     各担当職員毎に各教室に分かれて実施しました。今回限り,スマホの使用許可をとり,各自のスマホで電話しました。全員電話でのアポが取れました。事前訪問の日程も決めることが出来ました。年明けに事前学習を重ね,インターンシップ前のマナー指導をして,本番に臨みたいと思います。将来の進路希望先決定に,活かしてもらいたいと思います。 

  • 2021年12月10日(金)

    県ダンス発表会に参加してきました!!

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     12月8日~9日,2日間にわたり,第72回鹿児島県学校ダンス発表会が,かごしま県民交流センターで行われました。

     鹿児島東高校は,1年生のダンス授業選択者12人で舞台に立ちました。

     YOASOBIさんが歌う「もう少しだけ」の曲に,自分たちで振付を考えて,踊りました。

     誰かの「もう少しだけ踏み出したい」「もう少しだけ優しくなりたい」を一押しできる存在になれるよう,思いを込めて元気いっぱい踊りました!

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2021年12月8日

  • 2021年12月08日(水)

    統一LHR 性教育講演会がありました

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     本日体育館で,全校生徒を対象とした,統一LHR「いのちの大切さを考える講演会(性教育講演会)」がありました。テーマは「性について~わたしたちの未来~」です。

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     講師の方は,いまきいれ総合病院NICU助産師の 島田めぐみ氏です。

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     まず自己紹介の後,体のしくみ。今妊娠したら。避妊について。相談窓口「かごぷれホットライン」「にんしんSOSかごしま」の紹介。中絶について。

     性は,3つの要素がある。生殖の性,快楽の性,連帯の性。快楽の性だけでなく,生殖の性,連帯の性について考えていかないといけない。性という漢字は,心+生から成り立っている。将来について,ライフプランの話。途中途中で,ビデオを見たり,軽めの話を挟んだりして,とても分かりやすく,聞くことができました。なによりも講師の先生の話しぶりがとても,真摯な言葉で,一言一言が心に染み入るような感じでした。最後にご自身が体験された,未受診妊婦の話。これは涙なくしては聞けない話でした。その時は何もできなかったが,いまできることは,できるだけ多くの人々に,性についての話をして,いのちの大切さを伝えていくことだけだとの言葉はとてもよく分かりました。 

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     みんな,一生懸命聞いていました。この後,教室に戻って,アンケートを書いて,感想をまとめます。

     

     

     

  • 2021年12月08日(水)

    韓国語の授業で,ユンノリで遊びました!!

     本校では第二外国語の授業があり,2・3年次に韓国語や中国語を選択します。今日はテスト明けの授業で,日本で言うすごろくのような,韓国の伝統的な遊びである「ユンノリ」をしていました。

     ウィキペディアによると,ユンノリは、朝鮮半島に伝わるすごろくのような遊戯で,語義はユッ(윷、遊戯に用いる「棒」+ノリ(놀이、「遊び」)ということです。さいころのかわりに4本のユッ(윷)と呼ばれる木の棒を投げ、落ちたときのユッの状態に応じてコマを進めていきます。コマを合体させたりする戦略的要素がある,そうです。

     

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    本校のチェ先生に教えてもらって,早速2チームに分かれてゲーム開始です。

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     左下がスタートで,ゴールでもあります。4本の木の棒を投げ,出た目でコマを進ませ,ゴールを目指します。

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     生徒たちはすぐにやり方を覚え,出た目によって,一喜一憂していました。